新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

関ヶ原にて…壬申の乱…の史跡巡り…の巻

2019-07-03 06:47:52 | 歴史史跡
壬申の乱



中大兄皇子こと天智天皇が崩御(お亡くなりになった)した672年


皇位継承をめぐって、天皇の弟の大海人皇子と、天皇の長男である大友皇子が争い…


結果、大友皇子は敗北して自害し
その翌年、大海人皇子は即位して天武天皇となった


その壬申の乱…



読者のみなさんの多くが
壬申の乱の名前は知ってても
実際、どこで行われていたのか…
なんてことは…知らない方が多いはず…???




私が…実はそうだった…のでして



まあ…
近江地方のいろんなところで戦っていた…というのが
その答え


近江・大和、河内、伊賀といろんなところで大海人軍と大友軍の戦いが行われていた…


んですが…




「関ヶ原の戦いの陣地跡」を訪ねにきてた
この関ヶ原も…

応仁の乱の舞台だったんですねえ…





「壬申の乱」の起こる前
大海人皇子は、村国男依ら少数の従者を伴って吉野を発つと、一目散に美濃に向かい




ここ美濃・不破道(ふわのみち)を抑え東国を掌握…
この不破道は東国への出入口となっており
ここを押さえたことで、ウンと大海人皇子が優位に立ったとか


で…野上行宮へと進んだ大海人皇子は軍を指揮し
関の藤川を挟んで大友軍と対立…


ここ玉倉部(不破郡関ヶ原町玉)で最初の戦闘が開始されたとか…



ということで





今回は
「壬申の乱」をめぐる旅を
ぜひご一緒に楽しんでもらおうかと…





まずは
今は畑になっている
不破関庁舎跡











に残っている

「沓掛石」










なんでも
壬申の乱にて大海人軍は、桃配山を出て西へ行軍し
関ケ原松尾付近で大友軍に詰め寄ったとき
ここで大海人皇子が
くつを脱いだ時、足をかけた??とか…


さらには

その近くには

大海人皇子が
兜を外して掛けた石


「兜掛石」が!








たかが
兜を掛けただけの石??のはずなのに
小さな祠に祀られておりました…


他にも
そんな石…
いっぱいありそうだけど


私が大海人皇子だったら
他のいろんなところで
兜を脱いだり、沓(くつ)を脱いだりしそうだけどな…




と思いながら




さあ…
ここから…私の気持ちは
大海人の軍の一員になって…大友軍に攻寄るぞ!!


なんていった
妄想を描くことなく…苦笑


だらだら…だらだら…
歩いて…



この川…この場所が
藤古川









この川を挟んで東側に大海人軍
西側に大友軍が陣とって
激戦を繰り広げたとか…



さてさて
川を渡って
今度は大友軍が陣とったエリアへ…



これは
箭先地蔵堂







その横にあったのが

壬申の乱の時、大友軍の兵士が飲料水を求めて
掘ってできた井戸だそうな…


矢尻の池

井戸だけど「池」


大海人軍に
攻めて「池!!」(行け!!)


なんていった
小学生的発想を思い描いて











そして
今度は
「戦国ロード」へと…足を進めると






ここを流れる川は


「黒血川」








なんでも
ここ山中藤下の地で
両軍初の戦いが起き
兵士の血で岩石を黒く染めたことから
この川の名前がついたとか…



ただの川…ですけど
このネーミングだけでも
不気味で…
ホラー要素満載ですな…

夜中には…
ここを…ちょっと歩きたくはないですよね…


さて…
その川の看板のある小山の階段を
ちょっと登ると
そこにあるのが…


 
「自害峯の三本杉」









壬申の乱に破れ
自害した大友皇子の首を
ここに葬り…その印として
3本の杉を植えたとか…










ここは
弘文天皇(大友皇子のことね)御陵候補地とされているとか…



いやあ…
ここに立っている時には
雨がめちゃめちゃ降ってきてて
大友皇子の無念が雨を降らしているのではないか…
と錯覚しちゃいそうでした…





ここからは
その弘文天皇(大友皇子のことね)を祀っていると言われる



藤下の若宮八幡神社へと
歩いて…歩いて…



途中…
あまりにもの激しい雨に


関ヶ原宿の面影を残す
「立場」





雨宿り…






江戸時代の旅人も
ここで…こうして休んで休憩してたらしい…



雷がゴロゴロいってまして…
叩きつける雨…


この不穏な天気…
まさに…関ヶ原…といったシチュエーションにぴったりかも知れないけど
足元ずぶぬれで
テンションはさがりながらも
曇天を睨みつけてたら



雨が小康状態になってきた…笑

ようやく
この
「立場」から離れ
やっと向かえたのが

藤下の若宮八幡神社






参道の途中には
踏切を渡ります…








「踏切を渡るときには電車がこないかちゃんと確認して渡ってくれるかな???」



「おおとも!!!」(大友!!!)


もとい…



「いいとも!!!」…汗






















なんか…
この神社よりも
雷にうたれた倒木の方が気になった私…






さっきから
ずっと
雷がゴロゴロしてるんだよね…


いやあ…
ここに立っている時には
雷がめちゃめちゃゴロゴロしてて
大友皇子の怨念が雷をゴロゴロさせているのではないか…
と錯覚しちゃいそうでした…








さてさて
大友皇子を祀ってある神社に寄ったなら

今度は…
大海人皇子が祀ってある神社にも
手合わせしておかないと…
それは…不公平極まりないかと…

そう思って

車を走らせて寄ったのが


井上神社



















ここは
天武天皇…そう大海人皇子が祀ってある
神社なんですね…







傘をもっていても

♪問題は 今日の雨 傘がない
行かなくちゃ!君に会いにいかなくちゃ!~





と歌いたくなるのは
なぜ???


それ
井上神社とは関係のない
井上陽水やないか!











さて…さて
最後に…軽四を走らせたついでに
立ち寄ったのが


桃配山を通り過ぎて大垣方面に向かったところにある



野上行宮跡










大海人皇子は
この野上に行宮を興して
ここを本営としてたとか… 


なんでも
大海人皇子の首実検も
この地で行われたそうな…























わずかな石垣が当時を偲ばせるものとして残っているような…



以上で
関ヶ原での「壬申の乱」をめぐる旅は終了…



最後の写真は

不破関資料館横にあった
廃墟っぽい謎のゲート…





ピースプレィ不破の関
共存共栄全世界の平和





なんか怪しげな宗教の匂いも漂ってくる感じもしますが…
廃墟感満載で
なんの施設だったのか
まったく意味不明だけど


そこにあった
「かえる」のオブジェに促されるように??
「かえる」とする…




でも
そこにあった
「かえる」だらけの石碑






まあ…
これでごもっともかも知れんけど…
ちょいと引っ掛かるのが



「浮気の人も家かえる」???



まるで
浮気肯定派???


「家に帰ればいいんだ…」みたいに???


浮気相手に「妊娠」が発覚して

これぞ…「じんしん(壬申)の乱」

ならぬ


「にんしん(妊娠)の乱」



「妊娠??とんでもないって!!
浮気相手に気持ちは「のらん」から…」





浮気した夫が主張する


「ほんしん(本心)のらん」からと…


「にんしん(妊娠)の乱」VS「ほんしん(本心)のらん」




大海人皇子のような妻と
大友皇子のような浮気した夫…



勝敗の行方は
誰しもが察するところ…???






いかん!いかん!!

得意の妄想癖が大爆発してしまった…
そんなしょーもない妄想癖は
断ち消して



もう「かえる」



















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