酔いどれ猫たち

 マタタビは猫を惑わす不思議な植物であるが、お酒の酔い方が人によって違うように、マタタビに対する反応もまた猫によって違う。
 まずネロとちゃめのトラ猫二匹はマタタビに目がない。すりすりとマタタビに顔を擦りつけ、ごろごろ寝転んで首にも体にもこすりつける。そして陶酔したあとには凶暴になる。下手に手を出したりすると噛みついたりするから、おっかない。元来の気の強い性格がマタタビによって強調されるのか、人間で言えば、酔うと暴れるタイプだろう。
 みゆちゃんもマタタビが好きである。マタタビをしまってある机の引き出しを開けるとすぐにとんできて、顔を突っ込みくんくんとマタタビを探す。みゆちゃんはマタタビを舐めると、少し陽気になるようである。足取り軽く床に降り立ち、転がっているねずみのおもちゃにちょいと手を出してみたりと、鼻歌でも出てきそうな上機嫌である。
 外猫ポチにもマタタビをあげてみた。食事中だったせいか、皿のマタタビを少し舐めただけで、すぐまたえさに戻った。ポチはよく食べる。飲み会に行っても飲むより食べるというタイプだろう。
 デビンちゃんはまったく興味なし、ちゃぷりは、私飲めませんから、と言いつつ実は結構いけるくちなのか、マタタビの粉を差し出すとあっちへ行ってしまったが、以前、飾り棚の下でこっそりマタタビの棒をかじっているのを見たことがある。
 宴会もたけなわになってきた頃、座敷の隅の方でうとうと居眠りし始めるのが、昔家にいた黒猫のアニちゃんだ。のんびり屋でどこか抜けていた大きな体のアニちゃんは、マタタビを舐めるといつもそのままそこで寝入ってしまうのだった。
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ともに暮らせば顔も似る

 日曜日には動物園へ行った。
 シマウマを見に行くとちょうどおやつの時間で、箱の中に青草の束ねたものが並べてあった。そばについていた飼育係の人に勧められて青草を手に取ると、すぐにシマウマが柵の向こうから駆けてきて、差し出した手からあっという間に草の束をくわえ取った。
 シマウマの係の人は面長で愛想のいい男の人だったが、動物園の飼育係の人はみな、それぞれが担当している動物にどことなく雰囲気が似ている。カバの係りの人はおっとりした感じの人であるし、トラやライオンの担当の人には精悍な雰囲気が漂って、笑うと八重歯がちらりと見える。もともと似ているからその動物の係を選んだのか、担当しているうちに似通うようになったのか。
 ペットは飼い主に似ると言うが、飼い主がペットに似るのとどっちだろう。子供の頃、家にシェットランドシープドッグがいたが、その犬と父が似ていると散歩で出会う人がよく言った。また、近所にアフガンハウンドを飼っている家があって、そこのご主人も犬とそっくりである。
 私も愛猫みゆちゃんに似ることができるなら、これほどうれしいことはない。しかし残念ながら、いまだかつて似ているねと言われたことはない。



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薄幸猫ちゃぷりの遅い春

 損な性格で、実家の外猫ちゃぷりはあまり人に好かれるような猫ではない。子猫の頃から家のまわりでうろうろしているから、私の知る限り、人間にいじめられたとかそういう経験はないはずだけど、あまり人になつかず、いつもびくびくしている。
 まず要領が悪い。たまに人に寄って来たと思ったら、歩いている人間の出す足の前へ来てぶつかり、「蹴られた!」と驚いて逃げようとすると、今度は反対側の足にぶつかって、「また蹴られた!」とますます疑心暗鬼に陥って向こうへ行ってしまう。こちらもそんなつもりはないのにと、歯がゆいばかり。
 人間の基準でいうと、性格が悪い。私がまだ実家にいた頃、ちゃぷりが特に私を好いてくれた時期があった。その頃は家の中と外で半々くらいに過ごしており、私と一緒に布団に入って寝るほど仲が良かったのだが、それがしばらくすると、ちゃぷりが一方的に仲良し相手を父に乗り換えた。かつてひとつ布団で眠った私が名前を呼んでも、こそこそと逃げるように父の後について行ってしまう。まるで、「私には新しい人ができたの。だから、あんたなんかもう知らないのよ」という感じなのである。
 遊ぶことにも関心のないちゃぷりは孤独を好んで、いつも納屋でひとり寝ていることが多かった。
 そのちゃぷりの前に現れた白馬の王子がポチであった。最初はいがみ合っていた二匹も、今ではすっかり仲良くなって、ひとつの箱に眠っている。
 損な性格から、ちゃぷりは何の面白みもない寂しい猫人生を送るのではないかと危惧していたのだが、ようやく彼女にも遅い春が訪れたのである。



