どこで購入したかは忘れたが、ずいぶん以前から持っている。
小さな本で、絵本を見るように時々開く。
Corbusierのエスキースを見るだけで楽しい。
英語で書かれていて、内容は詳しく読んだことはない。
外国で手に入れたものかもしれない。
Rock、つまり山登りなどの時の岩場だ。ロッククライミングなどという。酒好きはウィスキーのロック。オン・ザ・ロックス。あるいはオン・ザ・ロックを思い浮かべる。山で岩を見つけると嬉しい。最近、なぜか高所恐怖症気味になってきたし、そもそもロッククライミングなどトンデモナイ。が、岩場を見るのは好きだし、つたって歩くのも好きだ。そういうときに、ウィスキーのロックを思い浮かべてしまう。目の前のこんな大きな岩にウィスキーをドバドバとぶっかけてググッと飲むと旨いだろうな、と思う。山を歩いていて酒のことを思い出すのはそんな時だ。それ以外の時はほとんど頭の中は空白だと思う。ロックという音楽がrockなのだと気が付いたのが最近で、その時、何となく「岩」なのだな、と思っていた。岩のようにデカく荒削りで、力強く、そんなイメージなのだなと思っていた。つい最近まで。何年か前まで。まともに、意味など考えたこともなかったのである。意味など知らなくても、ロックは歌える。ただ、知らないことで嘲笑の対象になるくらいのものである。それで・・・、rockという言葉に動詞があって、揺れるという意味があることを知ったのももっと最近なのである。いや、知ってはいたのである。動詞としての意味は。しかし、それが音楽のロックとすぐに結びつかなかったという事である、そこまで気にしなかったという事である、これまで。気にせず生きてきたのである、ずっと。とどのつまり、揺さぶり動かす、揺すり揺すられ、という激しく体を動かして踊るイメージらしい。rock’n’roll、つまりロックンロールも、セックスを意味するスラングのrock and roll にヒントを得たあるDJが昔、ラジオでロックンロールとして紹介したのが始まりらしい。身体が揺れ動き、揺すり揺さぶられ、ということだ。そもそもダンスミュージックやダンスはセックスに近い所にあったりするもので、当り前といえば当たり前なのである。ただ、ロック、ロックンロールは激しいらしいのである。激しい揺さぶりらしいのである。ところで、アメリカの黒人スラングはさっぱり分からない。あまり気にもしたくない、めんどくさそうで、というのが正直な気持ちだ。ついでにロックの他のスラング的意味を調べてみると、お金、大きなダイヤ、クラック・コカイン、などなど辞書に出ている。きんたま、などという意味もあるらしい。岩石のように硬く力強いのであろうか。複数にはしないのか。そこにウィスキーでもかけてオン・ザ・ロックス???・・・馬鹿馬鹿しいのでもう止めておこう。英語はムズかしい。スラングはメンドクサイ。スピリットとしても聞いてウンザリするときが多い。
ところで、この岩場に取り組む彼らはもちろんそんな面倒なことは考えていない。ただただ、目の前の現実の岩が好きで登っている。そこを通りがかった私も岩の英語の別の意味など頭にあるはずもない。日が暮れそうだったので先を急ぐ必要があったが、それでも面白くて、しばし眺めていた。仲のよい友人同士で岩登りのトレーニング中といったところのようだった。練習に丁度良い手頃な岩だったのだろう。数時間後、下りの時にもここを通った。日が暮れ、ヘッドランプを使いだす直前だったように思うが、彼らはまだそこにいて、三人並んで岩の方に向かい「これで今日は終わりです」などと言っているのだった。仲間同士ではあるが始めと終わりくらいはきちんと宣言して、ということだったのかもしれない。通りがかりつつ可笑しかった。
フォトは急いでいたのでケータイで撮った。フォトを撮るのが先にあるのではなく山登りが先だ。こういうときはしかし、ちょっとした手間をなるべく惜しまないようにして撮る、ということになる。ケータイでもOKだ。一眼レフだなんだとあれこれ他人に言われたくはない。
最後のフォトはそのあたりに咲いていた花、何の花だろう? 英語だと一般的にflower。これもまたあれこれとスラング的意味がずらずらと付いているのだろうか。
★他人のblogで、ケータイからのみ投稿している人がいて見るといつもとても上手くまとまっているので、よくケータイからの投稿でフォトや文章など上手く載せられますね、とコメントしたら、いえいえ、いつも間違いが多く何度も再投稿して手直しをしています、と返事をくれた。そうだろうな、やはり、誰でも。私もそうであるし・・・。そうして上達していくんだ・・・。
★ところで大潮が起き出してから、冠水は大幅に増したのだろうか?つまり、「大潮による」影響はいかほどだったのだろうか?
