カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

大晦日・2010

2010-12-31 | エッセイ

大晦日。今日は風もなく暖かい。信じられないくらい穏やかな日だ。今、丁度昼過ぎだから、夕方、夜になってくるともしかすると風が出てくるかもしれない。昨年の大晦日がどのようだったかなと思って、自身のblogを見てみたら、風が強く、空に雲が浮かび、それが風に流れ、寒かった、といった感じだった様だ。( 「大晦日。」 )それに比べ今年は暖かい。
 今年、最後の日です。個人的な身辺のことをあれこれと書きつないできました。今までお付き合い頂き感謝しております。それでまた昨年末の様にいきたいと思います。

温かいポカポカと・・・晴れ大晦日の夜は何処かへ出かけたいさらば20102011ようこそこんにちはそれではよいお年を!


                                          


                                            

 

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30Dec2010・part2

2010-12-30 | エッセイ
年末投稿ケータイから~

15秒間程のテレビコマーシャルでその製品のコピーを公募したら良い。完全公開コンペだ。コピーライター要らず。ケータイからの投稿を随時公開しつつ、どれがどれやら分からないまま、当選案決定へなだれこむ!1等案が決まる頃には、もう落選案、脱落案の方が大うけにうけて、大騒ぎ。1等案を見て、みんな、なんやこれ?と言ったりする。たぶん、本当にそうなる。

ぜひ、やってみてください。
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30Dec2010

2010-12-30 | エッセイ

                                                      
                                                    東京フォーラム附近  28Dec2010

                                                                    
                                                              皇居外苑附近 28Dec2010


年末の掃除をした。大掃除というのではなく、下水の排水管の掃除など、こまごまとしたもの。寒いので手がかじかんだ。その他、買い出しなど。食料品は正月の縁起物などに切り替わっている。
 一昨日、友人にしばらくぶりに合い、東京駅、銀座の辺りを歩いた。終了したイベントもあったが、フラワーファンタジアというのをやっていたので、そのあたりをブラブラと歩いた。冷え込んだ。それにもめげず見物客はかなりいた。ライトアップについては、数年前のナントカというイベントが凄かったと、その友人が言っていたが、私はその頃のものはほとんど見ていない。いつも知らないうちに期間が終わっていたりする。東京駅はリニューアルの工事のため鉄板塀で囲われていた。鉄板塀でそのあたりの雰囲気が以前とまるで違うのだった。クリストを思い浮かべたというのは、うそではないが、連想がかなりズレているなと思った。待ち合わせといっても、どこが入り口やら何が何やら分からず、適当に見当をつけ、後はケータイで連絡をしつつその友人と会うことができた。ケータイが無ければうろうろしていたと思う。
 銀座はその日が仕事納めの人も多かったようで、一杯やってから帰ろうといった人たちが行き交っていた。友人と食事をし、居酒屋へ入った。ほとんど、建築、デザイン、パソコンの話。あとは、旅、食べ物、動物のこと、外国との言葉の違いなどなど、とりとめもなく話した。

クリスト の画像検索結果
クリスト - Wikipedia



フラワ-・ファンタジア 28Dec2010


東京駅 28Dec2010






遊びで作ったもの
odori(dance)   title: like a emoji  part2



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年の瀬も押し迫って・part2。

2010-12-28 | エッセイ

2,3日前にコーナンへ買い物に行った。日常使うものあれやこれや、である。洗剤(補充用大ボトル)とか、節約用石鹸詰め替えパックとか、ふろがま掃除薬とか、パイプ掃除手間要らずまとめて2パックとか、ティッシュ、サランラップ、などなど、年末の慌ただしい風情のお客たちに交じって買い込んだ。なんとも日常的過ぎる話・・・。
 ところで、コーナンにはスポーツ用品も置いてあり、年寄り(ここでは母親のこと)が遊ぶのに、いや日々の老化防止、運動のためにボールが欲しいというので見たらあったのである。よくトレーニングジムなどで見かける直径6,70センチくらいの中に空気の入ったゴム製のボールだ。空気を入れるためのポンプも付いている。ストレッチや柔軟の時に利用する。500
~1000円前後で売っているのだ。こういうものは今はビックリするほど安くなった。嬉しいことだ。それで買おうかなと思ったのだが思いとどまった。母親は高齢なのに加え骨粗鬆症による圧迫骨折という重病をやっており、医者の診断でも骨はすかすからしいのだ。高齢者では珍しくはないらしい。ずっと医者にかかり薬を処方してもらっている。買わなかった理由は、ボールが古くなったりして使用中にパンクをしたら、骨折するだろうと思ったからだ。6,70センチの高さからとはいえ、骨すかすかの80歳にもなった老人にとってみれば、たぶんその高さからすとんと落ちれば終わりだろう。ボッキリとくるのでは、と思った。ま、その前に、買ってもすぐ飽きて{ほかって}おくのだろうけれど。
 隣の棚などを見ると、野球ボールくらいの大きさで、子供が遊ぶための柔らかいスポンジボールなども売られていた。材質はいろいろ発案するとして、中の詰まった、要はパンクのする恐れのない大きなストレッチ用ボールがあると良いのだ。機能に優れそして安価で・・・。たためないので仕舞っておくのが少し不便かもしれないが・・・。 自分が欲しいくらいだ。 :)