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風来坊の恋

 名はトラ。数年前、ぶらりと実家にやって来た風来坊である。
 頬の張ったふてぶてしい顔と鋭い眼光、野良生活で鍛え上げられたこの逞しい雄のトラ猫は、家の敷地内でいつもぬくぬくしていた我が家の外猫ポチとちゃぷりをあっという間に蹴散らして、その猫ハウスを分捕ってしまった。もちろん、外猫用のえさもトラが奪った。
 「来る猫は拒まず」が家の基本方針であるから、庭に居ついたトラを追い出すわけにもいかないが、あまり厚遇してポチやちゃぷりを追い出してしまっては困る。一定の距離をおいたトラとの共同生活が始まった。
 猫ハウスもご飯の場所も、トラとほかの外猫たちで別々にした。彼らがもめることはなくなったが、やはりトラの立場が強いらしく、ポチとちゃぷりは肩身狭く暮らさなければならなくなった。
 実家の庭を活動拠点とし、えさも寝床も用意してもらいながら、トラはなかなか人になつかなかった。トラが警戒心を緩めたのは、家に来て4ヶ月ほど経ってからである。朝と夜の一日二回、200回以上食事のたびに手を差し伸べることを繰り返し、ようやくトラに触れることができるようになった。
 そんなある日、トラが彼女を連れてきた。つややかな毛並みと緑色の目がきれいな、若い雌の黒猫である。クロは時々遊びに来た。二匹は見ていて微笑ましくなるくらいに仲が良かった。夜はひとつの箱で身を寄せ合って一緒に眠り、食事時にはトラは必ずクロに譲ってえさを先に食べさせた。クロのためにえさを催促することもあった。裏口のところでトラが鳴くので、ご飯はさっきあげたはずなのにと母が扉を開けてみると、トラのうしろに食事の時間にいなかったクロがちょこんと座っていた。
 クロからすれば、トラは強くやさしくて、頼りがいのある雄猫だったにちがいない。
 そのトラが、ある日忽然といなくなった。雄猫の本能で急に旅に出たくなったのか、あるいは事故で死んだのか。トラの消息はわからない。
 トラがいなくなったあともしばらくクロは家を訪ねてきたが、トラがいなくなったことで気の強くなったちゃぷりがクロを追いかけるようになり、やがてクロも姿を見せなくなった。



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みゆちゃんは男好き?

 みゆちゃんは抱っこ嫌いである。抱っこしても我慢しているのはせいぜい5秒、抱き上げた瞬間にからだをひねって暴れだすことも少なくない。一人で留守番していたときとか、よっぽど寂しかった場合には15秒ほど持つ。
 が、これは私が抱っこした場合である。面白くないことに、夫が抱くと30秒は持つ。
 前に書いたが、爪切りも私にはさせないくせに、夫には膝の上にお行儀よく座り、切られるがままに切らせている。また、噛んだり蹴ったりの暴力行為は、私にはするが夫にはあまりしない。
 平日は仕事で帰りの遅い夫にくらべ、みゆちゃんと遊んであげる時間は圧倒的に私のほうが多いのに、この仕打ちはいったい…。みゆちゃんは、男好きなのか…。
 夫がどう言うかは知らないが、みゆちゃんは夫に対しては「親しき仲にも礼儀あり」なのだろう。だから、抱っこされてもすぐに暴れたのでは失礼なので、30秒ほど我慢し、「もうそろそろ下りたいんだけどなー」と、遠慮げに「にゃー」と鳴く。一方私とは気の置けない付き合いをしているので、「礼儀なし」であり、「下ろせ、下ろせ!」となるのである。私と夫に対するみゆちゃんの態度の違いを、私はこう解釈することにした。
 あるときみゆちゃんを抱き上げると、やけにおとなしく、ゴロゴロ音まで出している。珍しいなと思いつつ、どんなうれしそうな顔をしてのどを鳴らしているのだろうと覗き込むと、いかんせん、目をかっと開き、一点を見据えていた。なんのことはない、ちょうど頭の上にぶらさがっている電灯のひもにじゃれつこうと、私の肩を踏み台に利用しているだけであった。