普段の大潮の時に比べてどれくらい、川の水面の上昇が見られたのだろう?何センチくらい?そしてそれは例えば車の走行を不可能にするようなものだったのだろうか?街の住人にどういった影響を与えたのだろう?、などなど、思う。タイの洪水の話。
★下のようなことをblogサイトに要望、意見書として書いたりした。だいぶ前だ。自分の個人的なことをさらけ出すのは、事がらによっては疲れる時がある。匿名で本人と知れなければいくらでも書けることもあるだろう、それは・・・。公衆トイレの落書きにも似て。しかし、ある程度本人と知れているときは、そうもいかない。あまりの嘘も書けないし・・・。ぜんぜん違ってくるもので、当り前の話。
要望は2本。ま、細かなことといえば言えなくもないけれど。
「以前に一度書いたことと同じになります。
タイトルにブランクを入れることができません。入れた文字に間隔を開けても反映されず、左詰めになってしまいます。文字入力した時にブランクなど、それがそのまま反映されるようにしてくれませんか。現在は何か記号などを入れてごまかさざるをえません。以前一度このことを書いた後で直ってはいたようなのですが、また元のように戻ってしまっています。みなさん誰か人が言ってくれると思って黙っているのでしょうね、そういう人も多いと思います。でも私は言っていくことに疲れました。」
「編集画面にフォトを何枚か配置し(たとえば今日のように)そこにコメントを付けているときのことです。漢字に変換する箇所に帯がけをして、変換キーを押すと、そこから下に配置しておいた画像数枚がすべて消えてしまいました。削除されどこにもありません。
これは他人にログインされいじられて操作されたということでしょうか。
編集ソフトの不具合であるなら直してください。
以前もこれと同じようなことがあり、改善の意見を言いました。こういうことはユーザーが言わなくても正されるべきです。もう疲れました。」
なかなか訂正、修正されないときがあり、仮にこちらが無理なことを言っているときでもその説明がなされない時など、あるいは説明がなされても、誰が聞いたって説明が付いているとは言えない、おかしい、というときに、疲れる。素人であってみれば分からないことも多くあるのだ。こんな簡単なこと、ということを、相手が当然修正すべきところを、修正しないことは実に腹立たしい。そして疲労する。いろいろ屁理屈をこねて、直さない時などは特に・・・。誰にとってもそうではないかな、と思う。
★ららぽーと
★ららぽーと横浜へ行った。都市型のショッピングモールだ。モールといっても地上型ではなく、巨大な建物である。その中に地上3層に渡り、モールが設けられている。今では日本でも全然珍しくなくなったタイプのものである。各階の関連性が切れるところは、吹き抜けなどを使って空間的、視覚的に連続性を持たせてあるので、こちら、つまり、買い物などをする人間が楽しむことができる。よくあるタイプのもの。全体から受ける印象も他の建物と似たり寄ったりである。もう見慣れて、使い慣れたものなので、何となく親しみやすく、嫌な感じや疎外感などほとんどない、というのがおおかたの人々の感覚だろう。だからあまり批判的なことは聞かれないはずである。目新しさはテナントとなる店舗などで演出するくらいしかないのだが、これももう分かっていることで、他のモールなどと似たり寄ったり。コンビニに慣れ切った現代人にとっては、逆に似たり寄ったりが親しみやすさとイコールだったりする。だから同じようなものが物まね的にどんどんできていく。街はそういったもので埋まっていくのである。「安心」ということだろうか、「安易」ということだろうか。思考はあれこれ去来するのである。
