蝉の抜け殻にまつわるあれこれ

 数日前の夜、飛び立ちざまに蝉がじいっと一声あげたのを聞いたのが、今年初めての蝉の声だと思ったら、もう、いつのまにかあたりは蝉の大合唱になっている。
 今朝庭に出たら、伸び放題になっている羊歯の葉の先に、昨日はなかった蝉の抜け殻が、足を折り曲げてしっかりとぶら下がっていた。子供に見せようと思って手に取ったら、ふにゃふにゃと柔らかくて、数時間前まではまだ中身が入っていたのかもしれないと思った。
 ここに引っ越してきたのは何年か前の冬のはじめころで、台所から見える庭の塀に、ずいぶん高いところまで登りつめて羽化した蝉の抜け殻が、夏の名残のようにぽつんとしがみついていた。
 その抜け殻は、次の年の夏に来た台風の風でどこかへ吹き飛ばされてしまったのだけれど、しばらくするとまたほとんど同じ場所に新しい抜け殻がついているのを見つけた。
 大学の文化祭で、クラスとかサークルとかで出しているにぎやかな模擬店の並びから少し離れた木の下に座って、蝉の抜け殻をひとつ10円で売っている学生がいた。一辺が30センチくらいの立方体の箱に、蝉の抜け殻がぎっしり入っていて、売っている本人は、両方の耳たぶと、襟元のボタンに蝉の抜け殻をつけて、イヤリングにどうですかなどとのんきな口調で呼びかけている。一緒にいた友達は気持ちが悪いと言っていたけれど、私は、彼が夏のあいだひとりで蝉の抜け殻を集めているところを思い描いたりして、可笑しかった。
 しばらく様子を見ていたら、5、6歳くらいの女の子が学生のところへ駆け寄ってきて、何か言った。学生は、落としちゃったの、しょうがないなあ、じゃあもう一個持ってっていいよと言って、女の子に新しい抜け殻を渡していた。
 今年初めての蝉の声は、まだ耳に新鮮で、夏が来たことを実感させられるけれど、その大合唱も、すぐに意識の外へ追いやられてしまうだろう。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

アゲハ母さん途方に暮れる

 この一週間ほどのあいだに、アゲハチョウが三度庭に訪れた。どれも同じ蝶かどうかはわからないけれど、卵を産みつける葉を探しているようである。
 アゲハチョウは前肢に味を感じることが出来る細胞があって、その肢で葉を叩くことによって味見をし、わが子である幼虫が食べるのに適した植物かどうかを判断してから卵を産む。庭に舞い降りたアゲハチョウも、順に、山茶花、トネリコ、百日紅の青い若葉に前肢で触れていったけれど、どれも幼虫の食草に適さないから、ふたたび舞い上がって塀の向こうへ飛んで行ってしまった。
 近くに、卵を産める木がないのかなあと思う。去年は庭に、小さな山椒の木の鉢植えがあったのだが、青虫が葉を食べ尽くしてしまったあと、水遣りを怠ったために枯れてしまって、今年はもうない。蝶が二度目にやって来たあと気の毒になって、また幼虫の成長を息子に見せたくもあるから、小さな山椒の木でもあれば買おうと思って園芸店へ行ってみたけれど、季節柄か、もう置いてないということだった。
 それなりの値段がついた柑橘類の苗木をわざわざ買うのもなんだしと思って、いったんはあきらめたのだが、昨日三度目にアゲハが来たのを見て、やっぱり何かみかんの木でも用意してあげた方がいいかしら、などと考えている。


にほんブログ村 猫ブログ 猫絵・猫漫画へ ←1クリックよろしくニャ~
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )

ラ・プリマ・ザンザーラ

 急に暑くなって、家のいろいろなところの窓を開け放つようになったから、みゆちゃんは昼寝もそこそこに、外界の観察に余念がない。夜になると、窓から涼やかな風が青草の匂いを運びこんで、初夏のような趣がある。
 昨日は、今年初めての蚊を見た。まだ大丈夫とたかをくくって、庭側の窓を網戸をつけずに開けていたから、そこから入ってきたのだろう。このあいだ、めだかの鉢の水面に大きく育ったぼうふらが浮いていたから、それが羽化したのかもしれない。ぼうふらが小さいうちに、なぜめだかが食べてしまわなかったのか、不思議である。あんまり餌をやりすぎるとそれでお腹がいっぱいになってしまって、わざわざぼうふらを追いかけて食べるのが馬鹿らしくなるのかもしれない。
 昔ちょっとかじったイタリア語では、蚊のことをzanzara(ザンザーラ)というらしい。いかにも、蚊の唸るような羽音が聞こえてきそうな感じがするけれど、それでは日本語の「蚊」は何に由来するかといえば、諸説があって、うるさいという意味の「かしましい」から来たとか、飛ぶ音が「かー」と聞こえたからだとか、「噛む」の「か」だとか、はっきりしないようである。
 ただ、「蚊」という漢字が虫偏に文と書くのは、「ぶーん」という羽音から来ているという。本当か嘘かは知らないけれど、そういう漢字は他にもあって、猫は「みゃおう」と鳴くから獣偏に「苗」、からすは「がー」と鳴くから鳥に「牙」、鳩は「きゅう」と鳴くから「九」だというから、面白い。
 それはさておき、うちの庭には毎年大量の蚊が出るから、夏に向けて、そろそろ覚悟を決めておかなければならない。


にほんブログ村 猫ブログ 猫絵・猫漫画へ ←1クリックよろしくニャ~
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

ゾウムシ出た!

 先週、息子が食器棚の横にしゃがんで、「なにこれ」と床を指差し言うので見てみたら、どんぐりの中から出てきたゾウムシの幼虫だった。外は寒いので気の毒だけれど、しょうがないから出てもらったその翌日に、食器棚の横のまったく同じ場所で、またぷにぷにした白いゾウムシの幼虫が転がっているのを発見したので驚いた。どんぐりから出てきた幼虫は、本能にしたがって同じようなルートをたどるのかしらと思っていたら、数日後には今度は別の場所に幼虫が落ちていた。家には、息子が植物園とか山とかへ行くたびにポケットいっぱい拾ってきたどんぐりがあるから、その中に虫が入っているのが結構あったとしてもおかしくないけれど、どのどんぐりから出てきたのかと思っていたら、壁際に置いてあるCDラックの裏に、いつのまにかクヌギのどんぐりがいくつか転がり落ちていて、拾い上げてみると、その半数くらいに穴が開いていた。
 そのさらに次の日くらいに、食卓の端っこをちょこちょこと歩いている小さな虫がいて、息子がこれなんだと聞くのでよく見たら、可愛らしいゾウムシの成虫だった。たぶん、数週間前にどんぐりから出てそのまま行方不明になっていた幼虫が、家のどこかで蛹になって、無事羽化したものだろうと思う。幼虫の大きさから考えたら当然だけれど、なんとなく想像していたよりもずっと小さくて、よくよく見たら、ゾウの鼻に見えないでもないような口吻がちょっとついたとても可愛らしい虫である。我が家で羽化してくれたことはうれしいけれど、部屋の暖かさのせいで、出てくるのが少し早すぎたんじゃないかと思う。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

怒れる青虫

 息子を連れて公園へ行く途中の交差点で、歩道の上を横切っている大きな青虫を見つけた。長さが五センチくらいあって、尻尾に黒い角がついているやつで、それがその種類の正常な歩き方なのかもしれないけれど、何となく前につんのめるような、びっこを引いているような歩き方に見えた。とにかくすごくのろいから、青虫が目指していると思われる数メートル先の植え込みまで到達するまでにはかなりの時間がかかりそうで、現に息子も踏みかけたことだし、自転車なんかにあっというまに轢かれてしまう危険性が大いにある。
 そこでまたおせっかいにも移動を手伝ってやろうと思って、植え込みから一本長い草を引っこ抜いて、その上に乗せようとしたのだけれど、これがなかなか乗ってくれない。横で息子は、「(手で)持って」とか勝手なことを言うのだけれど(じゃあ、自分で持てと息子に言ったら、いやだと言った)、さすがに素手で持つのは抵抗があるし、相変わらず草の上に乗せようと頑張っていたら、そのうち青虫が怒り出した。
 体の前半分をすごい勢いで、体が二つ折りになるまで右、左、とぶんぶん振り回す。人間でそんなことをやったらものすごい体力がいるだろうけど、青虫は大丈夫なのかなと思う。だけど、あんまりその「イヤダイヤダ」を繰り返すものだから、もう草の上に乗せるのは不可能になって、仕方なく、葉っぱで転がして、近い方の植え込みの中に放り込んだ。
 青虫が目指していたのと反対方向だったかもしれないけれど、道は危ないから、ありがた迷惑といわずに、そのあたりで満足しておいて欲しい。