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猫おやじ

 実家に帰ると、針金で作られた長さ60センチほどのかまぼこ型の骨組みが、机の上に置いてあった。何をするものかはだいたい予想がついたけれど、一応そばにいた父に聞いてみた。予想通り、その上に毛布をかぶせて猫のお昼寝テントにするということだった。
 父は、猫おやじである。昔は犬派で猫にはちっとも関心がなかったのが、あるとき庭に住み着いた子猫をきっかけに、あっという間に猫に傾倒してしまった。
 特に父は小細工が得意なので、あれやこれやと猫のための工作をする。
 たとえば、外猫用の小屋。以前は、ポチとちゃぷりのそれぞれにひとつずつ、ダンボール箱で作った猫ハウスが置かれていたのだが、二匹がひとつの箱でぎゅうぎゅうになって寝ることが多かったので、父が二匹ゆったり入れる木製の小屋を作った。二匹が好きなように出入りできるよう、出入り口は二つある。その出入り口には、冷たい外の空気が入り込まないように、塩ビ板の扉が、内にも外にも開くように取り付けてある。扉に透明の塩ビ板を使うところが父のアイデアで、小屋の中から外の様子が見えないと不安だろうという猫の気持ちを慮ったものである。
 しかもこの小屋には温度計までついていて、「外の気温は6度なのに、小屋の中は13度もあるぞ」と父は自慢げだ。室温の管理体制もばっちりなのである。
 ほかにも、庭の南側に設置されている透明のトタン板で作った猫用サンルームや、アリが侵入できないように工夫されたエサの皿などいろいろある。
 我が家の猫たちがハイクオリティーな猫生活を送れるよう、父にはこれからも猫おやじぶりを発揮してもらいたいものである。
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みゆちゃん物語(後篇)―満ち足りた寝顔

 段ボール箱の横で、がんばれ、がんばれ、とわたしは子猫を励ました。こころなしか、少しずつ、うしろ足も動いているように見える。
 事故の当日はショックであまり感じなかった痛みが出始めたようだ。からだを動かすたびに痛みが襲うのだろう。そのつど唸り声を発する。
 
 翌日、心配していた血尿は止まった。少しずつだが、明らかにうしろ足は動いている。病院でふたたび獣医が子猫を抱き上げて、台を上らせる検査をした。子猫は、台に上ろうと後足をかけた。あれ、と獣医は驚いた。
 子猫は、日に日に元気になっていった。水を飲みえさを食べ、なでてやるとのどを鳴らした。後足にもだんだんと力が入るようになって、子猫は痛みをこらえ、何度も何度も立ち上がろうとした。その痛みも少しずつ引いて、ついには震えながらも立ち上がることができた。そして、びっこを引いて数歩歩いた。その距離は徐々に長くなった。驚きの連続だった。
 回復の速さはすばらしかった。ある朝、段ボール箱の中にいるはずの子猫が、ソファの上に座っていた。箱の壁をよじ登って越え、ソファにあがったのである。ソファの上におしっこをしてしまっていたけれど、そんなことは問題ではなかった。
 
