ねこ絵描き岡田千夏のねこまんが、ねこイラスト、時々エッセイ
猫と千夏とエトセトラ
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鎌倉名物「鳩サブレー」
おばあちゃんが取り出したのを見て、自分ももらおうと大慌て。
散らかったおもちゃにつまずいて、すってんころりん転びました。
そのあとを追いかけるのは食いしん坊のタマ。
袋を開ける音に反応、とにかく駆けつけたけれど、鳩サブレーだとわかってがっかり。
かわりにカニカマもらいました。
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めだかの卵と石巻貝
2008年07月30日 / 魚
そのうちの一匹がお腹に卵をくっつけているのを、今日見つけた。
よくは見えないけれど、わりと大きな塊だから、五つほどついているのではないかと思う。
めだかの卵には粘着性のある糸状のものがついていて、母めだかは卵をしばらくお腹にぶら下げたあと、水面近くの水草に付着させるのだが、そのための水草が家の水槽にはない。そこで自転車に乗って、近くのホームセンターへ水草を買いに行った。
水草のついでに石巻貝という貝も二つ買った。この貝は、水槽のコケとか有機物を食べてくれるらしいので、あまり自分では掃除しない水槽の水が少しはきれいになるかと思って買ったのだが、めだかが18円なのに対し、貝のくせに、といったら貝に悪いけれど、68円もした。巻貝なんて、そこらの川の中にいくらでもいると思ったけれど、めだかはともかく、金魚は意外とデリケートで、前にタニシやら赤虫やらがいろいろくっついた水草を水槽に入れたら、悪い菌が入っていたらしく病気になってしまったので、しかたがない。
帰って金魚とめだかの水槽に、それぞれ貝と水草を分け入れた。今度のめだかの卵が孵ったら、もうそれが何代目になるのだか忘れてしまったけれど、たった二匹では寂しいから、元気に育って欲しい。
※余談だが、貝を水槽に放ったあとで、石巻貝は、ひっくり返ると、場所によっては自分で元に戻れず、そうなると金魚に食べられてしまうこともあるということを知った。私の貝は緑色の水の中をゆっくり転がるように沈んでいったが、水槽の底でどうなっているか、見えないからわからない。石巻貝の無事を祈る。
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猫と雷
2008年07月29日 / 猫
夜になっても雷は轟いていたが、みゆちゃんはさほど気にするふうもなく、ソファで眠っている。ときどき大きな音がすると、頭を上げてぼんやり部屋のどこか一点を見ているが、いつもの猫らしい、無表情ともいえる冷静な横顔で、内心がどうなのかはわからないが、怖がっている様子はうかがわれない。
雷や花火の音で犬がパニックをおこすということを聞くけれど、猫は、大きな音に対しては犬より平気なのだろうか。そのあたりのことが知りたいと思ってネットで調べてみたけれど、特に両者の差を述べているものは見つからなかった。
もっともちゃめは、普段のおてんばぶりからは意外だが、雷の音が怖かったのか、昨日は一日、父のそばに張りついていたそうである。猫それぞれということか。
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夏の夜、考えるネコ
2008年07月28日 / 猫
庭に寝そべって、眠るわけでもなく、何をしているのか、頭をちゃんと上げて、何かを見て聞いている。
そんなときのみゆちゃんの横顔は、まるで哲学とか数学みたいな難しいことを考えているかのように見えるけれど、実際は、地を這う虫の音や、草むらを飛ぶ虫の動き、近所の猫が塀の向こうを通る気配など、自分の住む世界のさまざまなことを感じ取っているのだろうと思う。
窓をちょっと開けて、みゆちゃん、まだ中に入らないの、と聞くと、顔だけこっちに向けて「にゃー」とか「んー」とか鳴いて、ちっとも動かない。「まだ入らにゃい」ということである。
熱心に考えごとをしているなあと思いきや、冷蔵庫から乾しカマの袋を取り出して、みゆちゃん、これあげようと誘うと、みゆちゃんはさっさと冥想を切り上げて、にゃーんと鳴きながら駆け戻ってくるから、猫らしい物思いで大変結構である。
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画家の描く京都の美
さまざまな画家が描いた京都の絵を集めたもので、知っている風景が、画家の目を通せばこんな風に描かれるのかとか、あの町並みが昭和のはじめ頃はどんなだったとか、今も変わらない自然の風景など、興味深いものだった。
たとえば、嵐山といえばもうすっかり観光地になってしまった観があって、そこに情緒とか趣を見出すことは難しいと思っていたのだけれど、林潤一の描く「渡月橋」は、青い色調の画面に静かな山が横たわり、桂川に渡月橋が凛と架かっていて、やはり嵐山は歴史的な名所として古くから愛されてきた情緒をその本質に持っているのだろうということを、画家の目を通して再発見したような気になった。
ほとんどの絵画が、現実以上に京都の美しさを感じさせるものであった中で、洋画家麻田浩の「北山杉」は、父で日本画家の麻田辨自が描く幻想的な「雲母坂」(きららざか、比叡山山頂へ至る古道)とは対照的に、一種異様な感じがした
麻田浩は退廃的な絵を描く人で、彼の「北山杉」も例外ではなく、まるで廃墟のような末期的な暗い画面に一本の杉が立っていた。麻田浩の絵は嫌いではないが、展覧会の全体の雰囲気とは相容れないような感じがした。それだけに印象的で、記憶に残った。
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御手洗祭
この日、京都の最高気温は37.3度で、私が行ったのは午後1時を回った頃だったから、もう相当気温が高くなっていたと思われるけれど、下鴨神社を取り囲む糺の森の木陰は、街中などに比べるとずいぶん空気が涼しかった。
史跡・糺の森は、昔からの植生が今なお残っていると言われており、少し離れたところに立つビルの屋上などから眺めると、明らかに、その辺に生えている街路樹よりもはるかに背の高い木が威圧的なまでに鬱蒼と茂っていて、世界遺産に指定されているというのもうなずける。
その森の中に続く参道を抜けて境内に入り、燈明代を収めて、輪橋のたもとから池に入ると、とくに橋の陰になっているためか、水が驚くほど冷たかった。ろうそくを供える御手洗社に向って池は水路のように長く湾曲した形になっているのだが、水路の真ん中あたりはすぐに膝の辺りまでくるほど深くなっているから、初めて御手洗祭に訪れる人は、まず水の冷たさに驚き、次に意外な深さに驚く。子連れのお母さんたちは、荷物や燈明のろうそくで両手がいっぱいで、子供たちの服がずぶ濡れになることを心配しながらも、自らの裾が濡れないように歩くのが精一杯なようである。
御手洗社の前まで来ると、水路の幅はずいぶん広くなって、夏の太陽が降り注いでいるから、ところどころで、水がぬるくなっている。用意のいい子供は水着に着替えて、そうでない子は服のまま、あるいはパンツ姿になって、水遊びをしている。プールとはまた違って、楽しいに違いない。
足から伝わる心地よい水の冷たさと、首筋に照りつける暑い日ざしが、とても夏らしく感じられた。
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ひんやりするニャ…クールマット
2008年07月23日 / 猫
袋から開けて触ってみると、なるほど、ひんやりしている。さっそくソファの上に置いて、みゆちゃんに勧めてみた。
が、みゆちゃんは、ちょっとふんふんとにおいを嗅いだだけで、さも関心なさそうにマットの上は素通りして、横に並べて置いてあった座布団の上で横になった。
ひんやりするのに気がつかなかったのかしらと思って、抱き上げてふたたびマットの上に置こうとすると、足を突っ張って、無表情で向こうへ行ってしまった。
無駄な買い物だったかなと思っていたら、次の日に外出から帰ってきたとき、みゆちゃんがクールマットの上でのびのびと寝ていたので、ほっとした。
どうやら、前日お披露目したときには部屋にエアコンが入っていたから、クールマットを使って寝るほど暑くなく、みゆちゃんにとっては座布団のほうが快適であったようだ。それが昼間エアコンを切って一人でお留守番するときには、ちゃんとクールマットが涼しいことを知っていて、ひんやりのびのび寝ていたのである。