さて、お客様としては、ららぽーとは歩いて楽しかった。デザイン用品などを探して回り、食べ物を少し仕入れた。平日は駐車場が無料であることが嬉しい。時間を気にせず歩いていて、何となく発見があり、何となく小物ではあるが買ったりするのである。しかし、横浜のこのような立地で経営は大丈夫なのだろうか、昨今、デパート、小売り店舗も経営難だと言われているし、それに自分はあまり欲しいものも見つからない、物欲が無いわけではないけれど、などなど思いつつ歩くのである。普段考えない様な事も思いつくのである。その時間が良い。良いのだがいつも目についていつも思うのは、建物内部の至る所に設置された防犯カメラである。泥棒や子供の事故があるだろうから仕方が無いということなのだろう。ああ、しかしこうしてみると、山などを歩いている時の快感の一つには、街中での様な監視カメラがないということも大きな要因であることに気づく。トイレの大便用ブースに監視カメラは付けて欲しくないな。
最近、たばこを吸えるところが異常なほど少なくなった。都内など特に異常である。都知事がダメなのだろう。このショッピングモール内はこれだけ巨大なのに喫煙場所は畳2畳ほど。一坪。一坪ショップの広さ・・・。ああ。どうせ一坪スペースなら、思いっきり居心地のよい喫煙スペースにしたらどうだろう。最近の日本はアメリカかぶれのおかしな人間が、気が狂うくらい意固地になって他人の喫煙を非難したりすることがあるようだ。その結果がこれである。幼稚な国民性へと進みつつあるということかもしれない。結果、街頭などで熟年紳士淑女が灰皿の周りに集合、ということになってしまったのである。そうでないところには罰金にたかろうとする禁煙パトロールガードマンが何となくウロウロする始末。監視社会・・・。異常でないかなこれは・・・。強硬な禁煙主張者の多くなった結果がこの街の景観である。ただし、道は吸い殻が無くなり綺麗にはなった。綺麗なことは好いことなのだろう・・・、きっと。
のどが渇いたのでアイスクリームを食べた。久しぶりにまともにアイスクリームというのを食べた気がした。旨かった。店の娘が、くじ引きがありますというので一つだけ引き、コインで擦れ、と書いてあるのでテーブルの上でごしごしやったら、ハズレ、とでた。アイスのゴミなどと一緒にそのままゴミ箱へ捨て、またモール歩きをするのだった。
★公園などで・・・
富士の頂が見える。手前は丹沢山系。
★カメラのオリンパスがニュースになっている。良くない部類のニュースだ。会社の金で使途不明なものがあっただのないだのということらしい。面倒くさいことをしたものだと思う。もちろん、明らかにしたことがではなく不明な使い方をしたことが、である。オリンパスは昔から縁が無いわけではなく、オリンパス製のコンパクトカメラを持っている。今でも。友人もかつてそういった機種を持っていた。コンパクトカメラといえば一時期はオリンパスは多くの人が使っていたと思う。旅行などに行くときは特に。小型で使いやすかった。。デジタルの時代になってからは、カメラというものが光学的なものから電子的なものになり、それに従って電子機器メーカーなどが参入しどんどん作り始め、アジアのメーカーなども価格競争で加わり、何が何やら分からなくなった。もうデジタル部分にレンズが付いてりゃ、それで好いかといった感じだ。性能も価格帯ごとで言えば似たり寄ったりといったところまで向上している。価格自体も安くできるようになっている。今回のオリンパスの問題は、カメラではなく、医療機器関係でのことだそうだ。いろいろな事を手掛けているのだなと思う。話は違うが、福祉の必要性が叫ばれだしてから久しい昨今、かつて公共事業で不正が横行したように(今も無くならないようだが)似たようなことはその分野でも大きくなりつつあるのかもしれない。医療機器関係と聞いて、何かそのあたりを連想した。事件は違う内容かもしれない。よくは知らない。
持っているオリンパスのカメラは、当時の人気機種である。とても気に入っていたが自慢の軽いタッチのシャッターがさすがに少しだけ不具合が生じるようになった。でも、フィルム使用のものながら、いまだに使える。