 子猫が野良猫である保証はなかった。すっかり情が移ってしまった子猫と離れるのはつらいけれど、飼い猫がいなくなったときの悲しみが耐え難いことは知っている。もし飼い主がいるならばその人の元へ戻すべきだった。いるかもしれない子猫の飼い主へのメッセージと連絡先を書いたポスターを何枚も事故現場付近に貼り、警察にも届けた。
 結局、名乗り出る者はなかった。子猫は我が家の一員となることになった。わたしたちは子猫に名前を付けた。三毛の模様と、雪のように白い毛から、「みゆちゃん」である。
 みゆちゃんの足は、これ以上望めないというほどに回復した。今でも右足がわずかにびっこを引いているが、跳んだり走ったり、五体満足な猫とほとんど遜色はないだろう。ただ、あまりにも不幸な境遇だったから甘やかしすぎたせいか、すっかりわがまま猫になってしまった。
 子供の頃のみゆちゃんは、いつも「抱っこ、抱っこ」とにゃーにゃー鳴いて足元にまとわりつく甘えん坊で、こっちが忙しいときなどはいささかうんざりすることもあった。しかし、いったん膝の上にのせると急に静かになって、にこにことのどを鳴らすのがいとおしく、ついつい甘やかしてしまうのだった。
 今でも、ヘッドライトに照らし出されたみゆちゃんの爛々と光る目が時々思い出され、胸が苦しくなるが、当のみゆちゃんはおそらくそんなことはすっかり忘れて、平穏そのものの顔で眠っている。それでいいのだ。あんなつらい思い出は、きれいさっぱり忘れていて欲しい。
 みゆちゃんが来てくれて、本当によかった。(了)



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みゆちゃん物語(中篇)―予断許さず

 私たちが寝ている間に、子猫が死んでしまうのではないかと気がかりだった。が、次の朝、子猫は生きていた。ひとつ、峠を越したように思った。
 昨夜に比べるとだいぶ落ち着いたように見えた。皿に水を入れて口元へ持っていくと、自分で飲んだ。大きな前進だ。助かるかもしれない。ただ、血尿が出続けていた。
 家の近くの動物病院へ連れて行った。
 骨盤が粉砕骨折しているようですし、下半身は麻痺しています。それに、血尿がとまらないのであれば、膀胱が破裂している可能性もあります。
 獣医師は子猫を抱き上げると、うしろ足が診察台の端にかかるようにした。健康な猫なら台に上ろうとするのですが、この子はそうしないでしょ。次に、後足の肉球の間をきゅっとつねった。健康な猫はこうすると痛いので足を引っ込めるんですけど、この子は痛みを感じないと思いますよ。ほらね。子猫の足は力なくだらりとしたままだった。
 私は気分が悪くなった。利己的な考えだって浮かばなかったわけではない。子猫が助かったとしても、もし車椅子になってしまったら、ただ通りかかったというその縁だけで、私の人生は大きく変更せざるを得なくなるだろう…
 そして再び獣医は私に選択を要求した。レントゲンや血液検査といった、一歩進んだ医療をしていくか否か。費用もそれなりにかかってくる。さらに、レントゲンの結果、骨折部位をつなぐ手術を受けるとなると、二十万ほど必要だということだった。さすがにそこまではできなかった。
 これからこの猫をあなたのうちで飼っていくのであれば、精密な検査をするのもよいでしょうが、ただ通りがかりに出会っただけですから、割り切って対症療法のみをとるというのも、一つの選択だと思います。
 少し考えさせてくださいと私は言った。夫に電話をして、話し合った。手術までは無理である以上、精密検査をしたところで、取り得る治療法にあまり変わりはないのではないか。
 対症療法でお願いしますと私は答えた。待合室で待つ間、オルゴールの美しい音色が「きよしこの夜」を奏でていた。涙が、こらえきれずに溢れてきた。クリスマスなのに。どうしてこの子はこんなに苦しまないといけないのだろう。前の日から張り詰めていた精神の疲れもあって、私は待合室で泣いた。(つづく)



