「栄ミナミ音楽祭2019」
矢場公園にて
「ケイタク」
千綿偉功さんと
連続してステージを楽しんだ後は
一旦
ナディアパークの2Fアトリウムのステージに移動して
初めて観た
小松原沙織さんのステージを堪能し
その次の私の楽しみは
矢場公園のステージでの
伊藤秀志さんと三浦和人さんとのデュオ
「八事交差点」
小松原沙織さんのステージが
終わり次第
即
矢場公園へと…移動…
リハ中に
三浦和人さんが語る…
「「八事交差点」というグループですが私は昔、「雅夢」というグループをやっていましたと…」
その話に沸き起こる拍手…
「その拍手は、私を知ってるという意味でしょうか…笑
名古屋からでたがや…デビューは名古屋だがや…
気色悪い名古屋弁でスミマセン…」
わざとらしい名古屋弁を発したところで
ここで
司会者の紹介を挟んで
楽しみな楽しみな
「八事交差点」のライブの
始まり!はじまり!!
まずは
三浦和人さんの歌から始まって
伊藤秀志さんと交互に歌う
村下孝蔵さんのカバー曲の
「初恋」
から
サビは伊藤秀志さんがハモる!ハモる!!
甘酸っぱい…懐かしさを感じるこの歌…
この歌が流行っていた頃は
おそらく
私は…ロックンロール大好き…ブルース大好き青年だったので
こういった村下孝蔵さんのフォークは…
実は…熱心には聴いてはいなかったんですが…
この歳になると…この歳になってきくと…
めちゃめちゃいい歌ですね…心に沁みる!沁みる!!
♪遠くで僕はいつでも君を探してた~
ああ、初恋って…
こんな感じだったんだよね…と
懐かしさをも感じながら
二人の歌が…
哀愁が…漂っててめちゃいいんだよね…
三浦さんが
こういう場所なので、ぼくらのオリジナルばかりやっても迷惑かなと思って
一応みなさんに忖度して、カバー曲を歌ったと笑わせながら…
譜面台の歌詞カードが風でめくれないかを気にしている
三浦さんに対して
伊藤秀志さん
「ペロッとめくれちゃうと違う歌になっちゃうよ!!」
と笑わせる一言…
なんでも
秀志さんのいうには村下孝蔵さんは、秀志さんと同じ年のデビュー、1981年なんだとか…
それに対して
三浦和人さんのデビューは1980年
秀志さんは
中京大学フォークソングクラブの大先輩だけど
デビューは三浦和人さんの方が1年早いとか…
続いても
カバー曲
「22歳の別れ」
歌うは三浦和人さん
ハモる秀志さん
つま弾くギターで魅了してくれる伊藤秀志さん…
その音色が実に心地よくて…
ヒット曲というのは
歌ってても気持ちがいいと語りながら
次の3曲目もヒット曲です!と
そろそろ僕らの歌を歌ってもと
「愛はかげろう」
悲しげなイントロ
そして
歌からくる
切なさは…しばらくは心の中にとどまって…
なんか
唐突に
おそらく…私が中学生の頃…
「ザ・ベストテン」というtv歌番組で
中京大学からの生中継で、歌っていたような…
そんな記憶が…心に甦ってきました…
そーいえば
同じ頃かな…
チャゲ&飛鳥の
「万里の河」という曲と「ひとり咲き」という曲が
フォークと言うよりも
歌謡曲っぽくって
好きで…好きで…
「愛はかげろう」という曲もそんな感じで
割と好きだったような…
…と考えてみれば
どれも…どれも…失恋の歌…
私…今思えば
どんな中学生やねん!!って感じ…
三浦さん
名古屋で生まれた歌、瑞穂区駒場町で生まれた歌だがや、と
またまた、わざとらしい名古屋弁で
なんでも60歳過ぎても
オリジナルキーで歌っているとか…
「22歳で作った歌だけど…~窓ガラス流れ落ちてゆく雨を 細い指先でなぞってみる男はどう??…笑…それだけではなく、それが、指先に伝わる冷たって心にしみて…そんな男をどう思う??…笑…それでも、まっとうに生きてきましたからね…笑」
と笑わせた後には
ここからは
三浦さんと秀志さんの思い出話のMC
デビューは39年前、中京大学の4年生のとき
秀志さんは4年上、フォークソング同好会をクラブにした大先輩…
三浦さんは卒業したけど…
秀志さんは???とか