閲覧数が予想以上ではあるものの、伸びなやんでいる。もともと私事、あるいはその周辺について書くことにしていたので、期待はしていなかったのだがそれでももっと多くの人の目に触れたらよいなと思う。



                                                              

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年の瀬も押し迫って。

2010-12-27 | エッセイ

1カ月ほど前だったか、下北沢へ行ったときに、歩き廻っていて、ある料理屋の前でフグを見た。店の水槽で泳いでいた。釣りへ行くと小さなフグが釣れることがあり、いつも逃がしてやるのだが、水面からフグが釣り上がってくると、外道なのだがなぜか嬉しい。愛嬌のある顔に友人のような親しみを感じ、撫でてやり、海へ返す。触った感じがフワッとして気持ちがよい。それに比べると、食用のフグは大きく顔も尖り、貫禄がある。最近あまり釣りに行っていない。

グルメ番組を見ていると、「人間とは美味いものを食べて死んでいくのだろうか」と妙に哲学的なことを訊いたお客役のタレントがいて、それに対し店の人が無言で「シー」(イタリア語で、そうですね)と頷いていた。だけど、食べなきゃ歳とって死ぬこともできないさ。これに今度は私の方が「シー」・・・・・

食品のセールなどで、大安売りの呼び声を掛けているオッサンなどに、そこの棚に並んだ品物について何か訊くと、よく訊いてくれました、といった感じで嬉しそうに笑顔を作って説明を始める人がいるが、こちらも嬉しい。

私の甥は、高校でサッカー部のキャプテンをしているらしいが、キャプテンと言わず、オヤジとかオヤカタとかいった役職名らしい。和風の様だ!!???ホントかな???

街を歩きながらフォトを撮りまくっていると、googleのロード写真と似てきてしまう。最近特にそうなってきた。そして、ほとんど記憶に残っていない。

先輩とほんとにしばらくぶりに電話で話した。忘年会の最中だそうで、飲まなきゃやってられないよ、と笑っていた。なんかいいことあるよ、うん、などと自分もこちらをも慰めるような事を言ってくれた。何か分かりませんが、とにかく有り難うございました。

鶴などの、お笑い話を聞いていると、関西(主に大阪)の人というのは、「ええ人や」というのと「こっすい人や」、の2系列に分けられるもののようだ。その他極め付きとして、「えげつない人」というのもあるらしいが、これに自分が分類されるのは、極力避けたいらしい。

昔、縫いぐるみの熊さんか何かに見たてられ、「中に何か入ってるんじゃないか」などと軽口をたたかれて、まあ、面白かったことがあるのだが、その時の答えの変則形として、「入ってる、入ってる、何が入ってるか想像してごらん」などと言ってもよかったかもしれない。目を見張って答えを待つ顔を作ってみれば、こちらの笑い力の方が勝って、相手の顔が能面になったかもしれない。

記憶とは曖昧である。私の場合、blogなど書いていると、ノンフィクション、事実に基づいて書いているといっても、もうほとんどフィクションかもしれない。あまり事実であると思われるのも困る。

名古屋のお菓子で、「音聞山」(おとききやま)というのがあり、知らなかったのだが先日初めて食べた。特には、普通の饅頭だった。説明書きに、万葉集にその山の名がでてくる、と書いてあるので、どんなに素晴らしい山かと思って調べてみたら、天白区という街中の高さわずか44メートルの山だった。拍子抜けだ。なんでお菓子の名に? ただ、もみじの紅葉は良いところらしい。


                                        

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kakkyyyYAMA周辺・26Dec2010

2010-12-27 | エッセイ


26日、自宅近くからの丹沢の眺め・夕方

 

