Moments musicaux

ピアニスト・指揮者、内藤 晃の最新情報です。日々、楽興の時(Moments musicaux)を生きてます。

バッハは楽器をえらばない

2014年10月24日 | オピニオン


バッハを現代楽器で演奏するという行為自体に賛否両論があります。
私は、ピアノというフィールドで、好んでバッハに取り組んできましたが、今日はバッハと楽器の関係についてお話ししてみたいと思います。

グレン・グールドは、インタビューの中でこんな発言をしています。



「作曲家には2つのタイプがある。一方は究極のソナタや交響曲を書こうとするパガニーニ、リスト、マーラー等、楽器や編成の可能性をとことん追求するタイプ。もう一方は、耳ばかりか視覚的な鑑賞に値する作品、つまり、楽譜を見ただけで色々な響きが聴こえてきて、構造そのものの意味が伝わってくる作品を書こうとするタイプ。こちらは構造が重要で、響きは二の次をいうわけだ。その最たる例がカール・ラッグルズ。(中略)バッハは傾向としてはこちらのほうだったし、年々その傾向は強まり、晩年には『フーガの技法』のように内省的な作品を生み出した。つまり作品の構造や音楽の流れの本質を追求し、外面的な響きや世評などからは遠ざかったのだ。」

ご存じの通り、バッハは「フーガの技法」で楽器指定をしませんでした。ですから、この曲は色々な楽器で演奏され、それぞれに魅力的です。





バッハは、同じ楽想をしばしば他の編成に改作しており、特定の楽器の響きへのこだわりからは解き放たれています。

例えば、ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調 と チェンバロ協奏曲第3番 ニ長調
Before

After


ブランデンブルク協奏曲第4番 ト長調 と チェンバロ協奏曲第6番 ヘ長調
Before

After


無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番 ホ長調 と リュート組曲 ホ長調 / カンタータ第29番
Before

After



などなど、同一楽想の改作の例は枚挙に暇がありません。
ちなみに、当時は、鍵盤楽器の不等分律のもつ調性格(調性による響きの色合いの違い)が作品の着想と密接に関わっていた時代ですが、バッハは、同一の曲を異なる調に改作したりもしていて、当時の楽器の響き具合という呪縛からも自由な、未来的(平均律的?)で柔軟な思考の持ち主だったと言えると思います。

このような同一楽想の改作の例として、とりわけドラスティックな変化が聴ける面白い例がこちらです。

Before
バッハ:プレリュードとフーガ a-moll BWV894

After
バッハ:フルート、ヴァイオリン、チェンバロのための三重協奏曲 BWV1044 1st Mov


Before
バッハ:トリオソナタ第3番 BWV527 2nd Mov

After
バッハ:フルート、ヴァイオリン、チェンバロのための三重協奏曲 BWV1044 2nd Mov


鍵盤楽器(チェンバロ、オルガン)のための作品が、奏者たちの丁々発止の対話によって、なんと豊かでスリリングな音楽に変貌していることでしょう!

このように、バッハの音楽は構造自体が意味深く、それを奏でるツール(楽器)を選ばない普遍性があります。
チェンバロによる典雅な輝きをもつおしゃべりも魅力的ですが、時代とともに鍵盤楽器も変遷し、我々は、限りない音色の可能性をもつグランドピアノを手にしています。
バッハの鍵盤作品は、フーガひとつとっても、合唱を思わせるものから、器楽的なもの、オルガン的な荘厳なものなどさまざまですし、コンチェルト的なTuttiとSoloの交替がみられる作品、リュート的な繊細な作品、管弦楽組曲の序曲を思わせるスケールの大きな作品、など、多彩な曲想で成り立っています。チェンバロの限られた枠内にとどまらず、作曲家の脳内で鳴り響いていたであろう豊かなアンサンブルのイメージにアプローチすることで、表現力豊かな現代ピアノならではの演奏ができるのではないでしょうか。さまざまなタッチを駆使して、腹話術のように一人何役も同時に演じ分けることができれば、楽曲のポリフォニーに内在したスリリングな魅力により肉薄できるはずです。

ところで、ラヴェルのピアノ作品には、本人がオーケストレーションしているものが多くあり、ピアノで演奏するうえで、きわめて有益な示唆を与えてくれます。

ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」
ピアノ版

管弦楽版


バッハ演奏でも、たとえば管弦楽組曲を想定して書かれた「フランス風序曲 ロ短調」の元のイメージを、管弦楽組曲を手がかりに想像してみることで、演奏は変わってくるに違いありません。このようにして、最終的な出版形態における楽器の狭いイメージに留まらず、想像の翼を羽ばたかせて表現したいものです。

フランス風序曲 ロ短調 BWV831

(参考)管弦楽組曲第2番 ロ短調 BWV1067



バッハの名曲は、さまざまなアーティストが色とりどりの形態でアプローチしていますが、どれもすこぶる魅力的です。ツール(楽器)を選ばない普遍性をもった音楽であり、私たちピアニストも、ピアノならではのバッハを体現したいですね。

ボビー・マクファーリンの「G線上のアリア」


Swingle Singersのア・カペラ・コーラスによるバッハ


シトコヴェツキー(Vn)、コセ(Va)、マイスキー(Vc)によるゴルトベルク変奏曲



そして、

アルブレヒト・マイヤー(オーボエ)による、イタリア協奏曲の見事な編曲!