なんでも
秀志さんは、大学も行かずに女子大小路で流しをやってたそうで…
月に80万くらいは稼いでたとか…
秀志さんが言う
「でも、好きな歌は歌えないよ
♪そばにいてくれるだけでいい~
こんなんばっかり」
三浦さんが言葉を添える
「あの当時の女子大小路は、いつもこの歌が流れていたらしい??」
さてさて
三浦さん
還暦を迎えて61歳になったときに
音楽評論家の富澤一誠さんから、歌ってほしいと言われた歌を
生まれて初めて、自分が作っていない歌を歌ってシングルCDを出すとのことで
作詞が五木寛之さんなんだって
そう「青春の門」の…
で、作曲は
♪千の風になって~とモノマネ込み???で
その「千の風になって」を作曲した新井満さん
みなさんもいろいろ人生をここまで歩んでこられてるけど
それが
今の自分の立ち位置や理想としたところじゃなくても、
今大事な人を養い、守って何十年もやってきた…
それって改めて思うと…みなさんが、頑張ったからだと
そんなことを、五木寛之さんが作詞で
自分にありがとうって書かれている、そんな詞なんだそうな…
それに惹かれて…三浦さんは歌うことにしたとか…
よかったら…なんて言いません…
ぜひ、買ってくださいと、三浦さん
そこで秀志さん
「ひょっとすると、あなたのお尻の下に買わなくてはいけない予約券があるかも…」
三浦さん
「それ、ケツ印っていうんだけど…」
と言っておきながら
三浦さん
「ちょっと言葉が浮かんだ…ウケると思ったけど…ちょっと恥ずかしかった…笑」
と
さてさて三浦さん
気持ちを変えて…笑
「きのう きょう あす」
しっとりと温かさが伝わってくる…
秀志さんの寄り添うギターの旋律が心地よい…
♪足あとは消えても 思い出はのこる 過ぎ去りし日々に ありがとう~
私…
五木寛之さんの小説は大好きで…大好きで…
もう…読んだ…読んだ…
「四季・奈津子」とか
「ソフィアの秋」とか
「朱鷺の墓」とか…
「朱鷺の墓」に感銘を受けて
20代の頃、金沢を旅したことも…
わざわざ、五木寛之さんがよく立ち寄ったといわれる
純喫茶にも寄ったりした記憶が…
「きのう きょう あす」
詞をよく…何度も
噛みしめてみたいと…心から思いました…
歌のラストの詞は
♪自分にありがとう~
秀志さん
この歌を何十回か繰り返し聞くと
難しい言葉もないのに
他にはぶかれたものがどんだけあるのかと
三浦さんも
音楽の作詞をしている書き方じゃなくて詩を書いているような…
文章を書いている人の詩だなと
だからこそ、深い感銘を受けたとか…
秀志さんが言葉を添えて
「行間が凄く広い…だから、三浦くんの声が若く聴こえる…」
この言葉を即拾う三浦さん
「そこ、絶大な拍手を送るところだと思うけど…笑」
なんでも
この「八事交差点」
栄ミナミ音楽祭には、これで3回目だけど
この会場が乾いているのを初めて観たとか…
最初にきたときは
何でこんな汚い靴を履いている人ばかりいるんだろうと
2回目に来た時は、靴はきれいなんですけど全身ずぶぬれ
空から誰かが撒いているのではと思えるほどの土砂降り
びしょ濡れで、水しぶき払ってタクシーに乗ったら碧空
笑わせてくれる
伊藤秀志さん
さらに三浦さんが言葉を添える
「去年、前の座席の人の唇は紫色だった…今年はみんなまっかっか!」…笑
そんな爆笑のMCを最後に語って
この続きは…6月9日「BL.Cafe」でと
ラストは
伊藤秀志さんの唄
「帰り道」
優しさに…温かさに包まれる歌声
曲調はどこか懐かしい…
サビは二人でハモって
心が温まる…そんな歌…
「帰り道」につきたくない
いつまでも、ここに立ち止まって
歌に浸っていたい…
そう感じた
「八事交差点」のライブだったのでした…
いやあ…
心温まる歌声
そして寄り添うギター
この感動…
ひょっとしたら
彼らも
ロバートジョンソンのように
「八事クロスロード」
「八事クロスロード」
「八事クロスロード」で
悪魔に魂を売って、このテクニックを手に入れたのかも??
