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新・眠らない医者の人生探求劇場・・・夢果たすまで

血液専門医・総合内科専門医の17年目医師が、日常生活や医療制度、趣味などに関して記載します。現在、コメント承認制です。

ドラゴンクエスト→ダーマの神殿→老子→孔子→教育システム

2009-01-04 18:43:36 | 教育

さて、先ほど帰る前にコンビニによりました。

そしたら「ドラゴンクエスト」新作の発売に関して出ていました。

 

別にドラゴンクエスト(ドラクエ)の話をしようというのではないのですが、僕は小学校3年生か4年生のころ「ドラクエⅢ」が発売されました。やりこんだのを覚えていますが、その中に「ダーマの神殿」というのがありました。

 

ダーマ:サンスクリット語で「宇宙の真理」とか「人生の目的」とかいう意味で使うそうですが、ダーマ・・・転職することができる宮殿です。

 

面白いネーミングだと思いました。当時ではなくて高校か大学かに入って、リメイク版が発売されてからの話ですが・・・。

 

ダーマの神殿に関して考えたとき、ダーマ(ダルマ)は究極の真理、よりは人生の目的の方が合いそうですね。しかし、その「転職の神殿」・・転職が「人生の目的」かと言えば、そうではあるまいとは思います。

 

ただ、「人生の目的」を認識することは重要だと思います。

 

そのダーマの神殿、職業は複数同時には選べません。育てられるのも旅に出れるのは4名ですから・・・。時間的なものも、キャラクター選択も制限を受けます。

 

ダーマの話から「老子」の話を混ぜていきます。

 

老子の中にこんな話があります。

学問をすればするほど、すべきことが多くなり・・道を行えば行うほどすべきものは少なくなる」というような話。

 

たぶん、学ぶべきものを絞り込めという趣旨なのだと思いますけど、ダーマの神殿もそうですよね。多くの職業に「クラスチェンジ」できるけど、すべてをやるには時間も足りない。時間は有限ですから、人生が足りない

 

もう少し具体的に書けば「学ぶべきもの」と「学ぶ必要のないもの」をしっかり分けて学ぶべきであるといえば良いのでしょうか

 

今の日本の教育を見ていて思うことは全員に対して「学ばせすぎている」ということ。

 

「ゆとり教育」は「ゆとり」の意味を履き違えすぎですけど・・・・

 

義務教育は必要なものです。 義務教育は自分の好きなことを、自分の道を見つけるための基礎知識。人生に応用する上で必要な基礎知識ですから、それは学ばなくてはならないと思います。全員がある程度のものは学ぶべきだと思います。

 

しかし、全員が完璧にできる必要はない。

 

当たり前ですが人には得手不得手がありますから。

 

「大学」に全員が「勉強をするため」に入る必要はないし「良い会社に就職するため」に入る必要もないでしょう。

 

人生の目的をしっかり持ち、自分に合った道を見つけ、そこに至るにはどのような勉強(学問)が必要なのかを見定めるための義務教育であり、それを発見するためにある時間が15歳までだと思います

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なかのひと

「十有五にして学に志す」

 

論語にある孔子の言葉ですが、15にして自分の進む道を決めることができる。これが重要なことであり、その道を進むためにどのような進路にすればよいのかは・・ここからは個人の選択です。

 

僕は「受験勉強」が嫌いだったので、本当に高校2年の冬までは勉強をせず。自分の好きなことだけしていました。

基本的に「好きな授業」はきちんと受けて、嫌いな授業は図書館から借りてきた本を読んで過ごす。 こんなことをしていたから高2の秋の模試では「全国偏差値32」という記録すべき(いらんけど)成績を取りました。

 

因みに小学1年生から続いていた「生物学者」という夢を「医師」に変更しようか考え始めたのがこの頃で、本当に変更したのは高3に入ってからでした

 

どちらも生き物を扱うという意味では同じなんですけどね。

 

ただ、時間はそれなりに有効には使っていたと思います。いろいろな本を読みましたし、それは僕の糧になっていると思います。

 

今はともかく「有限である時間」を認識し、常に死を意識し、人のために尽くす何かを行うこと・・・を行動原則として考えています。

 

話が脱線しました。

 

僕は今の教育体制自体が嫌いです。教育というものの認識がおかしいのではないかと思っています。(頼みますよ、文科省の皆様・・・。人との比較は必要がないんです。それは比較して勝ち上がってきた皆様にはわかっていただけないでしょうか?)

 

そして何よりも子供たちの可能性の芽を摘む教育が嫌いです。

 

近くの公園で遊ぶ子供たちの目は輝いています。何をするにしても輝いています。その輝きを摘むのは、今の教育だと思います。大人だと思っています

 

僕はすべての人の良いところを見たいし、伸ばしたい(大人もね)子供たちの目の輝き(もしくは好奇心)や可能性(特にその子の得意な何か)を発揮させてあげるのが教育の重要なところだと思う。

 

それを自分自身で認識し、自分と他の子との違いを認識する場所。それも自分自身の良いところを認識する場所として「学校」があってほしい。別に一般的な「勉強」だけで比較される必要も、比較する必要もない。勉強はできなくても、あきらかに頭のいいやつは大勢いた。

 

高校から先は「自分の可能性」を伸ばすところであってほしい。競争相手は周りじゃない。

 

自分自身だ!

