Moments musicaux

ピアニスト・指揮者、内藤 晃の最新情報です。日々、楽興の時(Moments musicaux)を生きてます。

ピアノの構造と奏法(3)

2012年02月28日 | オピニオン
 音色についてのお話をします。
 音色の選択においても、漠然と「明るい音色」「暗い音色」などとイメージするだけでなく、ピアノの構造とリンクした明確なビジョンを持つことで、その選択肢の幅がぐっと広がります。打弦後の音をどのように伸ばして歌わせるかにもさまざまな可能性がありますが、今回は、打弦時の立ち上がりの音色に絞って考えます。

 私は、高校時代に初めて自らオーケストラの指揮を経験して以来、オーケストラの豊かな表現力に心打たれ、一時期ピアノという楽器を物足りなく感じておりました。今では、ピアノという楽器でいかにオーケストラのような奥行きを実現できるか腐心しております。

では、作曲家は何を考えて作品をオーケストレーションするのでしょうか?



 オーケストレーションという行為は、絵画でいう遠近法のようなものです。近くで聴こえるように感じる楽器群と、遠くから聴こえてくるように感じる楽器群があるのです。それを絶妙に配置することにより、サウンドに立体的な奥行きが生まれるのです。



 例えば、木管楽器では、フルートやオーボエよりも、クラリネットやファゴットの方が「遠く」で聴こえる感じがするでしょう。金管楽器では、トランペットやトロンボーンよりもホルンのほうが「遠く」で聴こえる感じがすると思います。

 この感覚は、各々の楽器の音の輪郭がどれだけくっきりしているかによって喚起されます。この音の輪郭を、伊福部昭氏は、著書『管弦楽法』の中で「音勢(おんせい)」と呼んでいます。フルートは、クラリネットよりも音勢の強い楽器ということになります。

 ヴァイオリン協奏曲で、ソリストがバックの弦楽合奏に埋もれないのは、合奏によってバックの音勢が弱まっているからです。すなわち、弦楽合奏は、ソロ・ヴァイオリンに比べて音の輪郭が曖昧になっているので、ソロ・ヴァイオリンのくっきりした輪郭の音が、弦楽合奏よりも「近く」で聴こえる感じになるのです。

 以下、伊福部昭氏の『管弦楽法』から引用します。
 管弦楽の全合奏であっても、皆が弱く演奏する時は、やはり弱いという感じを与えるし、1個の楽器の演奏であっても、強く演奏される時は、強いという印象を与えるものである。この場合、前者を音量は大きいが音勢は小さいと言い、また、後者を音量は小さいが音勢は大きいと言うのである。このような現象があればこそ、Violino Concertoという風な様式が存在し得るのである。管弦楽の中には、40個以上の同族の弦楽器が含まれているに拘わらず、心理的には1個のViolinoと均衡をとることが可能なのである。また、この音量と音勢が持つ一般的な心理効果は、次のようなものである。

(1)音量が大きく音勢の小さい時は、平安で静謐な、また温和な感を与える。
(2)音量が小さく音勢が大きい時は、鋭角的な刺激的な効果を生む。
(3)音量と音勢が共に小さい時は、繊細、薄弱、無気力な心情を喚起する。
(4)音量と音勢が共に大きい時は、壮大な強烈な雰囲気をつくり出す。

 言い換えれば、音量の大小は情緒、情操の広さに関連し、音勢の大小は感情のかたまりに比例すると言い得るのである。

伊福部昭著『完本 管弦楽法』音楽之友社 p.5

 この発想が、管弦楽におけるあの壮大な奥行きをもたらす鍵となる部分です。オーケストラの音楽では、さまざまな楽器で、音勢を絶妙にコントロールすることで、響きに立体的な奥行きが生まれています。

 さて、ピアノにおいても、音勢をコントロールするという発想を持つことで、表現の幅が飛躍的に広がります。



 ピアノの鍵盤を底まで打鍵しますと、底の部分で、カチッというような、わずかな雑音成分が発生します。これを下部雑音といいます。下部雑音を含む音は、くっきりとした輪郭をもち、音勢の強い音として、近くで聴こえるような感を醸し出します(先の例では、フルートやオーボエに該当します)。

 しかし、実際には、鍵盤の底まで行く手前で、ハンマーは弦に到達します。鍵盤をゆっくり押し下げていったとき、カックンという抵抗が発生するポイントがあり、それをアフタータッチ(ナッハドロック)と言いますが、アフタータッチを意識しながら浅めのタッチでコントロールすることにより、下部雑音を含まない、丸い輪郭の音が出ます。これは、音勢の弱い音として、遠くで聴こえるような感覚をもたらします(先の例では、クラリネットなどに該当します)。

 芯のあるよい音で弾きましょうということがしばしば言われます。しかし、芯のある音色と、丸い音色が混在することにより、初めて音楽に奥行きが生まれるのではないでしょうか。左手の伴奏がくっきりし過ぎていると、近くで聴こえすぎて、旋律の邪魔をしてしまいます。内声部も、ちょっと引っ込んだバランスのほうが外声とちょうど良く融合しますし、オーケストラでも、ヴィオラやホルンのような音勢の強くない楽器が、丸みのある響きで音楽を肉付けしています。ffの部分では、とやかく力んでしまいがちですが、音勢の強くない、丸みのあるffを体得することで、オーケストラのTuttiにおける弦楽合奏のような包容力ある響きも引き出すことができます。同様に、同じppでも、音勢の弱い消え入るようなppと、音勢の強い緊迫感のあるppでは、全く異なったニュアンスを呈します。輪郭が一定の演奏は一本調子で平面的ですが、音勢のコントロールにより輪郭のコントラストが生じると、演奏に奥行きが生まれ、立体的な面白さが出てくるのです。

