drawing 海と空と may2021
昨日の夜は皆既月食が見られるということで、ビールを一缶飲み、待ち構えていた。
待ち構えていたのではあるが、関東地方は天気予報を見てもどうも雲行きよろしくなく、日暮れていく空を見上げてもうっすらと雲がかかって、ちょっと無理かなと思っていた。
メディアで欠け始めの時間です~とやり始めた時から野球中継をも見ていたので急に忙しくなり、家の2階へ行く階段を上ったり下りたりしていた。で、結局、見えなかったのであった。・・・・・。
ぜひとも肉眼で直接見ねばと思っていたのだが、その時間にいったいどのあたりに出ているのやら、方角すら怪しいものだった。月も星も何にも出ていなくて、雲すらも形を成さず一面に平たくかかっていて、言ってみるとツラーッとした空だった。そんな何にもない夜空を見上げているのも、どこか間の抜けた感じがした。
メディアでは関東より北の地方で見られた映像などが映し出されていた。そっちは運よく晴れていたらしい。随分と綺麗な映像として映し出されていた。暗さを含んだ赤みを帯びた色になっていてとてもいい。まあ今回、テレビ、YouTubeなどのそういった映像などで満足ということに・・・。
簡単に諦めて月食のことを忘れた頃、ちょっと外出した。空を見たら薄ぼんやりと雲の陰に月の明かりが見えた。ちょうど月食の終わりの頃の時間だった。おせーな・・・。歩きつつ見上げていたらその後、だんだんと雲の向こうで明るさを増すのだった。まったく間の悪い出方をするなぁ、と思いつつ。
こんな・・・
日によっては暑いなと感じることが多くなった。
外へ出ればマスクが蒸し暑いし・・・。マスクなんて小学校の時でもした記憶がないのに・・・。
今年の2月に熱海へ一泊の旅行をした。当blogでもその時のことは取り上げている。
梅と海を観に行った。
思えば昨年は夏の8月半ばに、山登りとしては時候の良い頃に、福井側から白山に登り、大いに満喫したのは良かったのだが、その後はどこへ行くこともなく過ごしていた。せいぜい近場の海へ日帰りで行くくらい。コロナの影響も頭の中にはあっただろう。9月に入ってまだ残暑が残る暑さの頃からもうどこへも行かず鍋ばかり食べて過ごしていた。白山行で気が少しばかり抜け、変わって野菜を食わねば、それも簡単に・・・、という山旅とは何の脈絡もない思考回路で野菜鍋ばかり食べていたのである。山行きなどの個人的習慣から天気予報は普段からよく見る方だと思うのだが、丁度その9月頃、ウェザーニュースを見ていたら、キャスターの角田奈緒子が最近鍋をよく食べていると言っていて、おんなじだ!と思った。まだ鍋の季節とまではいかない頃だったので印象に残っている。自分の場合は野菜摂取と酒に合うのでこれ幸いと大量の野菜を食べていたのであった。アメリカ人は肉を食べるときにでっかいボールに山盛りの生の野菜を食べているけれど、日本人だと得意の鍋にすれば相当多くの野菜を難なく食べられるものだね。残りのつゆもいい味が出て、おじやにでもすると最高だ!
それで鍋を食べていたら、どこへも行かぬまま年が暮れてしまったのである。
一泊ぐらいでどこか近くでいいから行こうと思っていた。そうするうちに日が経ち、1月に山梨、2月に入ってやっとのことで以前から泊まってみたいと思っていた熱海へ行ったのであった。
熱海は一泊ながら良い旅であったよ。行きに小田原で新しくできた「ミナカ小田原」を見て、真鶴では港まで歩いた。遊覧船に乗って海から半島を眺めてみたかったのだが、これはコロナの影響などで休業中であった。しかし、「コミュニティー真鶴」など偶然出くわした小さな建物やもろもろのことがいい街だなという印象として残ったのだった。きっと車で行ったらここらあたりはすっと通過してしまうのだろう。これまで何度か伊豆半島は行ってはいるのだが真鶴をあまり知らないのはそんなところだったのだろうと思う。
熱海ではブッフェスタイルの晩と朝飯の付く温泉ホテルに泊まった。高層の部屋数の多いホテルで内部を探索しているときはそれほど多くの人が泊まっているとは思えなかったのだが、晩飯の時にブッフェのホールに現れた宿泊客のなんと多かったことか。こんなに多く泊まっているんだ!と思った。コロナへの配慮からパーティションが設置されお互いの間隔もある程度取られていたが、満席だった。コロナのことより繁盛していていいなという思いが先に立ち、皿山盛りで食べ、ビールもお替りして心ゆくまで飲んだ。
その後、温泉にも入り、満腹になった腹も少し落ち着いた頃、熱海の街へ散歩に出た。とっくに日は暮れ、夜になっていた。
海へ出た。潮風が吹き丁度良い気温で、歩いていて心地よかった。砂浜にはやはり同じように夜風にあたっている人たちがちらほらといた。静かだった。