 
よく見ると鳥の巣があった


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夜の報道番組

2010-12-26 | エッセイ
TV朝日の報道ステーションを寝っ転がって見ていた。夜もその時間になると目線がだんだんと床と同じレベルになってくる。古館の番組だ。サッカーの国際審判員のうち、超A級と言われる人が世界で12人ほどいるらしく、その中に我が日本人の審判も若干1名だか(たぶんその人ひとりだろう)含まれているということで、それをまた流行りのカリスマナントカみたいな形で取り上げるのかと思っていると、果たしてそうだった。最近のTVは直ぐにヒーロー扱いを始める。TVを見ていてそうなりそうな番組の造りの時は、事実を歪曲化しているような気がし、それを茶の間の何百万人(何万人くらいかな)の人々が何の気なしに見て(仕事などで疲れているだろうし、そうだと思う)なんとなく納得してしまっているのだろうなと思うと、余計な事と分かっていながら少しイライラする。そして多くの場合、チャンネルを替える。このイライラはマスメディアが発達して以来の現象だろう。私だけが特別ではないはずで、その証拠にTV局に問い合わせ、抗議の電話、メールなどは頻繁にあるそうだから、多くの人が何かを感じているのだ。そしてストレスを溜めることがあるのだ。
 ところでその番組はその審判員のジャッジをスーパージャッジとして褒めあげているのだった。古館という人間が口をとがらせあの語りでやるものだから、もう超褒めあげMAX、と言った感じになるのだ。あまりいい感じがしない。で、内容はどうだったかというと、どうも疑問が残る内容なのだった。ワールドカップでのモチベーションが上がりきった、スーパーチームのスーパープレイヤー同士の試合中の一瞬のファウルを的確に捉えた、と持ち上げているのだった。両チームの二人の選手がボールを取り合って一人が転び、相手方の一人がそれを踏みつけてしまった一瞬を見逃さず、踏みつけた選手に毅然としてレッドカードを出したことを、古館がべた褒めに褒めているのであった。番組の造りもまさにそうであった。スローで見るとそこのところがよく分かる。軽くではあるが故意に踏みつけているともとれそうな感じだ。だが、私はここから違う感じを持ったのだった。よく見ると倒れた選手はボールを一瞬だが抱え込んだ形で倒れているのだ。一瞬のことだがどちらもスーパープレイヤーだ。その一瞬に本来なら有利になるためのあらゆる複雑な動きができるはずで、スローだと流れは分かりにくくなるかもしれないがそれがよく分かる。お互いボールを奪い合って戦っているのだ、世界の舞台で。踊りなどの演技なら別だろう。でもそうではない。反則を取られた選手は一瞬ではあるがあれではボールをプレイできない。そのコンマ何秒かはその試合のその時ではとてつもなく重要だったかもしれない。倒れた方は故意ではなく倒れてしまったのだから、悪意もないということで言い訳は立つ。倒れちゃった、分けだ。ボールを抱え込んで倒れた選手を、思わず踏みつけた。こいつ、と思ったかもしれない。怪我はしない程度だがボールへ行っている分けではなく相手の足を踏んでいるからそう言われても仕方がない。一流の一瞬のプレイだ。結果、一発退場の判定が下され、レッドカードが高々と揚げられた。
 踏んだのは悪い。どう理屈をつけても仕方がない。でもあれでは一瞬かもしれないが本来プレイできるはずのところがプレイできない。よりによって、ボールの上に抱え込むように倒れなくてもよさそうなものではないか。私はスローでゆっくり見ながらだったからこう言うことができた。「欧米か?」ではなくて、「おまえはゴールキーパーか?」
 イエローカードぐらいで良かったのではないだろうか。


                                                                             
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25Dec2010

2010-12-25 | エッセイ
ニュースなどを見ていたら、docomoが「Xi」(クロッシィ)という無線通信端末を12月24日から発売し始めたというのに出くわした。オジサン、もう付いていけません。下りの速度が理論上、75Mbpsだそうで、光並みだと報じられていたりする。そういった方向に進むだろうことは想像はできるものの、やはり驚きだ。似たようなタイプのものはあったらしいがそれよりもまた速度が速くなっているらしい。エリアが限られていたり料金のことがあったりするようだが、規格としてはFomaタイプの10倍の速度だ。フゥ~。USBタイプでパソコンに差し込んで使えるそうだ。今のFOMAタイプのケータイは、速度は遅いもののパソコンに接続してパソコンからの無線通信が可能だ。ケータイの無線機能を使うわけだが、このやり方を応用すると、速度の速いケータイをフレキシブルにパソコンにつないだりして利用できるようにすることも技術的にはできる。ケータイは無線ということもあって、速度が遅いところがパソコンなどとの違いだったのだが、もうそうは言ってられない感じになってきたということの様だ。パソコンを有線でつないで・・・というのが古いスタイルになって行くということなのだろうか。通信規格などの点での、よく言われるガラパゴス化は無いらしい。それは良い結果となったということかもしれないが、凄いとは思うものの、目まぐるしくて、やはり付いていけません。どういう世の中を目指しているのだろう?そんなことを考えた。

                                        
                                        
