紅・黄 葉を見に山梨方面へ行った。
西沢渓谷周辺
本栖湖周辺
身延山見晴台から南アルプスを望む
身延山見晴台から
秩父周辺
三峰山
本栖湖周辺
秩父周辺
秩父周辺林道を行く
宝剣への登り。上から下りてくる中学生。話すと地元の中学だそうだ。
南アルプスと富士
宝剣岳
木曽駒ケ岳から宝剣岳を望む。画面左下に点々と見えるのが、人。
◆石垣山◆
石垣の道が山の中腹に張り巡らされている。
石垣に渋い味わいがある。
デイパックを背に歩く人も見掛ける。
広がるミカン畑の中に、ミカン小屋がぽつぽつとみられる。
この日は曇っていたが、晴れた日には相模湾の海がその向こうに広がる。
これはJRの早川駅のあたり。その向こうが相模湾。
佐奈田霊社。ここが石橋山古戦場となっている。
1180年、源頼朝が平家軍に対し挙兵したところ。
急の挙兵であったため頼朝方は軍勢そろわず、敗れた、とある。
ただただ石垣とミカン畑が広がる。ミカン畑とミカン小屋の風景に反応するのか特に何もないのに訪れる。他の理由は良好な釣り場があることぐらい。ただほとんどここ最近釣りはしない。この日はあいにく曇っていて、相模湾の眺望は得られなかったが、それでもなだらかな斜面に広がる石垣の道とミカン畑はやはり気持ちが良かった。デイパックを背に歩く人も数人見掛けた。近くに住む人で散策の場所にしている人もいるのだと思う。小田原や箱根という観光名所が近場にあるし、ここへわざわざ来る人もいないと思う。けれども気に入った所である。 石垣山一夜城歴史公園資料
★石垣山には上に歴史公園がある以外には特に目立った施設はない。私が今回行ったときに簡易なレストランがオープンセレモニーをやっていて人だかりがしていたのには驚いた。自分にとってはそういった感じの場所ではなかったのである。開発はして欲しくない。
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/public-i/park/park-etc/ishigaki-p.html
http://www.mapple.net/spots/G01400092202.htm
http://www.jalan.net/kankou/140000/141700/spt_14206ah3330044015/
★函館の駅舎について・建築のこと、街のこと、に続いて。
これも数年前、新潟から山形方面へ旅をしたことがある。日本海側を鉄道で行った。鉄道は羽越線を使うと村上という街あたりから日本海の海岸線沿いを走ることになり、良い風景が観られる。それを期待した。その冬の日本海の景色は期待にたがわぬものだった。このとき偶然であろうが不思議なことがあった。その列車に乗る前の日だったか、新潟近くで三人の黒く膝ほどまでもあるスポーツのダウンジャケットを着込んだ外国人(白人)を見掛けていたのである。一人が女性、あとの二人は男だった。三人とも背が高く、同じ服装で地味ではあるが、どうしてもよく目立つのだった。何となく背筋が伸び自然体で格好良かったのである。外国旅行の時によく使うコロの付いたバッグを曳いていた。旅行中といった風情だった。
この人たちが、新潟の駅でその羽越線の列車に乗ってきたのである。冬場でもあり車内はすいていた。あれ?と思う間もなく同じコーチに乗り込んで来てはす向かいの比較的近い席に座った。物静かで何か楽しそうに話していた。その黒いダウンジャケットを見るともなしに見たとき目に入ったのが、ラグビーを象徴するマークだったのである。えっ?オールブラックス?まさか?でもなぜこんなところに・・・。一瞬偽物かとも思った。ロゴなどいくらでも偽物を付けられる。しかし、彼らのそのどこか凜とした表情、仕草は何か一流の人間だけが持つそれを思わせた、だから目立っていたのである。選手の様な体格ではない、が、本物のようだ。特に日本海のこの田舎の鉄道に乗っていてもおかしくはないだろう。世界にはいろいろ珍しいことがごまんとあるのだ。
やがて列車は村上を過ぎ、日本海沿いへと出た。急に鉛色の海と打ち寄せる波、海岸の突き出た岩などが眼前に開け始めた。このとき彼らはワーオという感嘆の声を上げ、しばらくフォトなど撮ったりしていた。私も、おおっ!と思い、しばらくはデジカメ撮影に専念したが、海というのは見始めは感動するが後は延々と同じ様な景色が続くもので5分と経たぬうちに見飽きた感じになった。ふと彼らを見ると同じようなことだったらしく仲間での話に興じている姿が目に入ったのだった。ちょっと信じられないが、あれはおそらくオールブラックスの本物だったと思う。