少し歩いて浜の脇の木の下にあるベンチに腰掛けた。風にあたりつつスマホでその日に撮った写真や旅情報などを眺めていた。静寂の中、何か小さなものが目の前の草むらに落ちる音がした。頭上の木の中からだろう、同時に何かの鳥がキャッと鳴いて飛び立った。木の中に鳥がいたんだ、寝ていたのだろう、夜に飛び立つなんて人間が近くに来たからだろうか。目の前の落下したものはなんであるか、ちょっと見たものの暗くてよく分からなかった。
スマホに見飽きてまた少し歩いた。夜道のアスファルトの上に、何羽か鳥が出ていた。こんな夜遅くに鳥って道に出てくるものなのだろうか・・・。
熱海の特徴か、温かな温泉の影響か・・・。
その足でまた熱海の坂道を上り、ホテルに帰ってテレビでも観ようとスイッチを入れたら、地震のニュースが飛び込んできた。2月13日23時08分、東北の例の大震災と似た場所が震源地の最大震度6強の地震だった。熱海も揺れたらしいが全く感じなかった。鈍感か・・・。データを見たら丁度、浜辺でベンチに座っていた時間だった。落下も鳥もそれだったのだろうと思った。野生は敏感だ。次々とニュースが入り、スマホでも調べた。よりによって旅の一夜だったのだが、調べるうちに夜の3時4時になってしまった。夜更かし天気予報・・・。後日談になるが友人にその時どうだったかという話をしたら、関東は結構揺れて川崎では停電などあり、自分のところも電気が消えたよと言っていた。こちらその時、静岡の端っこ・・・。
半分寝ぼけ眼で梅園に向かったのはその朝のことだった。梅園、良かったな。:)
今日は暑い。雨降る昨日とがらっと変わって、気温がぐっと上がっている。
昨年の夏が過ぎ、秋に入り涼しい風が吹き出した頃、不思議なことに遭遇した。とても小さなことだった。
秋の夜長、夜更かししてテレビを観ていた。夜の1時を過ぎ2時を回った頃、リビングにいる僕の耳にキッチンの方から、カサッという音が聞こえた。小さな音で、気のせいかと思うくらいの音だった。テレビは深夜の景色のいい番組などを観ているため音消しにしていた。空気が少し揺れたくらいの、音とも言えないような小さな音。なんだろう? キッチンの方だな・・・。立ち上がり歩いてキッチンを覗いた。照明を点けた。特に変わったところはない・・・、???、あれっ??? 棚の上に置いてあるパスタの袋から1本だけ、パスタが出ている。縦に置いてある袋から縦に1だけ・・・。あまりにも小さなことで見逃せばそれで終わったかもしれなかった。自分が袋を開け調理した後に飛び出たまま仕舞ったのかもしれないとも思った。なにか変だな・・・。そう思いながらその日は過ぎた。
それから1日2日経ったころ、やはり深夜2時3時頃、テレビを観ていたら、またカサッという音が・・・。なんだろう? 今度は足を忍ばせ、そーっと数歩歩き、キッチンを覗くと、またパスタが袋から1本・・・。今度は確実に袋に入れていたので何らかの理由で1本だけ飛び出たのだろう・・・でも、なんで、どのようにして???。
ゴキブリの奴かとも思った。秋に入ってはいたが季節に関係なく、そヤツは出るときは出るからな・・・。
パスタは3、4センチ飛び出ている。前回もそう。だけどゴキブリというのがこんな器用なことするだろうか、深夜の丑三つ時だし何かの超常現象だろうか、、、。
深まっていく秋の夜の静けさと気温の低さからヒューッと寒い風でも吹き過ぎていくような気さえしたのだった。
僕は幽霊とか心霊現象などは信じない、というか頭に浮かばないくちなので、何か突飛な、想像もつき難い物理的な現象かなという気もした。
例えば、温度が夜になって下がり、パスタの表面の微妙なカサカサが擦れ合って1本だけ出てくるとか、、、ほら、よく手品でトランプカードの束から選んだカードだけがふーっと浮き上がってくるような、そんなのがあるじゃないか、、、そんなことがパスタにもあるのやもしれぬ、それだと面白いな、だけどそれだとパスタというパスタがどこの家でも深夜に1本だけ立ち上がるということになってしまうな、世の中でそんなこと話題にはなっていないな、聞いたこともないし、、、。
テレビを観て寝てしまった。
それから数日経った。
ねずみが走ったのである。いや、ホントにびっくりした。
どこに?って、家の中を・・・。リビングを・・・。すごい勢いで走ったのだ。家のある場所は郊外とはいえ住宅街ではあるのだ。街中なのだが・・・。いや人間のいるところにこそむしろ生息しているものなのかもしれない。ねずみがいるにはいるとは近所の人などから聞いてはいたけれどまさか中にいるとは。走っていやがった。
少し高価な茶碗やら置き物などが入れてある家具があって、その裏から走り出て、オーディオの置いてある棚の裏へと、3メートルほど。深夜の時間をテレビを観て静かに過ごす僕の視覚の中にそれが入った時は、んっ???ときて一瞬だが全身が泡立つ感じがした。ねずみだ!!!
