だらだら書き綴っている
松山城のブログ
さっそく続きをば…
寛永12年松山城下町絵図
歴史004 五重から三重へ
三重県生まれの私、えっ三重県へ??と誤読しちゃいました
ここからのパネルをみれば松山城保護の歴史がわかる!!
大正11年に別荘として萬翠荘を建設した久松定謨伯爵から、松山城保護のために松山市に寄付したようで
建造物35棟が国宝に
ロープウェイ開通
私よりウンと年上でした
リフト開通…
私は、リフトじゃなくて…フトリすぎ…汗
放火、空襲、そして、もう一度放火により焼失したんだそうな…
ほうか、ほうか…とパネルをみながら頷く私
建造物復興
平成の大改修
そして2002年には築城400年
ってことは今は…築城422年
けっこう中途半端…の周年…笑
歴史005 花開く文化
松平定長着用の鎧
鉄板黒漆塗紺絲素懸威最上胴丸
松平定直直用の鎧
鉄切付五枚胴紺絲威具足
火縄銃体験
重たい…感想はそれだけ
歴史006 天守焼失
007…ジェームス・ボンドではありません!!
歴史008 天守再建
三の門南櫓東側の鬼瓦
葵の紋が刻まれています
これらが展示されている場所が
南隅櫓
そして、たぶん櫓???
じゃなくて、多聞櫓
長持
いい言葉です…エコを感じる言葉ですね
これは、収納具なんだ
私の人生も長持ちするといいなあ…
長餅を喉に詰まらせて、あの世に逝くのは御免やで
多聞櫓の出窓から覗いてみる…
たぶん、敵どころか…誰もいません!
天守と他の櫓とは口状で繋がっていまして
松平家と久松家の家紋
鎧 地面頬
戦場で顔面を守るための防具
笑いを取って、油断させてから攻撃するのかな…
石落
石を落とす以前に石をここまで運ぶことも大変だろうな
ここから石をストーンと落とす…
おお、会心のオヤジギャグ
こちらは
狭間(さま)
行ったのは秋なのにサマー…
さまざまな狭間(さま)…どちらさま…
松山藩主久松家家紋所打付鎧
さてさて、またまたスカートご法度の階段を上って
櫓の最上階
弓矢
もうデカい!デカい!!こんなのが突き刺さったら…即死でしょうな
天守の最上階にもありました
秋なのに「サマー(狭間)」
眺望を楽しむ
おお、絶景ですな!!
おお、誰もいませんなあ
おお、天守の入り口にも誰もいませんなあ
ぐるっと廻って眺望を楽しむ私
そう、バカは高いところに登りたがる!バカは高いところに登りたがる!
今度は、小天守の2階へと
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