日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

正中山法華経寺(市川市中山)

2017-07-03 18:31:16 | 旅行
日蓮聖人と同じ時代に生き、日蓮聖人の布教活動を物心両面で支えた「壇越」は何人もいたようです。
その教えに帰依するだけでなく、とにかく力を貸してあげたいと心から思わせるカリスマ性が、日蓮聖人にはあったに違いありません。


特に、龍ノ口の刑場に死を覚悟してお供をした鎌倉武士の四条金吾公


真言律宗の僧・忍性に帰依している父に勘当されても、必死で信仰を守った池上宗仲公


晩年の日蓮聖人に、身延の広大な土地を提供し、一族で給仕し続けた南部實長公・・・
などは、代表的な「大壇越」と言えると思います。

 
そしてもう一人、日蓮聖人の生涯の折々に登場する大壇越がいます。
千葉の富木常忍公です。


てことで訪問しました、下総中山~!
市川と船橋の間にある駅です。


駅の北側に延びる道を通って行きます。


京成線の駅も近いんですね~!


この踏切を越えると門前町、って感じでしょうか。


地域の地図がありました。
「中山」の住所の隣は「若宮」、そしてその北東には中山競馬場!


大きな寺院にはよく見られる「総門」です。
ここではその色から「黒門」って呼ばれてるらしい。


扁額は・・・何だろう? 観心本尊抄の一節?


風鈴が涼しげ!
門前にも境内にもたくさん提がっていました。


仁王門です。
黒門に対してこれは「赤門」とも呼ばれてるらしいです。


宮大工ってすごい!
木造建築の組み上がりを見てると時間がいくらあっても足りません。


山号は「正中山」です。この扁額は本阿弥光悦公の書だそうですよ!

このお寺は富木常忍公の邸をルーツとする「妙蓮山法華堂」と、やはりこの地の古くからの壇越・太田乗明公の邸をルーツとする「正中山本妙寺」が合併して誕生しました。
「正中山法華経寺」の山号や寺名は、その名残りだと思われます。


巨大な日蓮聖人像!
結構でかくて、それこそ鎌倉松葉ケ谷の長勝寺にあったご尊像くらいあるのでは?


左手に「立正安国論」を握っています。
ここ法華経寺には、ご真筆の立正安国論(国宝)が格護されているといいます。


おお~!高村光雲氏の作です。
長勝寺のご尊像も光雲作でしたよね!光雲氏の作るご尊像はひときわ大きいです。


日蓮宗で祈祷ができるのは「修法師」だけだそうです。
そして「修法師」は、ここ法華経寺で100日間の大荒行を成満した方のみが名乗ることができるそうです。


参道の左右に、日蓮宗の寺院が並びます。


時間が昭和で止まっています。


赤い「龍閣橋」を渡ると境内!
この橋の欄干に乗っているのは柘榴(ざくろ)です。
鬼子母神のお寺ならではでしょう。


境内の案内図です。見どころ満載!


まずは絵馬堂。
受験生の合格祈願の絵馬を想像してましたが、いい意味で裏切られました。


過去に多くの方から奉納された扁額やお祖師様のご尊影などが飾ってありました。


中には大荒行堂の落慶記念に奉納された絵も!
法衣の袖を引っ張っている3匹のお猿さんがかわいい♡
松葉ケ谷の焼き討ちから逃れた日蓮聖人は、一旦千葉に避難し、この地で100日間のお説法をされたということです。この絵は松葉ケ谷かな?


これは法華経寺御用達の職人さんだと思われます。
電気担当までいるんですね!


美しい五重塔です。
本阿弥家の方の菩提を弔うために建てられたそうです。
刀剣業や書家で有名な本阿弥家は、日蓮宗とはご縁が深いようですね~


法華経寺は美しい建造物の宝庫だと思いますが、この祖師堂はその大将格!


