カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

7月の自宅近くの風景   2017 

2017-07-31 | エッセイ

自宅近くで  kanagawa













 今月はどうしたわけかネットの通信料が規定に達してもルーターに制限がかからなくて、とても快適だった。理由は分からないもののニュース、blog、blogアップその他、通信速度が遅くなりアクビをしつつ死にそうになりながらパソコンに向かう、ということがなく、助かった。 

 グルメを自認する友人がいて、話などしていると食べることが嫌いではない僕も自然と食べ物には関心が行く。興味の対象が多いということは生きていて悪いことではない。そういった友人などと中華街へ行くことがたまにある。横浜の中華街は好きな街のひとつだ。だいたい旅などで一度行った街は、良かった良かった、と単純にそういう友達と話し合うのである。だから嫌いな街というのがほとんどない。中国人というのは世界のいろいろな所に中華街というのを作っていてとても逞しい。自分もそれほど多くはない経験ながら海外へ出た時など、中華街があると出かけ楽しんだりする。日本人も日本人街というのを海外に作ると面白いのではないかと思う。超大型テナントビルというのは国内、海外の主要都市でも流行りのようだが、モール化された巨大ビルの中を歩くのももう飽きてしまった。どこも似たり寄ったりな感じだ。巨大ビルにするより、中華街のような、ある街区、界隈にした方が地べた歩き感とでも言うようなものが感じられて楽しいのではないかと思うのだが。横浜の中華街などはその良い例だと思う。




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缶詰のことなど   shimokitazawaの街 jul2017

2017-07-31 | エッセイ

shimokitazawa  jul2017

夏らしく街には提灯がぶら下がっていた。











  レトルト食品が発達した。発達したと過去形で言うのは、あまりにも多過ぎて大まかなところではもうこれ以上進化出来ないほど進化してしまった感があるからだ。つまり、袋の中身の、スパゲティに掛けるソースなどに新商品が出ることはあるだろうけれど、レトルト食品という食品のスタイルとしては一応の発達を見たと言えそうだということだ。どうしてこういったことを感じるかというと、麺好きであるがゆえにスーパーの棚を見ることがよくあり、棚一杯に並んだスパゲティソースの種類に目が回り、漠然と、これはもう多品種の限界だなと感じることが一つと、このところ昔ながらの缶詰を買うことがあり、レトルト食品に飽きたのかなと自分で思うことがあるからだ。ビーンズ、果物、穀類のものなどが安く出回っているので買う・・・。製造国は日本はもとより、外国のイタリア、スペイン、南米のメキシコなどなど。アジアはタイ、中国、などなど。ついでにビールはベトナム製造の缶ビールをよく買ってきては飲んでいる。コクはあまりない方だと思うけれど、そこは淡麗、あっさり、切れ味などという便利な言葉に置き換えれば良く、実際に美味いと思う。台湾へ行った時の台湾麦酒に出会った時の嬉しさに似ている。アルミ缶の造りも工業製品の精度として先進諸国と言われる国のビール缶と比べて何の遜色もない。
 
 缶詰はこれはもう工業製品化という以前に昔から世界中で造られ、重宝がられてきた、レトルト食品、保存食品の原形のようなものだ。世界中で造られてきているから今更技術移転だのどうのということもないくらい世界のスタンダード食品だ。かつてインドへ行ったときもヨーロッパへ行ったときも食べたくなると買ってきては、ホテルの部屋で開けて食べたものだ・・・、このとき、缶切りはもちろん持参していた。今は缶切りなしで簡単に開けられるようになっている。種類も驚くほど多く、こんなものが缶詰めになるのかというものもあり、外国のニュースなどでは様々な缶詰がスーパーの棚にずらりと並んでいるのを見かける。
 
 今の日本のレトルト食品も素晴らしいと思う。世界で売れるのではと思う。かたや缶詰は保存が利くので(もちろん缶詰とはそれが売りの代物だ)生ものなどとは違い輸出入での扱い易さもあるのか外国のものが安く出回っているように思う。売れているようだ。便利なので僕も少しずつ買ってはキッチンの棚の奥に入れている。時々開けては酒のツマミなどにする。
 
 街では缶詰をツマミとするbarをときどき見かける・・・のみならず入って飲むこともある。自分の知っているところだけでも町田にもあり、下北沢にもある。缶詰と言っても馬鹿にはならない。とても上手く調理をした良い味の、ツマミには最適と言えるものもあり、その国の調理法で造られたものがその国の香りのまま封印されて運ばれ、まさに今ここで開けられたといった感じだ。暑いときなどそれでビールなど飲むと、美味くてホ~ッと裏声が出たりする。実は昨日、スペインの香り詰まった蛸のアヒージョを食べた。
 