★横浜みなとみらい・桜木町駅近くのカフェで。この辺り、桜木町の駅周辺は昔はどんなだったのだろう。みなとみらいに超高層や動く歩道ができる前に桜木町駅で乗り降りしたことはある。でもそのときそこがどんなだったかは覚えていない。街というのは、開発などで取り壊され新しくなると以前の街並みはほとんど思い出せない。
★このところ、閲覧数というのが急に増えて驚いている。
★下のフォトは、ここ数日の空、そして季節は過ぎたけれど、うちわ。空に浮かぶこの雲は、呼び方としては、いわし雲とか、うろこ雲などなどあるようだ。先日、あれ?どういうのを言うのだったかな?季節は秋で良かったかな?などと疑問を持ってしまったので少し調べた。調べた先は誰が撮ったのか、綺麗なフォトが例として何枚も載っていた。2枚目のフォトもいわし雲と言うらしい。調べるまではこれはうろこの形だからうろこ雲、いわし雲はいわしの魚の形をしたものと思っていた。そういう雲も実際に見ることはある。そう思っていたら、2枚目のもいわし雲と言うようだ。「いわしの群れ」に見えるからだそうで、考えてみると、いわしは見たことはあっても群れとなると、漁師でもなければなかなか見ることはない。知らないものだと思ったのだった。1枚目も部分的ではあるがいわし雲と言えると思う。丹沢の山の方を撮っていて小さく山の影が映っている。いずれにしろ秋の空だ。
うちわは今年の夏に、ある鶏料理屋へ行ったときにもらったもの。名古屋コーチンを食べたくて行ったのだった。季節は変わり、昨日は、はや、木枯らし1号が吹いたそうだ。昨夕、近くの街へ行き、店から出たら日が暮れていて冷たい風が吹き、急に寒くなったなと思ったら、木枯らしの到来だった。いつもそういうときに、気のせいかなとも思う。 ニュースを見て、やはり、といった感じだ。実はうちわの背景のブルーも実際の秋の空だ。
また今日、昼間は風もなく暖かい。
★最近、テレビのニュースを見ていて良く分からないことが多い。タイでの洪水もその一つ。こう言っている。「タイでは、月末(だったかな?)あたりに大潮になる。川を海の水が逆流するので今回の洪水の水が引かなくなるのではないかと心配し、云々・・・」というようなことを言っているのである。これだけのことでその状況が分かる人がいるのだろうかと思うのである。それではタイの人は大潮のときにはいつも「心配」していなければならないのか、と思うのが普通だろう。今回洪水があったから何となく大潮で危ないのも分かる、などとは思わない。そんなに大変な土地柄だったか? 大潮に台風でも重なったらということなのか、などなど、要は大潮が今までそんなに大変だったのか、今回の洪水とどう関係しているのかということがまるで分からないのである。現地レポートの「お兄さん」は例によって洪水に見舞われた地区へ行き、水につかった家屋、工場などの映像をバックに「記念撮影などをしている」と言ったら叱られるか、「こんなに大変です、こんな状況です」と言っている。画像良好で映し出されているから、こんなに、というのがどんなかは見れば大体分かる。分からなさそうなところの説明は無いのである。
★「大潮で大変かも」というのは、想像だが「先の大量降雨による川の洪水で一部、堤防が決壊したのかも」という想像しか成り立たないように思う。しかし、日本のように至る所堤防だらけにするような土地柄(日本の場合はそれに加え、かつての政治家と役人の石頭もその原因である)だったかな、タイは。上流域などは特に自然のままの、堤防なんか作っていない、河原に緑の生い茂るジャングルだったり、そんなところではなかったのかな。河原の広くとれる川は流量が大きく取れ、その淵の堤防も小さくて済む。そもそも自然の川は人間などが堤防を作ることももちろんない。