新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

レッ津ジョー!?もとい…レッ津ゴー!…津城跡(お城公園)に行く!!

2023-05-28 05:39:19 | 歴史史跡

2022年、初春…1年以上前の話…

 

三重県の県庁津市の松菱百貨店の前にいてるのは

私こと松尾ドショウが尊敬してる松尾バショウさん

 

ここから近くの阿漕塚に句碑があって、その句は芭蕉がこの地を訪れて詠んだ句であると知られていることから、おそらくこの辺りもウロウロしていたのでしょう…

そんな私こと松尾ドショウも、松尾バショウにみならって、この辺りをウロウロ…

松菱百貨店は元気に営業しているものの

廻りに点在するシャッター商店街

 

むむむ、藤堂高「とら」

こちらも藤堂高「とら」

藤堂高「とら」といえば

織田信長の弟・信包の居城で
後々…築城の名手といわれ

その藤堂高虎によって大規模な改修され

津藩の藩庁となったお城

津城がすぐ近くにある!!

 

…ってことで

今回のブログは私のライフワークである???

城址を巡るシリーズ…

なんせ
私「城マニア」でありますので…

それも…ただの「城マニア」ではなく…

石垣や土塁などの遺構をみて
古の戦国ロマンを妄想するのが…楽しみといった…

「妄想城址マニア」…笑…


…の私が今回紹介するのが…

三重県の県庁のど真ん中にある

「津城跡」…お城公園になっている場所です


津城跡は久々の再訪…

2022年は「とら」年…ということで、久しぶりに藤堂高「とら」が城主となった「津城」に

「レッ津ジョー!!」

もとい

「レッ津ゴー!!」

 

…目に留まるは

復元されてる

模擬三重隅櫓!!

史実とは場所も形も異なりますが、津城の写真をググると、必ずこの模擬三重隅櫓が写真の中に入ってますなあ

模擬三重隅櫓の土台の石垣

 

その手前には、藤堂高虎の句碑が

「しらはたや花さく山の一備へ」

「しらはた」とは、徳川軍の旗のこと
関ヶ原で、徳川軍が圧勝する情景を詠ったとか

けしてあきらめたり降参する事を意味する「白旗を上げる」っていうことではないようです…

模擬三重隅櫓のある芭蕉…もとい場所の旧町名は

「丸之内本丸」

津城の解説板

 

歴史を感じさせる「お城公園」の石碑

 

それに比べて「史跡津城跡」を標すものは、石標とかでもなく、意外とショボい!!

 

まずは、模擬三重隅櫓に接近

模擬三重隅櫓にあるあたりは「桝形」の「東鉄門」があったらしいけど、この石の解説板…鳥の糞害が酷いですな…

 

いやあ、この津城で目を見張るのが石垣

 

もう…
その積み上げられた高さに圧巻!!

城マニアじゃなくて
「妄想城址マニア」なので

復元三重櫓よりも
石垣に見惚れちゃう!!

あの…三重県って凄いなって思うところは…
伊賀上野城でも松阪城址でも感じたけど…

石垣のまわりに…

「危険!」

「立ち入り禁止」

みたいに…
ロープがはられていないこと…


過保護な行政


たとえば公園のブランコが錆びたりすると
ロープでぐるぐる巻きにしたりするじゃない…


そんなんじゃ…
落ちたら怪我する…みたいな
身の安全を考える気持ちが実感として養っていきませんよね!!

まあ…落っこちた人が
行政に…
「オタクの管理が…!!」
…なんてクレームを言ってくることがそもそもの原因なんでしょうけど…

その点…
この津城を始めとした
三重県のお城の石垣は…
恐怖感を十分感じることができます…

こんなオジサンでも
這いつくばってじゃなきゃ
怖くて…苦笑…
怖くて…苦笑…
石垣の先端から下を眺めることはできません!!
…笑…





このあたりが

丑寅三重櫓のあった場所

 

この石の解説板も…鳥の糞害が酷いですな…

そこから続くここをどんどんすすめば戌亥三重櫓跡に繋がる

右側は内堀で、落ちたらどぼーん!!

左側には本丸があった場所…その囲む石垣に見惚れてしまいます…

 

 

どんどん西に進んで、このあたりが

 

西鉄門虎口だった場所

この石の解説板も…鳥の糞害が酷いですな…

 

 

そこからみえる圧巻の高さの石垣と内堀

模擬三重隅櫓の写真よりも、この写真の方が、ウンと津城跡っぽくて、津城跡にいく気になるのに…あ、それは、私が石垣マニアだからか…

さてさて、西鉄門虎口を出たあたりは、日本庭園になってまして

元々あった日本庭園ではなくて、ここを「お城公園」にしたときに、そのように、いじっちゃったのでしょう

このあたりは川が流れていたこともあったのでしょう…

そして、ここは池になっていたのでしょう

 

その日本庭園にあるのが、入徳門
文政3年(1820年)、
第十代目津藩主・藤堂高兌が創設したという
藩校に使われていた正門が、もともとこの場所にあったのではなくて移築されていました…
なんでも、この門は奇跡的に空襲の戦火を免れたとか…

 

 

 

日本庭園の隅には

玉櫓跡

奥にみえるは、津合同庁舎

ここからもお城公園に入れまして、そこにも津城跡の解説板がありました

 

 

津城跡(お城公園)を一周しようと、ここからは高山神社を参拝して

さらに東に進んで

ここは天守台のあったあたり…

織田信包により五層の天守閣が建てられていたが、関ヶ原の戦いで被害を受け、その後再建はされなかったらしい…

 

 

手前に池のようなものがあって、

左右、石垣の積み方が違いますね…古くからの城壁と新しく石積みされた違いがわかり、増築、修築を重ねた様子が伝わってきます…

写真は、鏡紅葉ならぬ…鏡のように映った石垣

埋門

織田、富田両氏の頃、南の堀中にあったと考えられる「局丸」へ通じる門、この「局丸」は高虎によって取り除かれたらしい…この南側の内堀は現在の津警察署南の道路付近まであったらしい…

 

今は、児童公園に

 

続いては月見櫓跡へと

 

 

石垣の真下を見下ろす

 

 

桜の木も真上から

これで、ぐるっと一周したので、津城の中心の本丸へと

 

 

本丸のど真ん中は、このお城公園が整備された頃は、キレイな噴水があがっていたのでしょう!!その名残が

 

 

この澱んだ人工池を挟んで

高山公遺訓の碑

「寝屋を出るより其日を死番と可得心かやうに覚悟極る
ゆへに物に動する事なし 是可為本意」

毎日、毎日が生きるか死ぬか、必死だったんですね…

人工池を挟んで、反対側には

伊勢街道の解説板

 

そして蔦の家紋の藤堂高虎の解説板の横には

 

 

「藤堂高虎」の像が

 

「寝屋を出るより其日を死番と可得心かやうに覚悟極る
ゆへに物に動する事なし 是可為本意」

まさに、そんな表情をしていますなあ

藤堂高虎…

名前がイイよね!!

「高虎」ですよ!


「虎」!!

「とら年」に高「虎」!!

なんか…
阪神タイガースが、この2022年の今年こそ
高い位置…
そう…
優勝できそうな気さえしてくるじゃない…笑


復活した「藤」浪くんが「堂」々としたピッチングで完封!
「高」らかに六甲おろしを歌う「虎」

…そんな場面を妄想できそうな名前!!…笑

それが実現するようにと…藤堂高虎像に手を合わせたのでした…笑