 ところで、ホームセンターなどに行くとキッチン用のアイデア商品が壁一面に所狭しとぶら下がり、これはもう百均の品々と並んで多品種商品の飽和状態だな、と思う。食品にしろ小物にしろ、いろいろな商品が多品種飽和状態となって棚に並ぶ昨今だ。そういえば、数か月前に、東京から少し離れた旧街道筋の田舎の小さな街で饅頭屋を見つけ、ガラスケース内饅頭餅若干2品種、うち1品種品薄気味、といった時のことを思い出した。その時は品薄ではない方の饅頭餅をワンパック買って食べた。これは美味かった。





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新幹線  jul2017

2017-07-25 | エッセイ



新しい新幹線の車両だそうだ。
先日新聞に載っていた。
360キロ!?????
速すぎないか? 
現在でも東北新幹線には320キロで走る車両はあるようだ。だけど・・・。
確かに今回の旅で乗っていても、揺れることもなく滑らかにスベルように走っていて、
なるほどまだ線路の老朽化は進んでいないのだなとは感じたけれど、それにしても・・・・。
プロペラの飛行機並みのスピードなのではないか・・・。
試走で400キロ?

めざせ!との掛け声らしいけれど、
何か恐ろしいスピードの時代になっている気がする。
常識的だけれど、列車には列車のスピードというのがあるのではないか・・・。
テクニカルなところを考慮に入れたとしても。



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バス  銀山温泉で  jun2017

2017-07-25 | エッセイ


銀山温泉の帰りに乗ったレトロバス。

写真にも出ているけれどこの日、陽射し強く陰がくっきり・・・。暑くてめまいがしそうだった。乗ったのは外国人の女性二人と自分のみで、
この女性たちは、見たところ親子のようだった。バスの前でモデルのように立ち、記念写真を撮ったりしていた。
そうこうするうち出発の時間が来た。

バスは尾花沢の市街地、駅などを回り、大石田駅へと向かった。ガイドブックなどには尾花沢市街地にも、
店などの見どころが少しだけ出ているが、

今の田舎町によくある風情で、古い町並みなもうあまり見られなかった。新建材の建物か多い。


行きには、タクシーの運転手といろいろ話した。尾花沢は、スイカの産地だと聞いたし、蕎麦はもちろん採れる。
花笠音頭の発祥の地というのは気が付かなかった。きつい農作業の間に、笠をかぶり、歌を歌いながら作業にいそしんだのが、
後に花笠音頭になった、ということのようだった。
染料にもなる紅花でも有名なのではと思ったが、これについては話をしそびれた。
(いろいろと話ができて良かったです。)




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旅先の部屋で

2017-07-23 | エッセイ


旅先でビジネスホテルなどの個室を確保すると、夜遅くでもホッと一息ついて落ち着くことがある。今の時代なら外とはメールくらいで繋がっているのみ。なかなかその気にはならないが旅のメモなどとるときがある。後で自分で思い出せるようにとるのだが、疲れて端折り気味だ。しばらく時間が経ち、それを見たりすると、なにが書いてあるのが皆目分からなかったりする。文字も絵もフニャフニャだったりして。


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パスタ など

2017-07-22 | エッセイ

 パスタをよく食べる。外食ではなく家で。茹でれば出来上がるのだからこんなに簡単なことはない。茹で時間も袋に書いてあるからその通りにやればよい。それに、長い間置いておいても腐らない。思えばパスタというのはそのほとんどが乾麺で、保存食としてもよく考えられたもの、ということだった。これに似たものは世界中にいくらでもあって、和食ではうどん、冷や麦、素麺などの乾麺。素麺などはものによっては綺麗に細く揃い、表面がスベッとしてしているようでもありで、食べるのが惜しくなるようなものもある。
 パスタは、普通に言うとスパゲッティだ。スパゲッティのナポリタンというのがあるけれど、外で食べて実は旨いと思ったことがないのだ。いつもそこそこナポリタンだな、普通に旨いなと思って食べていたのだがそのうち飽きてしまい、店でも注文しなくなった。ここ20年くらいは、長いな・・・、食べるとすれば、もっぱらカルボナーラかボンゴレだ。ナポリタンは大昔に新宿のどこかのレストランで食べたら使われていたハムが悪かったらしく、柄にもなく腹痛を起こした記憶がある。でも、個人的にイタリア料理は全般的に旨いと感じ、中華と並んで好きな料理のひとつだ。カルボナーラはクリーム感が好きだし、ボンゴレも魚介好きにはたまらない。
 ナポリタンの話だが、以前イタリアを旅した時、ローマでガイドブックに書いてある、大衆的ではあるけれどランチなどに食べてとても満足のいくという店のそのナポリタンというのを食べたことがあるのだが、これもなんだか麺が太くて、コシはあるもののそのコシがどこかへ行ってしまったかというくらい柔らかく伸びた感じだった。やはりそこそこだった。本場のイタリアのローマで・・・。ナポリへ行って食べなきゃならんという分けでもないだろう・・・。
 ナポリタン、作る側からすると結構難しいのかもしれない。ナポリタンは日本ではメニューとして、レストランというか食堂ともいうべき店だと、その前に置いてあるガラスのショーケースの中の、だいたいパスタ類の筆頭に並んでいる。ミートソースと共に・・・。筆頭とはいえ、列の端の方なので僕の場合あまり見ないことが多い。すぐカルボナーラへと目が行くのである。話はそれるが、これと似た感じでやはりその手の昔からある食堂系レストランのガラスケースには、カレーという種類の一品が大概あり、棚の端の方に時としてほこりをかぶったように並んでいる。カレーというのは食堂系では定番ではあるが、店にはあるのが普通なのだが、端の方なのである。真ん中辺りはステーキだのハンバーグだのが並んでいるのだ。