数年前、函館へ行った。鉄道を使った。30年ぶりに降り立った函館の駅は以前とは違って、鉄と金属製の新建材でできた新しいものへと建て替わっていた。一言で言うと、風情が全くない。以前の駅舎は木造であったかどうか、若いころ旅の途中で何回か訪れただけなので明確には覚えていないが、いずれにしろ風情だけはあったように思う。新しいものに風情を求めるのは酷であると言われるならば、デザインが上手いとはとても言えないと言い換えてもいい。年季が入れば何かしら良くなるなどという問題ではない。木造だったから良くて、鉄骨に新建材だから悪いということでは断じてない。どこがやったかは知らないがデザインが、要は下手なのである。駅前にはロータリー的な駅前広場が設けられているが、これもなんだかよく分からない。「駅前広場?、ハイ、設けました」といった感じだ。これから有効に使うところを見せて、あっと言わせるということだろうか。現段階で、この駅前広場に取り付いた建物はあまり良い景観を作り出せてはいない。
駅舎は、ホールの部分の天井が高く設計され、そこの吹き抜け的なところにブリッジが渡されていた。しかし、その高く設定した天井もブリッジも全く効果が上がっていなくて取って付けたような感じだった。吹き抜けとブリッジをデザインとして設けました、と言えば言葉としてはそれはそうなのだろう。しかし建築は、物である。言葉で言う前にそれが上手く効果的にそうなっているか、それがそうなっているときまったく違和感なく言葉に置き換えられるはずのものだ。言葉を下手なデザインに置き換えただけである。ここを見ただけでデザインのことを、建築のことを知らない人がやったのでは、と疑った。函館と言えば鉄道での北海道への玄関口である。結構重要なポイントになる街のはずなのに、と首を捻りたくなるのだった。かといってそれ以上、やったのがどういう人たちなのかなど調べる気もないのだった。自分の見た印象だけで十分だと思った。たとえそれが名のある人の手になるものであり、それをもってこちらの言っていることが多くの人に否定されたとしても・・・。
以前blogに函館へ行ったときのことを書いたときに、駅を出て右手の残り少なくなった朝市、レンガ倉庫群、シーサイドのショップ、そこから少し歩いての函館山のあたりのことしか書かなかったのは、そこが懐かしかったり好いなと思ったりしたこともあったし、駅舎や駅前広場の思考停止で開発されたかのような様子を書く気にもならなかったからでもある。駅舎はもう出来上がってしまっていてこれから何かを望むことはできそうもない。駅前広場は何かうまく使われると好いなと願うばかりだ。
函館は、つまらぬ駅の建物だ。
もう無理だとは思うが、できればすぐにでも作り直した方が良い。
◆てるてる坊主の館◆
池田町の図書館に隣接している小さな記念館だ。
ユニークな形。
内観・隣の図書館の人がやってきて簡単に説明をしてくれた。
私はここが工事をしている頃を知っている。
30年ほど前の話。
◆碌山美術館◆
晴れていて気持ちの良い陽差しだったが、一瞬雨がぱらつくというおかしな天候だった。
何回目かは忘れたが再度の訪問。
ここからのアングルは良いので、キャンバスに絵を描く人も見られた。
石葺きの屋根。そして、座ったら上を向いて空を見上げたまま動かなくなってしまうベンチ。
高さが170cmくらいしかない扉だった。
トップライトと小屋組み。
◆信州・松本への旅◆
松本城。何度も松本を訪れているのに、山行に忙しかったり、closeだったりで、まだ中を見たことが無かった。
予想した以上の人々が見に来ていて、今回は念願かない、それらの人に混じり上まで登った。
天守(左)と乾小天守(いぬいこてんしゅ)(右)
外壁木部は黒漆塗りとのこと。写真にすると、光線の加減なのか
青みを帯びた色になる。
狭間(武器を使うための窓)
この階は薄暗く、何のための部屋かよく分からなかった。
戦の時、武士が集まる部屋だったらしい。
通路が印象に残った。開口の感じが好い。
外を眺める。
この開口部も面白いなと思った。
やはり同じように思う観光客がいるようで、
窮屈なのにそこから外を覗いていた。
隣の乾小天守が見られる。
中が薄暗いので、逆に開口部が印象的だ。
展示品。
階段を上るのに忙しく、見る余裕はあまりなかった。
内部の階段は急で、まるで山にでも登るような気分だった。
城に併設した博物館で。 フォトは火消しのポンプで、蒸気圧で放水したそうだ。
ずっと昔見たような・・・。
松本城から歩いて5分くらいの縄手通りの裏側。通りの店々は裏手が女鳥羽川に面している。
縄手通りは土産物を買う観光客などには良く知られている。
女鳥羽川
縄手通りで見かけた綿菓子製造機。
動くのだろうか。
中町通り。ユニークな店が多い。
縄手通りと並びここも観光客にはよく知られている。