昨日の読売新聞の編集手帳に次の様な記事が載っていました。
宗教学者の山折哲雄さんが山田洋次さんと会い「男はつらいよ」の話になり
「あの映画ではシリーズすべてに”夕焼け空”の場面をいれました」と。監督が語ったそうです。
そういえば♪奮闘努力の甲斐も無/今日も涙の/今日も涙の日が落ちる・・・。
おなじみの主題歌にも夕日が歌われていたと。
山折さんは童謡「赤とんぼ」に触れて書いている。<(戦争と言う苦難の時期をわれわれは
この夕焼けの歌を唇にのせることでみずからを慰め、未来に期待をつないできたような
気がしてならない>と。
人々を慰め、希望の灯をともす役割を、寅さんの夕焼けは受け継いだのかもしれないと。
渥美清さんが68歳で世を去って、今日で20年になるとのこと。
舅は戦争中は海軍さんでインド洋近くに行っていたとの事。
多くは語りませんでしたが、色んな思いが有ったのでしょう。
私が死んだ時は「赤とんぼ」の歌で送って欲しいと言っていた事を、この記事を読んで
思い出しました。
舅がどうして「赤とんぼ」の歌が好きだったのか、分かったような気がします。
舅は昭和52年にこの世を去りました。
生きていらっしゃる時に「赤とんぼ」の歌の事を聞いていれば良かったと、つくづく思いました。
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「あの映画ではシリーズすべてに”夕焼け空”の場面をいれました」と。監督が語ったそうです。
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この夕焼けの歌を唇にのせることでみずからを慰め、未来に期待をつないできたような
気がしてならない>と。
人々を慰め、希望の灯をともす役割を、寅さんの夕焼けは受け継いだのかもしれないと。
渥美清さんが68歳で世を去って、今日で20年になるとのこと。
舅は戦争中は海軍さんでインド洋近くに行っていたとの事。
多くは語りませんでしたが、色んな思いが有ったのでしょう。
私が死んだ時は「赤とんぼ」の歌で送って欲しいと言っていた事を、この記事を読んで
思い出しました。
舅がどうして「赤とんぼ」の歌が好きだったのか、分かったような気がします。
舅は昭和52年にこの世を去りました。
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