新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

愛媛の名城、松山城へ行く…その2

2024-05-23 05:27:57 | 歴史史跡

ロープウェイで山頂駅で降りて

松山城へ…

前回のブログの続きをば、早速…

 

まずは松山城を

マップで確認
ここからも随分歩くようで

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ここからが
「登り石垣」

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サルに注意しながら

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そしてみえるは、この圧倒されるほどの石垣の壮大さ
この「登り石垣」
これは、
ふもとの館と山頂の天守を、山の斜面を登る2本の石垣で連結させてつくられたもので、この方法によって山腹から迫る敵の侵攻を防ぐという、まるで戦国時代の城のような石垣でして



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もう城址マニア…こういった石垣マニアの私にとっては、半日でもここに立って眺めていられるくらい…
それはそれは、凄い石垣でして
時空を巻き戻せば…ここで落っこちた人たちもきっと多くいてることでしょう…


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♩見上げてごらん、城の石垣を~


首が疲れる~


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このあたりは
「待合番所跡」

待合番所は東雲口からの登城道と二之丸からの登城道の合流する地点に、警備のために設けられたもの

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この辺に待合番所はあったようで…
妄想で待合番所を建立してみる…
妄想城マニアなので…
妄想の中で建立した待合番所はプレハブ小屋みたいだったけど…笑

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城の防御壁、七曲りなど、もう鉄壁の守り、岡田監督の目指す阪神タイガースの守備を彷彿させるような守り…あ、佐藤輝くんは、よくエラーをするけど…


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二ノ丸史跡庭園、黒門口登城道の方も行きたいけど、往復35分かかる上に、生憎の本降りの雨…なくなく諦める…

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さて、いよいよ本丸へと…


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これが天守じゃないよ!おそらく太鼓櫓


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これは
「戸無門」

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本丸の大手入口の最初に設けられた高麗門

藩政時代から戸無門の名で呼ばれ、鏡柱に扉を吊る肘壺の痕跡もないので、創建当初から扉のなかった門らしい…

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戸無門をくぐると
すぐ「筒井門」

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実は、そのすぐ横に隠れた門
「隠門」がありまして

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「戸無門」を通過して、目に付くのは「筒井門」
その奥に「隠門」があるとは思えない…これは、侵入者の注意を「筒井門」に向けさせ、そこを破ろうとする敵を「隠門」から打ち出て、背後から襲う戦略だったようで…
へー、鉄壁な守りなんだ…凄い!!と思いながら
つい「僕、かくれもん」とドラえもんふうに呟いてしまう私

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「筒井門」、「隠れ門」をくぐったところの眺望

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バカは高いところに登りたがると言いますが
まさに、私、そのとおりの性格なので…テンションがあがる!上がる!!

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ここから転げ落ちたら、あの石垣…まっさかさま…と思うと、ビビッて近寄れない…

この建物は
隠れ門続櫓

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これは、松山城由来の解説板
松山城は、愛媛県松山市にある城で、別名を「金亀城」
金亀城」とは加藤嘉明が1602年に起工した松山城築城の際、山麓の内堀の深い淵に「金色の亀」が潜んでいたという話がその由来だそうな

また標高132m、比高約90mの勝山に築城されたことから「勝山城」とも言うそうな…備中松山城とか伊予松山城と呼ばれることも…

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「太鼓門」
本丸大手の正門
筒井門から本丸南腰郭に侵入してくる敵に備えて造られた門


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さて本丸へと

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「太鼓櫓」

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本丸からの眺望は絶景ですな…



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バカは高いところに登りたがる

そんな私が、もう大満足

降り注ぐ雨なんて、全然気にならない

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おお、あれは瀬戸内海か…

本丸には井戸跡が

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松山城は、勝山の峰を埋め立てて本丸の敷地を造ったときに谷底にあった泉を井戸として残したそうで、この井戸は、直径2メートル、深さ44メートルあって、当時の技術では掘ることができないほどの深さの井戸で
なんでも、20年かかって作り上げたらしい…

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本丸にぽつんと佇む「よしあきくん」


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ここは、ご一緒に…

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さて、松山城

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松山城が築城されたのは、1627年
加藤嘉明という戦国武将が築城をしはじめる…

加藤嘉明は羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の家臣となり、「賤ヶ岳の戦い」では大活躍…「賤ヶ岳の七本槍」と呼ばれるように…

その後、家康側についた「関ヶ原の戦い」で加藤嘉明は、20万石の武将となり、1602年に松山城の築城を開始…
この築城途中に
築城を命じた当の本人である加藤嘉明が幕府の命令で会津に移ってしまいことに…
で、代わりに松山の地を治めることになったのは、蒲生忠知…
この忠知の時代に松山城の二之丸まで完成したが、忠知は参勤交代の途中で病気により逝去…
その後
松平定行が城主となってからは、本壇の改築が始まる…
そして、3年かけて三重の連立式天守が完成した
…連立式天守とは、メインとなる天守の周囲に小天守や櫓を配置した形式のこと…防衛力が高いのが特徴…
戦国時代の城ではなかったんだ…こんなに防衛力が凄いのに…

秋だというのに暖かい日が続いたせいか
桜の花が咲いていました

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まだまだ、松山城ブログは続くよ…

 



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