昭和31年 そのときの住み込みとは、今で言う賄いつきの寮生活かな、食事も作ってくれてお風呂にも毎日入れるのです、3畳一間、窓もないが贅沢極まりない生活でした。 佐倉にいるときは6畳一間「家族5人でしたからね」 朝2時、 叔父が「まことー起床」という声に起こされ西千葉駅へ、自転車に乗り新聞「1梱包500部ぐらい」を取りに行く、新聞店に戻り200部ぐらいの配達にいく、 この時代は大勢の新聞少年が新聞を配達していました。冬の寒さにあかぎれとしもやけが、 でも 働いて給料がもらえる嬉しさは格別でした。ステレオを買い白い革靴を宮本靴屋さんに作ってもらいました。給料のほとんどはどん底貧乏生活の母に仕送りをする。どのように仕送りをしたかの記憶はない。5年間の間に道路が舗装される。 働きながら次の仕事探しを始めていました。 20歳になる前のことです。 振り返ることは簡単だが、嫌なこと、辛いこと、悲しいことなどは忘れ、良い記憶だけが残っています。 あみーご 海保まこと
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