それ以降も状況に応じてクールマットを使ってくれているからよかったが、相変わらずエアコンを入れているときには、私の椅子で眠っている。
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ルノワール+ルノワール展
印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールとその次男でフランスを代表する映画監督ジャン・ルノワールを取り上げた企画展で、2005年にパリで開かれて大反響があった展覧会とあってか、また最終日の前日とあってか、かなりの人出があった。
人の流れに押されるように階段を登って三階の会場まで登ると、当然そこも人だらけで、立ち並ぶ人々の頭の向こうに、ルノワールの絵が見えた。
日本画の作品は、ときどき展覧会に行ったりして見る機会が多いから、どの画家がどんな画風であるかということが最近になってようやく少しずつわかりかけてきたが、洋画はというと、実はよく知らない。ルノワールが有名な人なのは知っていたけれど、どんな絵を描く人なのかは知らなかった。
人込みの向こうに明るく浮き上がった女性の肖像画を見てまず思ったことは、目がきれいだということだ。絵の全体は優しい色合いで、くっきりとした線などないのに、こっちを見る黒い目は、澄んでいて力があった。
はじめにそう思ったものだから、顔のあたりにばかり注意がいってしまったのだが、ルノワールが描く多くの人物画は、どれも表情が豊かで魅力的である。
机の上で何かの作業をする男の一生懸命な顔。膝に乗せた幼子と一緒に、テーブルの上の食べ物を手に取る女性(はじめは母子の絵かと思ったのだけれど、説明を見たら、幼いジャンと、乳母を務めたルノワールの妻の従姉妹であるらしかった)。
展覧会のポスターにもなっていて、傑作と名高い「田舎のダンス」という絵についても、女性の喜びいっぱい幸せいっぱいの笑顔がいきいきと描かれている(ちなみに、この女性が後のルノワールの妻であるらしい)。
ルノワールの絵のあいだあいだには、その絵を彷彿とさせる息子ジャン・ルノワールの映画の一場面が、白い壁に映し出されている。
躍動感溢れる映画の中で踊る女性の表情が、「田舎のダンス」の幸せそうな女性の顔とそっくりであった。
(イラストは本文と関係ありません…)
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蝉の抜け殻にまつわるあれこれ
2008年07月19日 / 虫
今朝庭に出たら、伸び放題になっている羊歯の葉の先に、昨日はなかった蝉の抜け殻が、足を折り曲げてしっかりとぶら下がっていた。子供に見せようと思って手に取ったら、ふにゃふにゃと柔らかくて、数時間前まではまだ中身が入っていたのかもしれないと思った。
ここに引っ越してきたのは何年か前の冬のはじめころで、台所から見える庭の塀に、ずいぶん高いところまで登りつめて羽化した蝉の抜け殻が、夏の名残のようにぽつんとしがみついていた。
その抜け殻は、次の年の夏に来た台風の風でどこかへ吹き飛ばされてしまったのだけれど、しばらくするとまたほとんど同じ場所に新しい抜け殻がついているのを見つけた。
大学の文化祭で、クラスとかサークルとかで出しているにぎやかな模擬店の並びから少し離れた木の下に座って、蝉の抜け殻をひとつ10円で売っている学生がいた。一辺が30センチくらいの立方体の箱に、蝉の抜け殻がぎっしり入っていて、売っている本人は、両方の耳たぶと、襟元のボタンに蝉の抜け殻をつけて、イヤリングにどうですかなどとのんきな口調で呼びかけている。一緒にいた友達は気持ちが悪いと言っていたけれど、私は、彼が夏のあいだひとりで蝉の抜け殻を集めているところを思い描いたりして、可笑しかった。
しばらく様子を見ていたら、5、6歳くらいの女の子が学生のところへ駆け寄ってきて、何か言った。学生は、落としちゃったの、しょうがないなあ、じゃあもう一個持ってっていいよと言って、女の子に新しい抜け殻を渡していた。
今年初めての蝉の声は、まだ耳に新鮮で、夏が来たことを実感させられるけれど、その大合唱も、すぐに意識の外へ追いやられてしまうだろう。
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