家具裏から家具裏へと、右から左へと、まるで野球のバッテリーの隙をついて2塁へと盗塁する選手のように走った。方向もおんなじだ。
これまでのパスタ飛び出し現象の謎が氷解した一瞬だった。
まさか、自分の家の部屋の中に、中に、だ、ねずみがいるなんて想像もしなかった。そんな場面で黒っぽくて動くものと言ったらゴキブリぐらいしか想像できなかったのだが、一瞬のその姿に、ねずみだ!!なんてでっかいんだ!!と思った。
ゴキブリよりやはり、だいぶでかいな。意外と足細く長く、タカタカタカといった感じで走るものなんだな!! そう思った。
その直後、ねずみ君は、そう名付けた、オーディオの家具裏から走り出てリビングのドアを出、風呂場などのある水回りの方へ抜けたようだった。ようだったというのは、見えないのである。普通に生活しているときの普通の目の動きでは・・・。そのくらい動きが速くすばしっこい・・・。僕にとってはめったにない経験だった。
どこからか穴を通って家の中に侵入して来ているのか、今そこから逃げたか、あるいはまだ家の中にいるか、などと考えを巡らしつつその日は寝てしまった。睡眠は大事だ。明日の健康のために。
その翌日から1日2日、外から入り込む、あるいは内から出ると想像できる自宅の穴という穴を全部塞ぐという作業をゴソゴソとやっていた。ガムテープなどを使ってね。ねずみ君、家から出ていないとすれば、もう出入口は塞いだから数日で腹が減って餓死するかもしれない、食べずにどのくらいの期間生きられるのだろう?などと思いつつ・・・。
排水管などの状況は仕事柄、見えないところでも大体は想像できるのだった。
超常現象の原因がねずみ君と知ってからキッチンの、ある場所に餌になるパスタを少しだけ置いておいてやったよ・・・。
翌日、キッチンに小さく折って置いてあったパスタが消えていた。やはりまだ家の中にいる・・・、笑。たぶん水回りの洗面台やバスタブの裏辺りにいるのだろう。
その夜、今度は晩飯を食べ終わって静かにしているときだった。すぐ近くでまたカサッという音がした。見たらそのねずみ君だった。ザッと手を伸ばして追った。一瞬で逃げたようだった。リビングの壁伝いに走ってドアから出て、水回りの方へ逃げたようだ。壁伝いに走って逃げたとしか考えられないのだが僕の目ではまたもや捉えられなかったのである。動体視力は悪い方ではないのだが、相当すばしっこいことだけは分かった。また、ねずみというのが壁伝いに走ることも分かった。そういえば最初に見た時もそうだったな・・・。
また1日2日経った頃、やはり晩飯を食べていたら、視覚の片隅に動くものを感じたのである。そっちの方を見たのだが、グレーの影が動くようにしか見えないものなのだな。なかなか明確には捉えられない。影の動いた先の、足元近くの家具と壁の隙間を見たら、そこに小さな顔が見えていたよ。ねずみ君、こっちを見ていた。ほんの2、3センチの隙間だった。顔が通る隙間ならぶつからずに相当なスピードですり抜けるようだ。餌のパスタまでもう少しの距離。顔を出してこちらの様子を窺っているところを見ると、あまり目は良くないのかもしれない。そう思った瞬間にドンと床を踏み鳴らした。ねずみ君、反転してまたグレーの影と化し、影は壁伝いに逃げ口のドアへと向かった。そこでまた連続してもっと大きくドンと床を踏み鳴らすと、びっくりしたのかぴょんと小さく飛び上がりながらなんとか90度に曲がってドアから逃げ出て行った。この一瞬は目に見えた。丁度、アニメなどでねずみが慌てて逃げるときの動きと同じだった。
しばらく待つことにした。数日経った頃、狙っていた通りねずみ君がリビングの壁の隅を走るのを見た。今度は家具の裏へと移動した。丁度良い場所だ。すぐにその家具の反対側の隙間を塞ぎ、逃げ込んだところも塞ぎ、箒を持ってきて家具の裏の掃き出し窓を開け、その箒の柄を隙間に突っ込み、ドドドッと突つきまわした・・・・・。
多分、あれだけ敏捷だからあっという間に窓から外へと逃げ出しただろう・・・・・。静寂・・・・。笑。
箒を逆さに持ったまま立ち、追っ払い劇は終わった。