※なお、この青虫は、スズメガの幼虫らしい。幼虫図鑑というサイトがあって、縮小画像で調べられるので、とてもわかりやすいからよく使うけれど、結構すごい画像も乗ってるから、いもむし・毛虫系が苦手な人は、見ないほうが無難だと思う。
コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )

どんぐりの穴

 たいした話題でもないけれど、どんぐりの続報である。
 10個余りのどんぐりを入れてテーブルの上に置いておいた紙コップを息子がうっかり倒してしまい、テーブルの向こう側に、どんぐりが散らばったままになっていた。拾って紙コップに戻すと、側面に前はなかった大きな穴の開いているどんぐりが一つ。しかも、軽くて、中身が詰まっていない。振ると、かたこと音がする。
 どうやら、入っていた幼虫が、穴を開けて出てきたらしい。そのあたりを調べてみたけれど、ぷりぷり太って出てきたはずの白い幼虫の姿は見えない。いったいどこへ行ったのやら。
 ゾウムシの幼虫は、どんぐりから出ると、自然界の場合、土の中にもぐって蛹になり、次の春、成虫となって出てくるという。
 部屋のどこかで白い幼虫にばったり遭遇するのは御免である。けれど、このままそっとどこかにうまく隠れて蛹になるのだったらいい。来年の春、象みたいなユーモラスな姿になって、ひょっこり姿を現してくれたら、それはそれで愉快である。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

どんぐりの中のぷにぷにした幼虫

 どんぐりを拾うと、ときどき、中に虫が入っていることがある。だいぶ前のこと、どこかで拾ってきたどんぐりを、小物入れのトレイの中に置いておいたら、なぜか、トレイの底に茶色い粉が散らばるようになって、それでもあまり気にしないで放っておいたら、ある日、入れていたキーホルダーのチェーンなどと一緒に、トレイの隅っこにぷりぷり太った白い幼虫が寝転がっているのを発見して、驚いた。茶色い粉は糞で、もともとどんぐりの中に入っていた幼虫が、中の実を食べて大きくなり、殻に穴をあけて出てきたのである。ゾウムシの幼虫らしい。親のゾウムシは、どんぐりに小さな穴を開けて卵を産みつける。堅い殻に包まれた中身はすべて食べ物。ゾウムシの幼虫にとって、どんぐりの中はこれ以上ないほどの快適空間だろう。
 今回拾ってきたどんぐりにも、なんとなく穴の開いているように見えるのがある。紙コップの中に入れて置いているのだけれど、茶色い粉が落ちてやしないか、ときどき注意して見ている。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )

カマドウマ、現る

 みゆちゃんが、台所でひと跳び、ふた跳びし、何かを追いかけていった。閉めた窓のところまで追い詰めて、サッシュのレールの隙間に逃げ込んだその何かを捕まえようと、手で掻いたり鼻を突っ込んだりしている。ゴキブリにちがいないと思って、憂鬱になった。ニ、三日前に、みゆちゃんが浴室の前の洗濯かごやバケツなんかを置いてある場所に座り込んで、何かを見張っているような様子だったので、そこに隠れていたのが出てきたのだと思った。
 やがて、くるりと踵を返してこっちにやってきたみゆちゃんの口の端から、足とか触覚がはみ出しているのが見えた。どうしようかと思ってうろたえていたら、みゆちゃんが獲物をそっと床の上に置いた。またわざと逃がして、追跡ごっこをするつもりらしい。
 みゆちゃんの頭越しにおそるおそるのぞいてみると、それはゴキブリではなかった。コオロギかと思ったけれど、それも違う。ちょうど、ゴキブリとコオロギの中間みたいな虫だった。カマドウマである。はじめて見た。コオロギみたいに三角形に曲がった後ろ足に、弓なりにカーブした体、恐ろしく長い触角。体長の4倍も5倍もありそうなこの触覚は、いったい何に使うのかしら。
 カマドウマが窓の方へ向って逃げはじめた。追いかけようとするみゆちゃんを抑えて、急いで窓を少し開けたら、カマドウマはすぐにその隙間から庭へ出て行って、事なきを得た。
 密閉性のあまりよくなかった昔の家屋では、カマドウマはよく見られたそうである。それが、最近の住宅ではほとんど見られなくなった。そのカマドウマが現れた我が家というのは、どこかに虫の出入りする穴でも開いているのかもしれない。その証拠に、廊下をダンゴムシが散歩していたり、なぜこんなところにこんな虫が、というようなことがときたまある。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