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23Dec2010

2010-12-24 | エッセイ

一昨日、昨日とどうも放心状態で気力が湧かず、軽いジョグ&ランをするくらいで、後は寝ていた。

何日かの間の疲れがたまった感じだったが、なんとか回復した感じだ。

もちろん風邪などをひくことはない。ここ何十年もひいたことがない。

いつもせいぜい鼻風邪どまりだ。

今日はこんなところ。

Marisa Monte - Não Vá Embora
http://www.youtube.com/watch?v=VBP8ifg-MdM
(marisa monte 熱唱  腹の底から湧き出るような歓声)

                                              

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冬至の今日、あれこれ思うとりとめのないこと・・・

2010-12-22 | エッセイ

多面体というのがあって、バックミンスターフラーという人を思い浮かべる人もいるかもしれない。多重人格というと聞こえは悪いが、多面人格と言い方を変えれば手前の事として納得できる人は多いかもしれない。まあ、半分冗談である。

ここへきて、日にちがどうした理由か、1日ずれてしまうのだ。そういうことはときどきある。22日だと思っていたら21日なのだった。今日も、23日だと思っていたら22日だ。冬至だ。柚子湯に入らねば。カレンダーなどを確認しないまま、何となく思っているからそうなのだろう。1日早まった日にちなのだが、他人にフライングさせて自分たちだけが得をしたいような者のたくらみかとも思う。ま、これも冗談だが、西洋などの物語などによく出てくる、小悪魔のいたずら、のようなものかと思ったりしている。
 ところで、21世紀は2001年の元旦が始まりだった。その1年前の2000年の元旦の時、勘違いして21世紀始まりの大騒ぎ、大祝いをした人がいるかもしれない。あるいは知ってはいても何となく区切りが良いので、例年になく気分が盛り上がった人々もいるだろう。そんなんで、良いと思う。2回お祭り気分を楽しめたわけだ。
 昔、筒井康隆のエッセイを読んでいる時、その勘違いしやすい1年のずれについて正確なところが書かれていて、読んだ記憶がある。
 西暦が始まった時、1年、2年と数え始めたそのときは、まだ、0という数字、アイデアは発見されていなかったのだと思う。と、これは私の考え。もし、違う捉え方の方がいたら教えてください。

インターネットのセキュリティーソフトなどを扱っている会社の記事を読むと、パソコン内部のデータなどを盗むやり方が相当巧妙で、ほとんど素人には分からないし、また防ぎようがないように理解できる。パソコンを操作している側の落ち度はまるで無くても、被害に合うようだ。パソコン操作をする者はいろいろな操作をするのは当たり前で、よっぽどおかしな操作をしない限り被害に合わないはずのものだし、そうでなければならないはずだが、通常の操作範囲で、盗まれたり壊されたりするようだ。何か、専門家などによる有効な対策はないのだろうか。
 これを読む限り、銀行などのネットによる口座のお金の出し入れは、そういう手続きをして始めること自体、かなり危ない事の様に思う。他人にログインされてしまうからだ。そうなると後は犯人の思うがままとなってしまう。そう読めるのだ。信頼のあるセキュリティー会社の記事だからまず間違いないだろう。日本人は人がいい方だと思うが、ネットは外国からでも接続可能だ。私見だが、あまり知識がないのなら、従来通り、カードを持って監視カメラなどの設置された銀行のATMで出し入れ、というのがとりあえず分かりやすく安全だと思う。ネットからの操作ができる商品に加入を勧める銀行側とは、考えが少し異なるかもしれないけれど。しかし預金者の納得のいく方法が良いに決まっているのだ。
 これらの問題はインターネットを大きく利用する社会を形成しようとする立場からすると、致命的ともいえる大きな欠陥なのではないか。イタチごっこなんですよ、などと言って済ませるわけにはいかない事のようにも思う。その度に被害者は出続けるわけだから・・・。

前述の文章に関連して、最近、私のパソコンで私が書いた文章や画像(パスワードなども含めて)が、もしかしたら、blogなどに載せる前に漏れているのではないかと感じるときがある。具体的な根拠はここでは言わないが、本人だけがそう感じる感じ方かもしれず、なかなか確証が得られず、関連性の実証が難しいことは最初から分かっている事柄でもあり、手前勝手ではあるかもしれないが絶望的な気分になることもある。また、多くの時は内容の重要度によって気にならなかったりもする。が、漏れているとすれば(仮定なのだが)誰にとっても内容の軽重を問わず大きな問題であることに変わりはない。
 同じような実感を持つ方いらっしゃいませんか。あるいは実際に被害に合った方など・・・。
 私はこういうとき、このことについてのみでいいから、鈍感ならいいのになと、よく思う。気づかないだけで、漏れているのに変わりはなく、まるで間の抜けた話ではあるのだけれど・・・。


                                          
                                                                                 

cher-alive again [official music video]



                                                                                 

12月20日の
ある日の吉阪先生のこと
に本日、文章を追加しました。

                  
                                                   

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