いや
八事と言えば
悪魔じゃなくて
興正寺…
どちらかと言えば
「ホトケ」ですよね…
はい…
「仏」のように
慈悲の溢れる
お二人の演奏…
「八事クロスロード伝説」
を堪能した栄ミナミ音楽祭
矢場公園でのステージだったのでした…
矢場公園にて
「ケイタク」
千綿偉功さんと
連続してステージを楽しんだ後は
一旦
ナディアパークの2Fアトリウムのステージに移動して
初めて観た
小松原沙織さんのステージを堪能し
その次の私の楽しみは
矢場公園のステージでの
伊藤秀志さんと三浦和人さんとのデュオ
「八事交差点」
小松原沙織さんのステージが
終わり次第
即
矢場公園へと…移動…
リハ中に
三浦和人さんが語る…
「「八事交差点」というグループですが私は昔、「雅夢」というグループをやっていましたと…」
その話に沸き起こる拍手…
「その拍手は、私を知ってるという意味でしょうか…笑
名古屋からでたがや…デビューは名古屋だがや…
気色悪い名古屋弁でスミマセン…」
わざとらしい名古屋弁を発したところで
ここで
司会者の紹介を挟んで
楽しみな楽しみな
「八事交差点」のライブの
始まり!はじまり!!
まずは
三浦和人さんの歌から始まって
伊藤秀志さんと交互に歌う
村下孝蔵さんのカバー曲の
「初恋」
から
サビは伊藤秀志さんがハモる!ハモる!!
甘酸っぱい…懐かしさを感じるこの歌…
この歌が流行っていた頃は
おそらく
私は…ロックンロール大好き…ブルース大好き青年だったので
こういった村下孝蔵さんのフォークは…
実は…熱心には聴いてはいなかったんですが…
この歳になると…この歳になってきくと…
めちゃめちゃいい歌ですね…心に沁みる!沁みる!!
♪遠くで僕はいつでも君を探してた~
ああ、初恋って…
こんな感じだったんだよね…と
懐かしさをも感じながら
二人の歌が…
哀愁が…漂っててめちゃいいんだよね…
三浦さんが
こういう場所なので、ぼくらのオリジナルばかりやっても迷惑かなと思って
一応みなさんに忖度して、カバー曲を歌ったと笑わせながら…
譜面台の歌詞カードが風でめくれないかを気にしている
三浦さんに対して
伊藤秀志さん
「ペロッとめくれちゃうと違う歌になっちゃうよ!!」
と笑わせる一言…
なんでも
秀志さんのいうには村下孝蔵さんは、秀志さんと同じ年のデビュー、1981年なんだとか…
それに対して
三浦和人さんのデビューは1980年
秀志さんは
中京大学フォークソングクラブの大先輩だけど
デビューは三浦和人さんの方が1年早いとか…
続いても
カバー曲
「22歳の別れ」
歌うは三浦和人さん
ハモる秀志さん
つま弾くギターで魅了してくれる伊藤秀志さん…
その音色が実に心地よくて…
ヒット曲というのは
歌ってても気持ちがいいと語りながら
次の3曲目もヒット曲です!と
そろそろ僕らの歌を歌ってもと
「愛はかげろう」
悲しげなイントロ
そして
歌からくる
切なさは…しばらくは心の中にとどまって…
なんか
唐突に
おそらく…私が中学生の頃…
「ザ・ベストテン」というtv歌番組で
中京大学からの生中継で、歌っていたような…
そんな記憶が…心に甦ってきました…
そーいえば
同じ頃かな…
チャゲ&飛鳥の
「万里の河」という曲と「ひとり咲き」という曲が
フォークと言うよりも
歌謡曲っぽくって
好きで…好きで…
「愛はかげろう」という曲もそんな感じで
割と好きだったような…
…と考えてみれば
どれも…どれも…失恋の歌…
私…今思えば
どんな中学生やねん!!って感じ…
三浦さん
名古屋で生まれた歌、瑞穂区駒場町で生まれた歌だがや、と
またまた、わざとらしい名古屋弁で
なんでも60歳過ぎても
オリジナルキーで歌っているとか…
「22歳で作った歌だけど…~窓ガラス流れ落ちてゆく雨を 細い指先でなぞってみる男はどう??…笑…それだけではなく、それが、指先に伝わる冷たって心にしみて…そんな男をどう思う??…笑…それでも、まっとうに生きてきましたからね…笑」
と笑わせた後には
ここからは
三浦さんと秀志さんの思い出話のMC
デビューは39年前、中京大学の4年生のとき
秀志さんは4年上、フォークソング同好会をクラブにした大先輩…
三浦さんは卒業したけど…
秀志さんは???とか
なんでも
秀志さんは、大学も行かずに女子大小路で流しをやってたそうで…