毛虫小道

 琵琶湖疎水の横の小道を散歩していると、縁石の上に何か黒くて長いものが乗っていて、一瞬ムカデかと思ってどきっとしたけれど、よく見たら黒い体に薄い黄色の毛の生えた、大きな毛虫であった。
 桜の木につく毛虫で、琵琶湖疎水の横の小道には桜の木がたくさん植えてあり、春には、染井吉野や、名前の知らない白い花を咲かせる桜が満開になって、疎水の深い水の色に映って爛漫たる景色となる。
 実家の庭に山桜があったときには、この毛虫がよくついた。いま縁石の上を歩いている黒い毛虫は体長が6センチほどもあるけれど、もう少し若い時分には体も小さく赤い色をしていて、その赤い毛虫が、山桜の葉をすべて食べつくし、さらなる食糧を求めて、いっせいに幹を伝い降りだしたのを見たときには、冷や汗が出た。
 黒い毛虫は、縁石の上を小道に沿って、ずんずん進んでいく。おそらく、蛹になるために土に潜る場所を探しているのだろうと思う。野菜についてきた青虫を育てていたら、やがて土に潜って蛹になったことを思い出した。
 一匹だけかと思ったら、小道の前方を、同じような黒い毛虫が一生懸命横切っているのが見えた。もしかしたらそこらじゅうに毛虫がいるのではないかと思って、急に薄ら寒くなって辺りを見回してみたけれど、その二匹以外にはいないようだった。
 さきの毛虫は決まった目的地でもあるかのようにまっすぐ進んでいくのだけれど、あとの毛虫は、もう切羽詰っているのか、小道の端まで来ると、植え込みからこぼれてコンクリートの上にかぶさった土を掘って潜ろうとした。もちろんそんな浅い土の中に潜れるはずもなく、あきらめて、今度は落ち葉の下に潜った。縁石を超えてあと20センチも進めば、深い土があるというのに、言っても伝わらないところがじれったい。
 そうこうしているうちに、さきの毛虫はどんどん進んで、こちらは縁石から雑草の生えた地面に降りて、やはり土を掘ろうとしはじめた。しかし、このあたりの地面はどこも固い。柔らかいからだの非力そうな毛虫に掘れるとは思えなかった。しばらく頑張っていたけれどうまくいかず、落ち葉に潜って誤魔化したりしている。
 そんなことでうまく蛹になれるのかしらと心配になったけれど、それでもやっぱり桜の木には毎年毛虫がつくのだから、どこか蛹になれる場所があるのかもしれないとも思った。
毛虫たちがどうするのか見届けたいと思ったけれど、きりがないので、あきらめて帰った。
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )

黄昏の蜂たち

 もう九月も下旬に入ったというのに、毎日真夏のような暑さである。気象予報によれば、この暑さは今週いっぱい続くらしい。
 なんとなく不思議に思うのは、暑さが続いているのにもかかわらず、庭に巣を作っているアシナガバチたちの動きが、静かになっていることである。夏のあいだにはしょっちゅう庭を飛びまわっていて、洗濯物を干そうと外へ出たときに、危うく鉢合わせになりそうになったこともしばしばであった。近ごろでは飛ぶ姿もめったに見かけないから、もういないのかしらと思って、人目につかないよううまく物陰に作られた巣をそっとのぞいてみると、やっぱりハチたちはそこにいて、何か作業をしていた。
 ハチの活動期間というのは、気温の変化には関係なく、独自の暦のもとに決まっているのかしらと思って、ネットで調べてみたら、八月の終わりには、新しい女王バチが誕生して、その巣は営巣活動が終了するのだそうである。
 したがって、もうせっせと餌となる虫を狩って、幼虫を育てる必要もない。新女王バチ以外はみな、冬を越さずに死に絶えてしまうから、いま庭の巣にいるハチたちは、役目を終えて、ただ静かに、黄昏のときを過ごしているのかもしれない。
 庭のほうから、とん、とん、とん、という少し不規則なノックのような音が聞こえてきたので、なんだろうと不審に思って見てみたら、ヒヨドリが、捕まえたハチをトタン屋根に打ちつけているのだった。何度も何度も叩きつけ、ハチがもう動かなくなった頃、私の気配を感じたのか、ハチをくちばしにくわえたまま、飛んでいった。塀に映った鳥の影が、少し遅れて、そのあとを追った。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »