新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

武田勝頼本陣地址である長篠山医王寺を参拝する…

2022-07-27 06:30:02 | 歴史史跡

長篠城の戦いにおける武田勝頼本陣地址である

長篠山医王寺を参拝する…

 

もともとこの場所には、利修仙人が鳳来寺山の杉を以って彫像したという薬師如来と、行基菩薩が彫刻したとされる阿弥陀如来の二木像が祀られた堂宇があって、真言宗の寺として、医王寺は開かれたらしい…

その小庵が、かつては鳳来寺の真言宗学頭・医王院の末に連なっていたという経緯で、寺号は長篠山医王寺と定められ…これには本尊・薬師如来の異名が「大医王仏」であることも起因している…

室町時代の僧・琴室契音が大洞山泉龍院の末寺として1514年に開創…

ただし、琴室契音は自らに因る開山を望まずに、師である克補契嶷大和尚に開山を拝請

克補契嶷大和尚、その後の二世に琴室契音は大和尚により、さびれた堂宇を改築し曹洞宗の寺として、長篠山医王寺は今日に至るとのこと

でもその間、開山当時の長篠城主である菅沼元成、後代では野田城初代城主の菅沼定則から梵鐘を寄進されるなど、菅沼一門の厚い庇護を受け

さらには、1575年の長篠城の戦いでは、甲斐の武将 武田勝頼公がここ医王寺にて本陣を張るなど…戦国時代の渦に巻き込まれ…

長篠城の後、織田信長と徳川家康との連合軍がやってきたとの報を受けると、山県昌景や馬場信春などの諸将と軍議が開かれた場所でもあります…

 

 

駐車場近くに井戸がありました…

 

屋敷跡にあったものを、ここに移設したとのこと…

いど(井戸)だけに…いどう(移動)した…ということですね!…(笑)

 

早川孝太郎の碑

郷土の誇るべき芸能と民俗を紹介するため、各地をくまなく歩いて採訪し、巧みな画法をも生かし、淡々と真実を語りかける文章を数多く残した偉大な民俗学者…とのこと…もちろん、これ、ググってみました…

 

さて同じく…駐車場と山門の間には弁財天が祀ってある「蓮池」

 

 

 

さらには、山門の脇には弥陀が池と呼ばれる池が在り、「片葉の葦」の伝説で知られる池がある…

 

長篠設楽原の戦いの出撃前夜、武田勝頼公の夢枕に老人が現われたそうな…
老人は勝頼に「戦わない方がいい、撤収せよ!」と戦を避けるように勧めたが、勝頼は怒り、太刀にて老人の腕を切り落としたそうな
翌朝、境内の弥陀が池を見ると、茂っていた葦が全て片葉になっていたという…以来弥陀池の葦は片葉のものが多くなったとか…その老人は「葦の精」だったんじゃないか…といういい伝え…

 

人の忠告が聞けない武田勝頼公が、ウイルスが襲ってきてるのに、国民の心配ごとをきかず、オリンピック開催、有観客一辺倒で、もうやると決めてた某菅元総理と被ってみえたのは、私の気のせいでしょうか…

オリンピック開催後は、武田勝頼軍のように、新型コロナウイルスにやられっぱなしにならなければいいけど…

ああ、また第7波が、やってきちゃいましたね

 

そんなことを思いながら参拝へと…

歴史を感じさせる山門

 

 

これが、その手前にあった境内図…

 

 

さてさて山門をくぐると

その左右には、もともとは、本堂の屋根先の両側に置かれていた

稚児鬼

 

そして旧本堂の鬼瓦

 

本堂に向かう両側には、お地蔵さんが立ち並び…

 

 

これは、井戸跡でしょうか…

 

おそらく武田勝頼も眺めていたと思われる「くろがねもち」の木

 

本堂の横には、梵鐘…これが野田城初代城主の菅沼定則から寄進されたものでしょうか…

本堂の手前には仁王像が…

 

 

めちゃめちゃ怒ってますなあ…というよりも驚いてますなあ…

きっと、オリンピックを猪突猛進で進めるがために,ザルのように大雑把だった、新型コロナウイルス感染症対策における国の水際対策のユルさに怒っているに違いありません!!

 

 

オリンピック開催、ちょっと待てよ!!

私には、そう思えて仕方がなかったのですが…

 

ではでは、本堂にて合掌!!

 

 

どうか、新型コロナウイルスが、これ以上蔓延しませんように…と

さらには医王じゅうじしゃ…もとい…医療じゅうじしゃのみなさんが、楽になりますようにと…オヤジギャグを盛りこみながら合掌!

 

 

さてさて、この本堂の横には…

お寺の境内には珍しい…

私の大好きな…大好きな…無料で入れる

 

民俗資料館なるハコモノが…

 

このポストに手紙を入れると永遠にこの中に入ったまま、配達されないと思います…

 

おお、いかにも民俗資料館らしい…民俗資料館によくある江戸時代の農機具、唐箕

 

 

 

中は、もう、民俗資料館というよりも、古い民具の倉庫に近い感じ…

 

天井に展示してあるこれが、落ちてきたら大変なことになるな…だけに「ワ~!!」と叫ぶだろうなと、私のしょーもないオヤジギャグに杞憂しながら…苦笑

 

 

 

 

ただし、お寺に関係あるもの、戦国時代の長篠城や武田勝頼に関連するものが展示してあるその範疇を超えて…なんでもあり…民俗資料館という名の「バーリトゥード状態」…この倉庫に「なんでもあり」って感じで置かれていて…埃っぽさも、タマラナイ…喘息等持病持ちの人は、あまり長時間は…いない方がいいかも…

 

 

お寺なのに…お寺なのに…

「三河大草駅」での駅名表示の看板 …それも新城市富保にかつて存在した豊橋鉄道田口線(旧・田口鉄道)の看板が…

これは、鉄ちゃんなら、ご本尊以上に拝んでおきたい一品かも??