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みゆちゃん物語(前篇)―大けがの子猫

 二年前の12月19日。みゆちゃんが、我が家へやってきた日である。それは、元気な子猫を家族が笑顔で迎えるような状況ではまったくなかった。

 その日の夜、夫と私は静かな住宅街を車で走っていた。他愛もない会話をしながら、明々とした光の漏れるコンビニエンスストアの横をすぎて、ふたたびあたりが夜に沈んだとき、道路の先の、ヘッドライトの向こうに何か白い塊が見え、次の瞬間、それは必死の眼光で路上に横たわる猫に変わった。急ブレーキを踏む。危うく轢くところだった。車を降りて駆け寄ってみれば、子猫である。下半身がぐったりと地面に貼りつくような格好で動けない。車にはねられた直後らしかった。息はある。前足を踏ん張って、ショックと興奮のために、目は異様な光を帯びていた。口元と肛門からは血が流れていた。
 もうだめかもしれないと思いながら、私たちは子猫を車に乗せて、獣医を探した。時間は九時半を回っている。診察時間はとうに終わっているだろう。膝の上の暖かな命が今にも消えそうで、わたしの心身は緊張した。
 道の向こうに、まだ明かりのついた動物病院の建物が見えた。間に合った。しかし、車を降りて呼び鈴を鳴らした途端、部屋の明かりは消えた。再度ベルを押しても誰も出て来ない。今にも消えそうな命がここにあるというのに、誰も扉を開けてはくれなかった。
 結局、実家の猫がいつも世話になっている病院と電話がつながって、診てもらえることになった。
 子猫の診察をした獣医の説明はこうだった。
 骨盤の複雑骨折と、おそらく腰椎も損傷しています。このままショックで死ぬ可能性もありますし、助かったとしても、下半身麻痺になるでしょうから、車椅子ということが考えられます。車椅子でも生きていてほしいと思うか、それとも、車椅子なんてかわいそうだから、このまま安楽死させる方がいいと思うか、それは価値観の問題ですから、あなた方で選択してください。
 頭が真っ白になるような内容だった。安楽死。車椅子。子猫にとって、どちらがよりよい道なのか、そんなことはわからない。だが、私は子猫を助けるために病院に来た。診察台の上で前足を踏ん張っている子猫を見た。自由のきかないからだで、前へ進もうとしているかのようだった。それが、私には子猫が生きようとしているように見えた。私は、あるかないかもわからない、一縷の望みに賭けてみることにした。
 ショックを抑える注射と栄養剤を打ってもらって、私たちは、子猫を家に連れて帰った。
 段ボール箱に古シーツを敷き、子猫を寝かせた。夫はいらなくなったセーターを、震える子猫の掛け布団として寄付した。二人で段ボール箱のそばに座って、子猫をただ見守った。白い毛に、頭と尻尾のところだけ三毛の模様がついた、きれいな子猫だった。(つづく)


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かつら屋の猫

 かつら屋のショーウインドウに、猫がいた。
 かつらを被った頭だけのマネキンが並ぶ、その間に、招き猫の模様のついた赤い座布団を敷いて、薄いグレイのキジトラの猫が丸まって眠っていた。
 丸い毛の塊みたいに見えるので、最初何かしらと思ったら、本物の猫だった。
 かつら屋の猫は、いつも丸まって眠っていた。かつら屋は南を向いているので、天気のいい日、ショーウインドウはサンルームとなった。太陽の光が眠る猫の背中に集まって、猫の感じる暖かさが、寒い通りから見えるようだった。
 ある日、かつら屋のショーウインドウに、猫の姿はなかった。招き猫の模様の赤い座布団だけが、寂しく陽光を浴びていた。ショーウインドウに溜まった光は、どこか無機的に透明だった。
 それから、かつら屋の猫はいなくなった。
 やがて、招き猫模様の赤い座布団も片付けられた。ショーウインドウは配置換えされて、猫がいなくなった空間には、黒い招き猫が遠慮がちに座った。
 かつら屋のショーウインドウは、がらくたの入った飾り棚みたいに、古く悲しくなった。


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