 

過去の自分より高い場所に行くことを目標に、自分の目標目指して突き進むこと。それこそが高校であり、大学での目標・目的であってほしい。

その自分の目標へと続く道程の中に、何らかの楽しさを見つけて、仕事と趣味が一致すればなお良い。それがしかも人の為になることだったら更によい

 

そう僕は教育に関して思っています。

 

ドラゴンクエスト→ダーマの神殿→老子→孔子→教育システム という話の流れでした。

 

僕は心の底から、子供たちが「自分に合った教育・未来」を見つけだすことを祈っています

 

子供たちの未来がこの国の未来であり、僕らの未来であり・・・おそらく世界の未来ですから。

 

それでは、また。

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医師は僕の天職なり:そう思うこの頃(昔からか)

2009-01-04 17:50:46 | 医療

こんにちは

 

もう暗くなりましたね。先ほど外を眺めて驚きました。

 

今日も朝一番で病棟に顔を出し、昼過ぎに帰ってきました。

この年末年始で身にしみたのは「疲れ」を認識したこと。

 

もともと疲れには縁がない方ですが、若干疲れました。

 

ということで、昼過ぎから「疲労回復」「自己内省」目的で考え事をしていました。

 

考えたら疲れるだろうに…と思われるかもしれませんが、好きでやっていることは疲れません。基本的に医療も好きでやっていますから疲れるものではないのですけどね

 

 

今日小児科医の同級生とエレベーターで一緒になり

「大変そうだね」

と言われましたが

大丈夫、好きでやっているから

と返してしまいました。

 

 

ただ、そう言ってもらえるだけありがたく思います。

 

実際若干疲れは出ているのではないかと思います。全ての患者さんが笑顔で退院する診療科ではありませんから・・・・。 打つ手なし…となってくると、どうしても患者さんや家族のことをいろいろと考えてしまいます。

 

さて、それでも医療現場には喜びもあふれています。

医者としてやはり喜ばしいのは「目の前にいる患者さん、家族に希望を残す。前向きに笑顔でいられるようにする」 ことであり、患者さんの笑顔があれば僕らもどうにか頑張れるというものです。

 

病気になった患者さんに幸せになってもらうというのは難しいのかもしれませんが、希望を残し前向きに自分の時間を過ごしてほしい。そう僕がかかわるすべての患者さんに思います。

関わらなくても・・可能であればすべての人が幸せになってほしいように思います。それを達成することは僕自身の幸せにもつながるように思いますので。

 

目の前にいる仲間、後輩、一緒に働く多くの人々、患者さん・・・関わる全ての人が「一日ほっとする」「一日を笑顔で過ごせる」ような何かをすることができれば、一日僕も幸せな気持ちで過ごせると思います。

 

こういった気持で過ごせるか否かは、基本的に僕自身の「心のゆとり」も必要なわけで・・・。

 

先程、エレベーターの中での会話も・・ふと日中に考え事をしていた時に

「あぁ、あの時『ありがとう』と言っておけばよかったな

と思ったもので、心のゆとりのなさを表しているのだろうと思っています。

 

 

話を進めていきます。

 

僕は今までも書きましたが、できうることなら

死ぬまでに人のために尽くしながら死にたいものだ

と思っています。

 

この世の中が改善するのであれば、それは素晴らしいことだと思いますし…

 

多くの人に尽くす一つの手段としての「医師」であると思っています。

 

医師は僕の天職です

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なかのひと

僕は医療というものが好きです。患者さんのためになるということもそうですが、医療自体が様々なことを考えさせてくれます

 

医療は今までも書きましたが(そして僕自身、患者家族にも言いますが)推測の産物でしかありません。それゆえ、100%こうであるというのは不可能です。

 

それ故「ない知恵」を絞り、最大限考えられることを考え、それを持ってできるだけ確率を上げて、それに対して治療をする

 

検査というものは所詮、確率を100%に近づける手段です。さらに確率はその医師が何を考えて(何を疑って)いるかに大きく左右されます。

 

だから、医療に関して考え続けることは患者さんのためにもなると思っていますし、僕の知的好奇心を満足させてくれます

 

研究はさらに目に見えない多くの患者さんのためになるかもしれないという意味でも非常に良いと思っていますし、これも違う側面から僕の知的好奇心を刺激してくれます。

第一・・・研究に関しての目線を見ていなかったら、せっかくの医療現場で見たものが一部の楽しみしか味わえなくなってしまいますしね。

 

 

医療現場にいることで、実際にふれあう多くの患者さんのためになりたいし、患者さんの治療に関わるだけでなくMental的な面でも患者さんの助けになれたらどれだけ素晴らしいことでしょうか

 

自己満足かもしれませんが、それは僕自身もいやしてくれると思っています。

 

 

しかし、時にはそういう考えで接していても、暴言等をたたきつけられることもあります。

 

基本的には「患者さん(+家族)の不安からくるもの」として対応しますが、それが中心ではないな・・と思ったときに僕が豹変することもあります。相手が何らかの不安を持って行動しているのであれば、不安を取ることができるようにするのは僕らの役目だと思います。しかし、それがまったく異なる目的や「人のためにもならない」何かである場合(特にだれかを貶めるだけ、自分の利益だけを求めている場合)、僕は「烈火」のごとく怒ります。

 

もともと「短気」な血液内科医ですからw

「やさしい」のと「気が短い」は両立しますよw

 

さて、こうやって3時間ほどクラシックなどを聞きながら、自己内省をしているといろいろ考えさせられます。

そして内在する「力」のようなものを感じることはあります。何をしているわけでもないのに疲れがとれるといいますか、まぁ実際昼間帰ってきたときの「数倍」エネルギーに満ち溢れている自分がここにいるわけで・・・・。

 

エネルギーを充填したところで(先輩ドクターの一人に「核エネルギーで動いている」と言われる僕ですが、充電期間は必要ですw)、さらにいろいろ書いていきたいと思っています。

 

では、また。

コメント (2)
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