 音色・タッチの選択にあたっては、音の輪郭(音勢)をどうするか、すなわち、下部雑音をいかに利用するか、という明確なビジョンをもつことをお勧めします。

完本 管絃楽法完本 管絃楽法

伊福部 昭

音楽之友社 2008-02-27

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

ピアノの構造と奏法(2)

2012年02月28日 | オピニオン
 ピアノの音量についてのお話をします。

 まず、ピアノのアクションはシーソーのような構造になっています。鍵盤部分に指が乗ると、他方に取り付けられたハンマーが上に跳ね上がって弦に当たり、その弦の振動が全体に伝わって音になります。



 そのとき、より強い振動を弦に与えて大きな音量を得るためには、ハンマーが速いスピードで弦に当たれば良いということになります。つまり、鍵盤を素早く下げるほどffになり、ゆっくり下げるほどppになります。



 一般的に、鍵盤を強く叩くほどffになるという感覚を持っている方が多いと思われますが、このような意識でピアノを弾くと、前回述べたように、力みがピアノの振動を止めてしまい、かえってピアノを豊かに鳴らせなくなる危険を孕んでいます。また、ppを出すときに、力が弱くなりすぎて音が鳴らない危険もあると思います。

 鍵盤がシーソーの構造であることを理解し、鍵盤でハンマーを遠隔操作するという感覚を持つことで、余計な力みも取れ、このような悩みは雲散霧消するはずです。音量に直接影響するのは、ハンマーの速度であり、それを遠隔操作する鍵盤を動かす速度です。このとき、豊かな音を求めて速く打鍵したときと、静かな音を求めてゆっくり打鍵したときでは、打鍵し始める瞬間から、ハンマーが打弦し音が発される瞬間までのタイミングに、わずかなタイムラグ(時間差)が生じます。すなわち、ppを出そうとするほど、音の出てくるタイミングはわずかに遅くなるのです。

 このわずかなタイムラグの感覚を身体に染み込ませることができると、より自在な音量のコントロールが可能になり、内声を引っ込めながら外声を浮き立たせたり、旋律と伴奏のバランスをとったりすることも容易くなると思います。鍵盤に触れている指が、鍵盤の先のハンマーを感じられることが重要で、譜面台を外してハンマーの動きをつぶさに見ながらさらってみることも有効だと思います。

ピアノの構造と奏法(1)

2012年02月27日 | オピニオン
 ピアノの奏法は、ピアノという楽器が音を発するメカニズムと不可分なもので、奏法と音色との関係は、すべて、ピアノの構造から見て音響学的に説明できるものです。その根拠の部分抜きに、手や指の形のみが「奏法」として独り歩きしていることには、いささか違和感を覚えます。

 先日、長野の講座でトライアングルを使用したところ、参加された先生方や、調律師のSさんからも、「わかりやすい」と大変な好評をいただきましたので、ピアノの構造と奏法の関係について、私が考えていることを何回かに分けて書いてまいりたいと思います。



 まずは、脱力についてのお話をします。

 昨今、ピアノ教育界で脱力というキーワードが声高に唱えられています。しかし、ただ脱力・脱力と言われても、雲をつかむような話で、うまく感覚がつかめずに苦労している方が沢山おられるのではないでしょうか。まず何よりも、「何のための脱力か」を認識することが大切です。

 ピアノは、鍵盤の先についたハンマーが弦を振動させ、その振動が金属のフレームや響板を伝って木のボディ全体に伝播し、音作りをしています。脱力の目的は、ひとえに、ピアノの木のボディの振動を開放して、ピアノをより豊かに響かせるためなのです。



 トライアングルを思い浮かべてみてください。トライアングルを叩くとき、棒を瞬時に離すことで、トライアングルがよく振動し、「カーン」といういい音が響きます。ところが、棒をトライアングルに押し付けたままだと、「カッ」という感じで振動が止まり、音が響きません。

 ピアノもこれとまったく同じです。鍵盤はシーソーのような構造になっており、一方に指が乗ることで、他方のハンマーが上向きに打弦します。このとき、打弦後も指がぎゅっと乗ったままですと、ピアノのボディがうまく振動せず、伸びのない苦しそうな音色になってしまいます。そこで、手の甲を上に動かして下向きにぎゅっと乗っていた力を上向きにすっと抜いてあげる(このタッチの状態は、リバウンド、Bounce Back、ハーフ・タッチなどさまざまな呼び方がされています)ことで、振動を開放し、楽器を歌わせるのです。



 ピアノの弦にはダンパー(黒い止音装置)がついています。鍵盤に指が乗るとダンパーが浮いて弦の振動が開放され、指が離れるとダンパーが元に戻って音が止まる仕組みになっています。そのとき、打弦後に最大限ピアノを豊かに歌わせるためには、鍵盤を押さえるのではなく、かろうじて鍵盤にふわっと乗っかった状態で、ダンパーが浮いた状態を保つと良いことが分かります。

 ダンパーペダル(右ペダル)を踏むと、このダンパーがすべて浮き上がり、弦の振動が開放されます。ですから、この状態で弾くときは、トライアングルと同様、打弦と同時に、瞬間的にポーンと手を離すことで、豊かな響きが得られます。旋律を浮き立たせる際、ダンパーペダルをうまく活用して、指で繋がずに、トライアングルのようにポーン、ポーンと離しながら紡いでゆくこともあります。

 慣れてくると、ピアノの振動が身体で感じられるようになってくるものです。ピアノという楽器は振動体であるという原点に立ち返り、振動をいかに開放するかを考えることが、奏法を考えるうえで最も重要なことだと思います。