(そう、この曲は、愉しいコンチェルト・グロッソなのです!)




最後に僭越ながら、YouTubeに掲載されている私のバッハを。






内藤晃公開講座「ピアノでオーケストラを」が小冊子になりました

2014年08月20日 | オピニオン
私の公開講座「ピアノでオーケストラを」が小冊子になりました。


ピアノでオーケストラみたいな演奏がしたい、と思っても、ピアノの音はピアノで、ピアノからオーボエやヴァイオリンの音は出てきません。しかし、それらの陰影や質感を、タッチの濃淡で相対的に表現していくことはできます。その意味で、ピアノ演奏は、鉛筆デッサンと良く似ています。グレーの濃淡で絶妙な陰影を施された鉛筆デッサンは、白黒であることを忘れさせます。
このレクチャーでは、ピアノというモノクロームな楽器で、色彩豊かなオーケストラをいかにデッサンするかを、ご一緒に考えます。それは、管弦楽的な発想で書かれたピアノ曲を考えると、作曲家の頭の中で鳴っていた響きに迫る挑戦でもあるのです。

ユーロピアノ(株)発行。コンサートへのご来場またはユーロピアノ(株)関連施設にご来店の際、直接お求めいただくか、ユーロピアノ(株)さんにお問い合わせください。(書店およびインターネットでの販売はございません。)

This booklet, made by Euro Piano Co., Ltd., includes the summary of my lecture "To play the piano like an orchestra." Many thanks for Euro Piano Co., Ltd.

ピアノの状態と椅子の高さ

2013年01月17日 | オピニオン


最近、複数の出演者によるジョイントコンサートに出演する機会が続けてありました。このようなコンサートでは、一人のリサイタルとは異なり、調律師さんへの調整のリクエストができませんし、本番のピアノでの当日リハーサルが数分しかできないこともあります。今日は、そんな時に私が数分間で何をしているかをブログでご紹介してみたいと思います。

単刀直入に申し上げると、「椅子の高さを決める」…これに尽きます。ピアノの状態によって、自分の弾き方にフィットする椅子の高さは変動するものなのです。先日のモンポウのコンサートで、あるお客さまから、「椅子だいぶ低くされましたね」と声を掛けていただいたのですが、実は、会場のピアノへの対策だったのでした。

鍵盤を押し下げていくと、指にかっくんと抵抗を感じさせるポイントがあります(アフタータッチ)。そこですでにハンマーは弦に到達しており、アフタータッチは言わば鍵盤の「アソビ」の部分になります。鍵盤の底を狙った深い打鍵をすると、下部雑音を伴って輪郭のくっきりした音色になり、アフタータッチのポイントを狙ってやや浅い打鍵をすると、下部雑音を伴わない淡い音色になります。

まず、このアフタータッチの量が大きな問題で、例えば、アフタータッチの少ない調整のピアノで普段と同じように弾こうとすると、淡い(浅い)タッチのところで音がかすれたり抜けたりしてしまうということが起こり得ます。この現象への対策として、例えば、アフタータッチの少ないピアノでは、椅子を少し低くして、もっと鍵盤の底ギリギリの辺りでコントロールを試みるというのも工夫のひとつです。

また、鍵盤のタッチ感の「重さ」(実際に重さが変わっているのではなく、ハンマーと弦の距離[打弦距離]や、そのほか様々なアクション調整上の要素によって、重く感じられたり軽く感じられたりします)も、椅子の高さを決めるうえで大事なポイントです。椅子を高くするほど、重力に助けられ、鍵盤自体のタッチ感は軽く感じられると思います。例えば、指に感じるタッチ感が軽すぎる状態で弾くと、人によっては暴走や転倒(笑)のもとになりかねません。ピアノの状態を的確に診断したうえで、そのピアノと自分の弾き方に丁度良くフィットする椅子の高さを見つけることが肝要なのです。

「オール・ピアニッシモ」でさらう

2012年10月20日 | オピニオン
新しい楽曲をさらうときに、動きが手に馴染んでいない段階では随所でつい力んでしまうものです。それを避けるために、僕は「オール・ピアニッシモ」でさらうことを生徒に勧めています。
これは、往年の巨匠アール・ワイルド氏が提唱・実践していた練習法だそうで、彼に師事していたデイヴィッド・コレヴァーさんが教えてくれました。無理のないテンポで、力の抜けた状態で、よく音色に耳を傾けながら、ピアニッシモでさらう。手の運び方も、硬直せずにスムーズに行けるように留意します。このような手に「馴染ませる」プロセスを経ることで、後からテンポを速めたりダイナミクスの起伏を拡げたりしても、力の抜けた状態の自然な身体の動きがインプットされているので、力んで不快な音が出ることが無くなります。力みを排することで、思考回路がついていく余裕が生まれて、隅々までイメージの指令が行き届くのです。ぜひ、試してみていただきたいと思います。