田口線の廃線に伴って1968年廃止された駅名表示の看板 

 

さらには

時刻表まで…

 

鉄ちゃんはレッツゴー???

 

さらには、戦争に関するものも…戦争といっても長篠城の戦いのものではありませんよ!

 

 

真珠湾攻撃に散った方々が、まるでアイドルのブロマイドのようにも思え…

この絵なんか…ちょいと夢にでてきそうな…恐怖を感じる画で…

戦争後に平和が訪れる…

郵便局員の帽子とかばん…まだ民営化になってないころのものですね…(笑)

レコ―ドプレーヤー

おそらく流していたEPレコードは

「南の島のハメハメハ大王」…

「南の島のハメハメハだいおう」…「…だ医王(寺)」

お粗末っ!

レジ計算器

お会計は920円…医王(いおう)…もとい…以上(いじょう)になりますってね!

たぶん、使いすぎて、異常(いじょう)が生じたに違いない…でも、大丈夫、そんなときには「そろばん」がある!!

あ、そろばんも壊れているやないか!!

 

 

さてさて、埃っぽい民俗資料館から外に出ると

その隣には「三社堂」

 

 

向かって右から

「太子堂」

 

中央には「白山大権現」

 

左側には

「稲荷大明神」

 

その裏手には、紫陽花苑…

 

あ、実際(あ、じっさい)ちょうど、あじさい(紫陽花)の花の咲くいい季節に参拝出来てよかったなと…

 

さてさて民俗資料館は、上記に紹介したものだけ…ではなく…

な、なんと寺務所の2階も民俗資料展示室になってまして…

こちらは、先ほどの民俗資料館のような倉庫にいるかのような埃っぽさはまったく感じません!!

 

 

2階の入り口には、昔の庫裡を支えていた柱の展示と解説板

 

 

 

 

2階にあがれば、薄暗かったので

 

 

暗かったので、電気をつけてみました…(笑)

明るく、展示品がみやすくなりました…

でんとう(電灯)をつけるとでんとう(伝統)の品々がよくみえる!!…なんてね!

まあ、暗いと何かに蹴躓いて、でんとう…ならぬ…てんとう(転倒)する怖れがあるからね!

まあ、予想通り誰もいませんが…

100パーセント、ソーシャルディスタンスが保てて「安心・安全」…スガ元総理の提示したオリンピック大会開催に向けての、安心・安全より…ウンと「安心・安全」

 

な、なんとここには

あの長篠の戦いに使われたという「六十二間兜」が…

 

 

他にも長篠城野牛門の瓦などが…

 

そんな長篠合戦記の展示

 

 

他にも…展示品はいっぱい…

 

上記に紹介したとおり、戦国時代の長篠城や武田勝頼に関連するものが展示してあるけど…展示品はその範疇を超えて…なんでもあり…民俗資料室という名の「バーリトゥード状態」…

 

「奥三河の岩石」

 

を拾い集めたのでしょう…相当なる「いし(意思)」をもって…をもって…(笑)

 

実見台???

初めて聞く言葉でした…要は触っていいということでしょうか…

 

右手の箱の中には、教科書が…

一つ一つの感じは読めますが、何を意味しているのか、さっぱり分かりません!

 

土人形がずらーと所狭しと並べられて濃厚接触…

 

 

何故か、天狗…のお面…

 

 

鼻がめちゃめちゃ長いんです!!

 

 

 

 

 

手足がなくなりつつある達磨さんでしょうか

 

時代は江戸から明治へ

 

 

蓄音機

おそらく流していたEPレコードは

「南の島のハメハメハ大王」…

「南の島のハメハメハだいおう」…「…だ医王(寺)」

もう、このオヤジギャグも使いまわしの2回目だー!!

 

「旅順から原爆まで」

 

 

ここにも、展示してありました…戦争遺品…戦争といっても長篠城の戦いのものではありませんよ!

 

 

そして、やはり鉄ちゃんなら、ここにこないと…

懐かしの「田口鉄道」のセピア色に焼けた写真が…

 

 

これにて、民俗資料展示室

正直、ここは、武田勝頼本陣地址だーって、ことで参拝しにきたのに…

この民俗資料館及び民俗資料展示室の寄せ鍋状態の溢れんばかりの展示品に圧倒されちゃった気が…

 

 

私の心の中では、武田勝頼が…田口鉄道の「三河大草駅」跡に立って、「廃線(はいせん)だー!(敗戦)だー!!」と嘆いている図が…

 

おお、我ながら上手いこと言うた…(笑)

オチも決まったところで

 

 

この物見櫓(展望台)のある医王寺の裏山…

あ、実際に、武田勝頼が本陣をはった場所に向かうとしよう!

 

あ、実際に…(あじさい…に)…ねっ!

 

 



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