何といってもこの屋根!
屋根の真ん中で区切られて二段構えになっていますよね。これは「錣(しころ)屋根」という様式のようです。
屋根を大きく見せようとする部分と、機能性の部分を併用したら、こうなったようです。


こんな屋根、少なくともお寺では初めて見ました。
正確には「比翼入母屋造り」というそうで、ここと岡山県の吉備津神社(国宝)以外には存在しないそうです。


遠くから見ると茅葺きかな?と思いますが、この画像でよくわかると思います。
細かい板を丹念に並べ、重ねた構造ですね。


妙見堂です。
僕は妙見様って今まで馴染みがなかったのですが、日蓮宗寺院には時々見られます。
神仏習合の時代、北斗七星の神様を妙見菩薩として信仰していたそうなんです。


八大龍王池です。
この季節は蓮と菖蒲が元気です!


龍神様をお祀りするための石塔がたくさん並んでいます。
日蓮聖人のご生涯と龍神様は、切っても切れない関係ですもんね!


蛇がとぐろを巻いているような石像も!


法華堂です。
法華経寺のルーツの一つです。


富木常忍公が若宮(中山の隣)の自邸に建てた法華堂が、この地に移設されたそうです。


そのすぐ近くにある四足門とともに、建物としては宗門最古だそうですよ。
これからも末永く維持されてゆくことを祈念して止みません。


この扁額も書家・本阿弥光悦公によるものだそうです。本阿弥家、大貢献っすね!
元々、「妙法花経寺」といっていたようですね~


正中山法華経寺の開祖・日常上人像です。
富木常忍公は、日蓮聖人が若い頃から、活動を支えてきた壇越の最古参です。
それこそ清澄での立教開宗の前から、という説さえあります。
仮にそうだとすれば、それまで天台宗の僧侶だった日蓮聖人がある日、声高にお題目を唱え始めても、富木常忍公はその意を理解して支援し続けたわけで、懐の深さが窺えます。


日蓮聖人がご入滅後、富木常忍公は出家して「常修院日常」という法名で法華堂を「法華寺」と改め開創しました。
常忍の友人・太田乗明公の邸に、乗明の子・日高上人が開創した「本妙寺」と合併して「法華経寺」になったのは1545年、日蓮聖人ご入滅の250年以上後のことです。


これは通称「泣き公孫樹」といわれるイチョウの大木です。
日常上人の子である六老僧の日頂上人は、鎌倉での布教に忙しく、日蓮聖人の三回忌法要に遅刻してしまいました。
日常上人はこれを許さず、日頂上人を勘当してしまったそうです。
厳しい方だったんですね・・・


日頂上人は泣きながらこのイチョウの木の周りを、宝塔偈を唱えて何回も廻り、許しを請いながら立ち去ったそうです。
結局、日頂上人は日興門流に合流することになりました。

これ以降、日常門流では宝塔偈は読まないそうです。  あらら・・・


巨木が並ぶ杜を抜けると、ん?エスニックな建物


聖教殿です。堂々たる偉容です。
これは宗門の最重要建造物、金庫室みたいなものでしょう。
それこそお祖師様ご真筆の「立正安国論」や「観心本尊抄」といった国宝や、大量のご遺文などの宗宝が格護されているそうです。


象や羊も守っています!
毎年11月、お風入れの際に宗宝の一般公開をしているそうです。万難を排して伺います!!


ここが宗内随一の祈祷根本道場「大荒行堂」です。
ここで11月1日~2月10日、厳冬の100日間の大荒行を修した僧のみが「修法師」を名乗れます。


「行堂清規」がありました。
「~コト勿レ」「~ベカラズ」「~ヲ許サズ」的な23箇条のルールが並んでいました。
昔のままなんですね・・・  過酷過ぎます・・・

ウチの菩提寺のお上人も大荒行を成満しています。
改めて尊敬の念が深まりました。


鬼子母神堂です。
日蓮聖人ご真刻の鬼子母神像が安置されていると聞き、義母の病気平癒を祈祷して頂きながら、お姿を拝見しました。
結構古い(そりゃ~鎌倉時代だもの)せいか、木像自体が黒ずんでおり、表情は拝めませんでしたが、優しい感じを受けましたね!

何より祈祷して下さったお上人が、めちゃくちゃいい声で読経して下さるので、とっても気持ちの良い時間でした!


そういえば、このお寺には大仏さんがいるんじゃなかったかな?
ん?工事中?


300年の風雨にさらされて、基礎が傷んでいたそうで、現在解体工事ちう!


多分あの中に鎮座しているのでしょう。
来年春にはリニューアルした大仏さんが拝めるようです。


また来ますね!!!