新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

わざわざ「岡崎宿伝馬歴史プロムナード」の石像20体を観に行く!!

2019-03-20 05:28:58 | B級スポット
徳川家康公生誕の地
岡崎…





東海道の宿場町では
3番目に大きかったとされる
岡崎宿…



そんな岡崎の町中を東海道は
「岡崎城下二十七曲り」といわれるように
岡崎城を北から覆うように幾重にも折れ曲がっていたとか…



その…ほんの一部
伝馬交差点から伝馬通り1丁目の交差点にかけて
並んでいる石像が…
江戸時代の街道歩きをするにあたって
知識が膨れ上がるような…そんなためになる??
石像が…ユーモアたっぷりに…並んでいる
のよ!!







B級スポットマニアの私…
そんな情報を掴んだら…笑


行きます!行きます!!

わざわざ…石像のみ??を観に…





そこは
岡崎にある
旧東海道が通っていた道にある

「岡崎宿伝馬歴史プロムナード」







ではでは
早速ここにある石像を次々と紹介しよう!っと!!







まずは
この「岡崎宿伝馬歴史プロムナード」の石碑のすぐ横にあるのが



お茶壷道中














宇治市の名産品である宇治茶を徳川将軍家に献上するために始まった
お茶壷道中の茶壷を運ぶ行列のこと



茶壺道中は権威の高いもので
茶壺が通行する際には大名らも駕籠を降りなければならず
街道沿いの村々には街道の掃除が命じられ、街道沿いの田畑の耕作が禁じられたほどだったとか…



まさに


♪ズイズイ ズッコロバシ 茶壺におわれて ドッピンシャン

だった??んでしょうね…





朝鮮通信使





なんか不機嫌そう…
トランプ大統領との会談もやむなく…
といった感じが…

この二人の表情から…伝わってきます…???


…って時代が全くちゃいますがな






助郷





参勤交代制の確立などにより、大名行列のように、多くの人馬を必要とする場合、宿場に用意されている人馬だけでは足らなくなり、近隣の村々から人馬を集めなければならなかった…
助郷とはこれが制度化して宿ごとに補助する村を定めたものが助郷制で、遠いところでは何里も離れた村に課されることもあったそうな

なんか石像は葉巻加えて
悠長な感じすらしますが

実際は助郷にて
人馬を提供しなければならない村の人々は
耕作に支障をきたし
生活苦を巻き起こし…農民がかなり苦しめられたよーであります…


いやあ
実は…私…この言葉…よく知りませんでした…
また一つ歴史に関する雑学が増えました…
「岡崎宿伝馬歴史プロムナード」にまで
わざわざ足を運んで…よかった…笑







飯盛女





宿泊客の
旅人といちゃいちゃしてますなあ…






旅籠屋での接客をする女性のことほとんどは宿泊客相手に売春も兼ねて行った女性たちのことですが…


公道にあるだけあって
解説文には…
そんなふうには…記述されておらず…
遊女といったオブラートを包んだ言葉で
書かれておりました…







田中吉政






当時尾張の領主となった秀吉の甥秀次の付家老として
天正18年に岡崎に入城し、以降10年間、新しい城下町づくりを行った人


この田中吉政像
この旧東海道をさらに西に進むと

立派な…立派な…
下の写真のような田中吉政像がありますが…














個人的には
「岡崎宿伝馬歴史プロムナード」にある田中吉政像の方が
ほんわかしてて…好きだな…



ちなみに
立派な…立派な…
田中吉政像の近くには
籠田惣門跡の碑がありますよ…
行かれた際はみつけてくださいな…
ちょいと注意深く眺めないと…みつかりませんよ…笑





ちなみに
籠田惣門はどんな門だったかっていうと






ちゃんと
この「岡崎宿伝馬歴史プロムナード」にありました…笑

門の前に外堀があり、そこから西は岡崎城内
惣門は東海道が城郭内に入る出入口にあたり、籠田惣門は東の門だったとか…






人馬継立





人馬継立とは東海道を運ばれる荷物の人足と馬の交代とのこと
旅人は各宿場の人足会所・馬会所で宿場ごとに馬や人足を雇いながら旅をし
東海道では53ケ所の宿駅でこうした継立をしたので「東海道五十三次」と呼ばれているとか…


いやあ
この言葉も知りませんでした…

また一つ歴史に関する雑学が増えました…
「岡崎宿伝馬歴史プロムナード」にまで
わざわざ足を運んで…よかった…笑






三度飛脚





今でいう
宅配便…???
もしくは…郵便配達???


けっして楽しそうではないですなあ…






塩座





塩座というのは塩を専売する権利のことで、岡崎ではこの伝馬町が権利を有し
ここでは国分家などが商いをしていたとか…
塩だから当然、船に乗って運ばれてくるんですね…





御馳走屋敷




写真の撮り方が下手なんですけど
上に載ってるのは鯛!


いやあ…めで鯛!!…笑…
めで鯛!!…笑




現在の岡崎信用金庫資料館南辺りに
御馳走屋敷という屋敷があったそうな…



御馳走とは接待を意味する言葉で
この屋敷は公用の役人などをもてなす
いわば岡崎藩の迎賓館的な役割を持ってたそうな…


ああ、泊まってみたいぞ!
御馳走屋敷…

いや…泊まらなくてもいいから
鯛が食べ鯛!!