 話は脱線していくのみだが、小学生の頃、給食にスパゲティミートソースが出た時は全くもって画期的だった。教室から我らガキどものおぉー!という歓声が沸きあがった。男も女も騒いでいた。それまでは、毎日変わらず安い食パンだったのだ。ときとしてその耳は乾燥して堅く、歯ごたえが十分ありすぎるくらいのものだったし、それでも何とも思わず、だから、柔らかな焼きたてのようなパンが出た日には、教室が嬉々とした感じなった。それがスパゲティだなんて! それも、お盆に並んだその白く丸い玉は、柔らかく温かくすらあったのだ。歓声どころではなかったのである。ガキども、麺の匂いと共に、発狂しそうだった。それも、もう半世紀くらい前のことになった。



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訪れた街を思い起こして  

2017-07-22 | エッセイ



出典:ラージャスターンの丘陵城塞群(wikipediaから)

 

出典:世界遺産オンラインガイドから
https://worldheritagesite.xyz/contents/jaisalmer-fort



 かつてインドへ旅した時、ジャイサルメールという街で数日過ごしたことがあった。乾燥した砂漠地帯にある街でその街の中心には小高い丘に建つ城砦があった。インドへ行った時のことは、旅日記、メモ書き、スケッチなどを含めて「また日が暮れる」というタイトルで紀行本として出版されている。もう自分の中で時間は流れ、時代は移ろい、随分昔のこととなった。その本の中でジャイサルメールの街について少し書いている。ジャイサルメールは砂漠の長距離のバス旅がその街で一息ついた感じで、のんびりできた記憶がある。インドで訪れた街の中でも好みの街のひとつだ。数日の滞在期間を取って安宿に宿泊し、街を歩きまわった。乾いた空気と夕陽に映える城砦の印象が網膜に映る残像のように今でも残っている。毎日、城壁を見上げては散策した。見上げているだけではなく、城壁の中にも見物に入り、街を見て味わいつつ歩いた。城壁内には石造の建物が並び人も住んでいた。自分にはその城砦の壁もそうだったが、城砦内の建物の石の連なりもとても印象に残った。そういったことを記憶している。その黄色味を帯びた石は何と言う石だろう?とも思った。見て、良かったからだ。後にそのスライドなどを見た時などに、ついでにその石についても少しばかり調べた記憶がある。ガイドブックには御影石と書いてあるものがあったように思う。今、ネットで調べられるようになり、調べたらウィキペディアなどには黄色い砂岩と出ていた。それとは別に旅の話としてネット上に書かれているものは結構あって、御影石と書かれてあるものもあり、大理石と書かれてあるものもあるようだ。砂岩?・・・。そうだったのかな?・・・。特に印象に残ったのは城壁の中にある街のその壁である。城砦を外から見た時のその城壁ではなくて・・・、もちろんこれも良いのだが・・・。
 薄れた記憶を辿る。あの少し硬そうな光沢さえ僅かにありそうなあの黄色味を帯びた石が? そういう風には見えなかったように思う・・・。どちらかというと大理石のような感じだった・・・。建物の壁には崩れかけたところもあったように思う。年月の中で風化していて、それもまたいい感じだった。ネット上の写真などで見ると城砦の一部には明らかに砂岩と分かる茶色い砂岩は使われているようだ。城砦の外壁もそんな感じだ。茶色のインド砂岩は見てすぐにそれと分かるものだ。そして、いろいろな色のものがあり、ジャイプールの「風の宮殿」と呼ばれる建物にもやはり砂岩が使われていて、これは赤みを帯び、ジャイプールは別名、ピンクシティーの名でも知られている。ジャイサルメールの方はもしかすると城砦の建物全体として数種類の石が使われているのかもしれないが、これは想像である。
 彼の地は暑いところだ。連日のように晴れた暑い日が延々と続く。自分の場合、その時は旅そのものが目的のような感じで、旅の名所などをよくよく見ても大してよく見てもなく、熱気でボーッとなった頭にはほとんど何も残らなかったりしたものだ。