大量の雨でそこら辺りからあふれたということではないのかな、とそんなことを思ったのである。それが海の大潮の逆流とどう結びつくのかが良く分からないのである。それとも、先の洪水で下流域の都市部で堤防が大決壊でもしたのだろうか。それなら直ぐ修理にかかれば良いから、テレビはそうコメントすれば良いはずだ。ところがそれはない。ただただ、水につかった街を近景で、上空から、あるいは現地法人社員の「大変です」のアップ顔で、などなど流しているようだ。それももうここ数日おさまりつつある。ヒートアップ即クールダウン。まだ水は引いていないようだが、またいつものように「その後どうなったかは、ようとして知れず、引いたかどうかすら知れず」といったところになるだろう。その頃人々にインタビューすればこれもいつものように「えっ?引いたんでしょ?」と質問混じりの、でしょ?言葉で答えるだろう。だって知らされないものね。普通に情報に接していてそこは知らされないのである。そういう始末・・・。とっくに引いているのに「引いたとは聞いたことが無い、うーん、大変だろう・・・」と想像で眉根を寄せる人も少数いるだろう。どっちも、知らされていないのである。
★車を直してもらいに行った。エンジン始動時にかなり大きな擦れるような音がするのである。店に訊くとベルトに問題があるそうで、結局、ボンネットを開け、調整してもらうことに。30分ほど待つうちに完了し、これで大丈夫だと思います、ということだった。やはり、直すのが早い。素人だとボンネットを開けるところまではできるがそこからさて、何が何やらといった感じだ。
★このところTVで、タイでの洪水のニュースが頻繁に流れている。いうまでもないがTVは動画なので様子がよく分かるが、もちろん画面などという狭いものから全体を想像することはできない。洪水だから、地震、津波などの日本の東北の震災被害とはずいぶんと状況が違うようだ。これが対岸の火事なのかどうかは伝わってはこないが、現地の日系企業が影響を受けていることは確かなようだ。それらの企業に関係する人々は、中には対応に追われている人もいるのかもしれない。また、あまり関係のない人々も多くいるだろう。
しかし、このように突然の広域にわたる洪水?、半端な面積ではなさそうだ。以前、似たような洪水のケースでいずれは引いていくだろう、くらいの感じで報道されているのを見たような気がする。日本でのことだったか・・・。このような洪水はタイでは毎年のことなのだろうか。今まで聞いたことがないのだが・・・。あるいは何十年かに一度のことなのか。 いつもはなぜそんなにはならないのだろう? 今回、なぜ自然に引いていかないのだろう? 引くのにどれほどの時間を要するのだろう、おおよそのところ・・・。私は情報の咀嚼が遅いらしく、今頃、そんなことを言っている。
話は変わるが、横浜のカップヌードルミュージアムには、タイのタクシーが展示してあった。このblogにも載せている。タイではその3輪のタクシーのことを、「トゥクトゥク」と言っていた。現地のタイ人が教えてくれた。音からイメージされたものかもしれない、とその時思ったものだが、本当のところは分からない。
★ 知識を得ていくことにものすごく快感を覚える人というのもいるらしい。常人には想像もつかないくらい。知識欲というのはもちろん人間、誰にでもあるものなのだが・・・。
★風景にもいろいろあって、奇景、奇観、珍景、絶景、などなど。
★東北大震災の後、東京近郊の鉄道では節電のため電車の車内照明が消えて、それが突然のことでもあり、意外と新鮮で落ち着いた感じがしたのを覚えている。
★これも震災直後、「買いだめは控えてください」と教育的指導を言うCMがあり、それを観ていた人たちが一斉にメモ帳を取り出して、思いついた買いだめの品々を書き付け始めた、というエピソードがあるとかないとか・・・。
★昨夜は夜遅くまで、久々にcherの歌を聴いていた・・・。