(このオヤジギャグ、小学生レベル!!…汗)


江戸時代の旅人の忘れ物でしょうか??…笑
今でも、ここにわらじが置き忘れて…ありました…






…とここに
「岡崎二十七曲がり」の解説版が…





さてさてここから
ちょいと辻を1本離れた
場所には
舗装された道路の中に
ぽつんと…江戸時代からの道標が残っていました…

















さてさて

再度旧東海道伝馬町あたりに戻って
交差点の反対側へ…



ここにコンビニがあったんですが…






そこが西本陣跡



江戸時代の旅人気分で
一休み…
いや大名気分??
この西本陣のあった
このコンビニで
珈琲を飲みました???
なんという贅沢??なんでしょう???
気分だけは…笑




さてさて

岡崎宿伝馬歴史プロムナード」の石像
まだまだ続きます…



本陣・脇本陣




参勤交代時の大名たちの宿泊場所ですね…
まさにこの地が西本陣のあったところですからね…






駒牽朱印





「徳川家康は以前からあった駅馬・伝馬の制度を踏襲して東海道の宿駅ごとに馬と人足を常置させました。その負担をするのは各宿駅の「伝馬役」です。この岡崎に限らず各地に伝馬の地名が残っていますが、それらは江戸時代に伝馬役を務めた町であることが多いです。「駒牽朱印(こまびきしゅいん)」は徳川幕府が公用に伝馬を使用する時に用いた権威ある印鑑で、この印が押された朱印状が公用旅行者の伝馬使用許可証となります。「伝馬」の文字と馬を引く人物がデザインされた趣のある印です。」と解説文のコピー


各地に伝馬という地名が残ってるのは
(熱田にも「伝馬町」という地下鉄の駅があるしね…)
そういうことなのか…納得!納得!!



二十七曲








田中吉政は城下の道を防衛の必要性から外敵には城までの距離を伸ばし
間道を利用して防衛することができる屈折の多い道として開発したそうなんだけど…


この旅人
完全に道に迷って途方に暮れてますよね…


方向音痴な私…
前世は…この旅人だったのかも??



矢作橋






おお、橋の上を走ってますなあ…






広重の東海道五十三次「岡崎」にも描かれております…






あわ雪茶屋



岡崎宿の名物といえば、八丁味噌が挙げられますが、
名物の食べ物といえば「淡雪豆腐」だそうな…


めちゃ美味しそうです…





もう「淡雪豆腐」が食べれたら
他に何もいらないっていった顔してますなあ…笑



作法触れ






「作法触れ」とは街道や宿場内での諸注意のこと

道路に盛り砂を行うこと
手桶・箒を出しておくこと
決められた場所に提灯を出すこと
ほら貝、鐘、太鼓、拍子木など鳴らさないこと
街道では通行の前日から田畑などで下肥を施したり、ごみ焼をしないこと
通行に際し土下座をすることなど





「淡雪豆腐」を食べていた時と比べれば
天と地くらいの差でありますな…






往来手形




ー般庶民の旅行では通行許可証となる往来手形を発行してもらわなければならなかったのですが…信仰のための旅ならば往来手形を容易に受けられたとのこと
なので、庶民の間には伊勢まいりなど、娯楽的要素も加えた寺院神社参詣の旅が広まったとか…


なので
弥次さん喜多さんも「お伊勢参り」に出かけたんですね…






一里塚





徳川秀忠は家康の発案により
東海道・中山道・北陸道の三街道に一里ごとに行程の目印となる、一里塚を設けたとのこと


現在、大平に南側の一里塚が残っていて国指定史跡となっているとか…
他の一里塚同様、大平の一里塚にも榎が植えられており
この榎は、家康が大久保長安に「塚にはええ木を植えよ」と言った言葉を
「えのき」と聞き違えたとか…
いかにもありそうな逸話…笑



市隠亭





国分次郎左衛門衡は岡崎藩の儒学者、秋本嵎夷に詩文を学び
屋敷内に「市隠亭」という書斎を作ったそうな…
旅行者など多くの文化人たちの交流が行われ、市隠亭は文化サロン的役割を果たしたそうな…


そして最後に紹介するは


旅篭屋




おお、足の疲れを桶で癒してますなあ…






私も
ここ伝馬町通りをぐるっと廻っただけで
足に疲れが…
この旅人が羨ましい…笑




この伝馬町通りには
ほとんどが商店家屋に囲まれているんですが…
ぽつんと1本松が残っていて





そこは
小野権右衛門の屋敷跡でありました…








以上
石像と解説文で
江戸時代の旅人気分に浸ることのできる
歴史的雑学も習得できる
「岡崎宿伝馬歴史プロムナード」


今度誰かに

助郷って何か知ってる??
人馬継立ってなんのことか知ってる??
駒牽朱印とは???

なんて自慢しながら
ここで得た知識のウンチクを語るとしようっと…笑


ああ、「岡崎宿伝馬歴史プロムナード」へ出かけてよかった…
B級スポットマニアでよかった???…笑