月に80万くらいは稼いでたとか…
秀志さんが言う
「でも、好きな歌は歌えないよ
♪そばにいてくれるだけでいい~
こんなんばっかり」
三浦さんが言葉を添える
「あの当時の女子大小路は、いつもこの歌が流れていたらしい??」
さてさて
三浦さん
還暦を迎えて61歳になったときに
音楽評論家の富澤一誠さんから、歌ってほしいと言われた歌を
生まれて初めて、自分が作っていない歌を歌ってシングルCDを出すとのことで
作詞が五木寛之さんなんだって
そう「青春の門」の…
で、作曲は
♪千の風になって~とモノマネ込み???で
その「千の風になって」を作曲した新井満さん
みなさんもいろいろ人生をここまで歩んでこられてるけど
それが
今の自分の立ち位置や理想としたところじゃなくても、
今大事な人を養い、守って何十年もやってきた…
それって改めて思うと…みなさんが、頑張ったからだと
そんなことを、五木寛之さんが作詞で
自分にありがとうって書かれている、そんな詞なんだそうな…
それに惹かれて…三浦さんは歌うことにしたとか…
よかったら…なんて言いません…
ぜひ、買ってくださいと、三浦さん
そこで秀志さん
「ひょっとすると、あなたのお尻の下に買わなくてはいけない予約券があるかも…」
三浦さん
「それ、ケツ印っていうんだけど…」
と言っておきながら
三浦さん
「ちょっと言葉が浮かんだ…ウケると思ったけど…ちょっと恥ずかしかった…笑」
と
さてさて三浦さん
気持ちを変えて…笑
「きのう きょう あす」
しっとりと温かさが伝わってくる…
秀志さんの寄り添うギターの旋律が心地よい…
♪足あとは消えても 思い出はのこる 過ぎ去りし日々に ありがとう~
私…
五木寛之さんの小説は大好きで…大好きで…
もう…読んだ…読んだ…
「四季・奈津子」とか
「ソフィアの秋」とか
「朱鷺の墓」とか…
「朱鷺の墓」に感銘を受けて
20代の頃、金沢を旅したことも…
わざわざ、五木寛之さんがよく立ち寄ったといわれる
純喫茶にも寄ったりした記憶が…
「きのう きょう あす」
詞をよく…何度も
噛みしめてみたいと…心から思いました…
歌のラストの詞は
♪自分にありがとう~
秀志さん
この歌を何十回か繰り返し聞くと
難しい言葉もないのに
他にはぶかれたものがどんだけあるのかと
三浦さんも
音楽の作詞をしている書き方じゃなくて詩を書いているような…
文章を書いている人の詩だなと
だからこそ、深い感銘を受けたとか…
秀志さんが言葉を添えて
「行間が凄く広い…だから、三浦くんの声が若く聴こえる…」
この言葉を即拾う三浦さん
「そこ、絶大な拍手を送るところだと思うけど…笑」
なんでも
この「八事交差点」
栄ミナミ音楽祭には、これで3回目だけど
この会場が乾いているのを初めて観たとか…
最初にきたときは
何でこんな汚い靴を履いている人ばかりいるんだろうと
2回目に来た時は、靴はきれいなんですけど全身ずぶぬれ
空から誰かが撒いているのではと思えるほどの土砂降り
びしょ濡れで、水しぶき払ってタクシーに乗ったら碧空
笑わせてくれる
伊藤秀志さん
さらに三浦さんが言葉を添える
「去年、前の座席の人の唇は紫色だった…今年はみんなまっかっか!」…笑
そんな爆笑のMCを最後に語って
この続きは…6月9日「BL.Cafe」でと
ラストは
伊藤秀志さんの唄
「帰り道」
優しさに…温かさに包まれる歌声
曲調はどこか懐かしい…
サビは二人でハモって
心が温まる…そんな歌…
「帰り道」につきたくない
いつまでも、ここに立ち止まって
歌に浸っていたい…
そう感じた
「八事交差点」のライブだったのでした…
いやあ…
心温まる歌声
そして寄り添うギター
この感動…
ひょっとしたら
彼らも
ロバートジョンソンのように
「八事クロスロード」
「八事クロスロード」
「八事クロスロード」で
悪魔に魂を売って、このテクニックを手に入れたのかも??
いや
八事と言えば
悪魔じゃなくて
興正寺…
どちらかと言えば
「ホトケ」ですよね…
はい…
「仏」のように
慈悲の溢れる
お二人の演奏…
「八事クロスロード伝説」
を堪能した栄ミナミ音楽祭
矢場公園でのステージだったのでした…
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