その後、キッチンの餌のパスタはそのままで消えることはなく、カサッという音もしないのだった。秋深まるばかり。
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下半身も座っているし
所謂、女投げとは違う
自分はウエイトトレ―ニングゆえか、
昔のようには投げられなくなった
投げると肩がゴキゴキという
開運辞典という言葉を知らなかった。ネットで何かを見ているときに広告か何かでちらりと見たのがこの言葉を知るきっかけだった。いい言葉だなとその時思った。調べると予想とは違って開運に関する、例えば、こうすれば運が良くなるというようなことのみを集めた、毎日広告などに載る星座占いのその日の指南のようなことが書かれたもののようだった。開運アイテムはこれです、こうすれば良い、などというような・・・。それはそれでとても良いことではあるのだけれど。おみくじなどもその一つだと思う。
僕はそれとは少し違うものを連想したのだった。僕が思ったのは、辞典は辞典なのである。普通に言葉の意味は引くことができる。あるカテゴリーに関する辞典でもいい。そしてそこに何かほんの少し開運に繋がりそうなことが書かれている、というようなものを連想したのだった。気にしなければ普通に辞典として機能するわけだ。
僕は今でも高校の頃に使っていた辞典を使っている。昔懐かし金田一京助さん監修のものだ。これが一番使いやすい。言葉がどんどん変わっていく今の時代なので、新しい言葉といっても大したことはない場合が多く、少し前の安定的なところを簡単に的確に押さえてくれているものの方が便利なのである。
この辞典の特徴は、日本語を引くとその言葉を英語で何というかがその下に簡単に一語で書かれているのである。日常の英語ではそれに置き換えれば通じるかといえば、ニュアンスの違いなどから必ずしもそうはいかないこともあるかもしれないのだが、でも一言でそう言えるんだ、というのが書いてあるのを見るのは、ささやかな楽しみの一つなのだ。
例えば、今が季節の潮干狩りの「潮」と引くと日本語の説明の後に「tide」と簡単に書いてある。へ~!?と思って英和で逆に引き直すこともある、時々ではあるけれど。そんなにいつもこういう手間はかけないのだけれど。でも怠けていてもその英語がちらりとでも目に入る。この感じ!少しずつのことなのだがこれは僕は開運だと思っている。だから開運辞典。その時の楽しみなので、すぐに役に立つかどうかは分からないし、あまり問題ではない。この伝で行くと何か開運GOODSなるものもあるかもしれない。自分にとってのモノでいい。あると楽しみだろうと思う。
開運は楽しみ・・・、¥¥¥。
一昨日、特に用事はなかったのだが、散歩がてら町田へ出かけた。
店では今、アルコールが提供されていないので、寂しい限り。
空いている店もありそうだし、何とかならないものか・・・。
それで、コーヒーでも飲もうかと思っていた。
コーヒーにピザでも食べて帰ろうかなと。
人通りはやはり普段の土曜日に比べてまばらな感じだった。
適当なカフェに行き当たらず、なお歩くうちに、急にJazzを聴き
たくなり、駅の北に回ってNOISEへ。
何となく時間を過ごし、コーヒーお替りし、ネットの情報など眺めていた。
掛かっている曲は、男性ボーカルの懐かしの曲だった。
調べると、ウキツリボクと出ていた。チロリアンランプとも言うらしい。
僕は自分の家の庭に毎年咲くこの花を見ると、どういう分けか、ほおずき市を
思い浮かべる。花の感じが似たように見えて、勘違いもあると思う。
けれど毎年、ほおずき市と合わせてこれもどういう分けか、
巣鴨のとげぬき地蔵のお祭りも思い浮かべるのだ。
花自体は、色、形ともに好きなもののうちの一つ。
一昨日の川崎の空。この時期、風暖かくも強く、
雨、晴れを繰り返しつつ、
夏へと向かっていく感じがある。
昨日の川崎の夕陽。変わった色だった。
雲の動きが意外と早く、この後一雨来るかと思って急ぎ足で帰った。
結局、にわか雨は来ず。
色付く竹藪。
そういえば、今、八百屋には竹の子が笊に盛られて並んでいるのを見かける。