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Drawing☆jul2017

2017-07-21 | アート


drawing                                                    jul2017




drawing                                                    jul2017




drawing                                                    jul2017




drawing                                                    jul2017




drawing                                                    jul2017




drawing                                                    jul2017




drawing                                                    jul2017




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Drawing🌟jul2017

2017-07-16 | アート


drwaing   samba 女                jul2017





drwaing                                 jul2017





drwaing                                 jul2017





drwaing                                 jul2017





drwaing                                 jul2017





drwaing                                 jul2017





drwaing                                 jun2017







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雑感風に・・・  

2017-07-14 | エッセイ

 かつて、箱根を歩いていたときがあった。日帰りの旅行。箱根湖(訂正:芦ノ湖でした)の近くで土産物屋が並ぶ通りの箱根細工の店を覗いたことがある。箱根とくれば温泉、社員忘年会、蕎麦、そして箱根細工などが思い浮かぶ。個人的にはこれに黒い色の温泉卵などが入る。確かその時は寒い時期だったので熱い箱根蕎麦を食べた。ショップに入り箱根細工を見て、ずいぶん精巧なものだな、意外に高いものだな、と思った。切った木が全く一部の隙間もなく継がれていたり、引っ掛かることなくスムーズに引き出されたりするのは気持ちの良いものだった。そんな時、偶然にもかかっていた音楽。屋外の小さなスピーカーから流れていた。以前、どこかで聴いたメロディーのようで、カヴァーされたもののように思った記憶がある。とても印象に残った。音楽は後で聴くと、その時の自分のいた状況とともに、Myクローズアップ状態になるものだ。





 カップ麺、こんなに種類あったか!?・・・、コンビニで。
 コンビニへはいつもほとんど同じようなものを買いに行くので、カップ麺の棚はあまり見ない。いつの間にこれほど増えたのか。驚くばかりだが、よく見るとあまり違いがないようにも思う。微細な違いになると面倒で、先日などは結局のところ原型的とも言えそうな日清カップヌードルシーフード味にした。 



 昔の古いガイドブック、地図、ファッション誌、タウン雑誌、などなど手もとに埃をかぶったようになっているものを、何かのときに見たりすると、今との違いに面白さを感じたりする。当時、自分が購入したものであれば、なおさらその時代の空気が呼び起される。少し年齢を重ね、ある程度年月が経たないとそういった感覚は生まれないのかもしれない。

 山の地図は昔はコースタイムにはかなり余裕が持たれていたように思う。今の地図だと、ほぼぴったりの時間で到達する。今の地図に3時間などと書いてあるので、それならだいたい2時間くらいで行かれるかと思っていたら、コースタイム通り3時間ぴったりのことがあった。始め、おかしいなと思ったけれどほぼそういう感じだった。自分の歩く速度はそれほど変わっていない・・・と思う。正確な歩きの時間が書かれるようになったのかもしれないと思った。そもそも余裕は見ているので気にはならず、それならそれで良いのだけれど。
 
 こういうこともあった。山を歩いていて実際の道が地図の道と違ったので後で山小屋の人に、道が違うんだよね、地図と・・・、というと、いつの地図ですかぁ~、と笑われたことがあった。ま、確かに・・・。何度も使った古めの地図を使っていた。



  

 鶯が外でよく鳴いている。春のものかと思っていたが、今も鳴いている。例年こうだったかなと思う。今時分も鳴くのだったか・・・。通常、ホーホケキョと鳴くと言われているけれど、実際はホーホケキョの後に続けて、ケキョケキョケキョ・・・、と繰り返す。最後のケキョは小さくなる。息も切れんとばかりに鳴き続けて最後のケキョのあたりでは酸欠で顔が真っ赤になっているのではないか。ケキョ、で終わればまだマシだが、ケ・・・という中途半端なこともある。
 先日、庭で鳴いていた鶯は、まだ未熟なのか何なのか、ホーホケキョではなく、ホーホヨッと鳴いていた。ホヨッで終わってしまう。後は続かない・・・。自分でも少し変だなと思っているに違いない。そのうち上手く鳴けるようになるのだろう。
 


 今。部屋の整理がなかなかつかぬ。各種鉛筆、色鉛筆、ボールペン、フェルトペン、インク類、などなど机の上に散乱し、床は古くなった雑誌などが積まれて歩くところは細い山道のようだ。これをパサージュと呼ぶのかもしれない。

 


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