カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

ここ1週間ほどの日常

2011-10-22 | エッセイ


近所の柿の木。この辺り柿はよく採れていて産地だったそうだ。
最近は少なくなっているのかも。それでも他人の家の庭先に見掛ける。
フォトだけで満足だ。もちろん外から撮っている。

夕方でおまけに曇り空、露出が出ずピンボケだ。でも柿だと分かる。
夕方の暗さの感じが出ている、気もする。
こういうことはプレゼ上、人に言ってもらうと得をするものなのだが。

信州・松本へ行ったときに仕入れたワイン。「月の静香」
宿の名がワインの名になっている。亀井ナントカというのとは関係ない。
宿は美ヶ原温泉にあり、老舗が多い中では比較的新しく、
ちょうど5周年記念ということで、もう1本、プレゼントされた。嬉しいもの。
食事も美味かった。 今、ゆっくりと飲んでいる。口当たりの良い美味いワイン。
近くの小さなワイナリー「ぶどうの郷山辺」で採れる「ナイヤガラ」という品種の葡萄。

飲んでいる薬。食後に飲む。他にも数種類。
ジェネリックにしてもらっている。


行くところもないまま、相模川へ出た。



相模川河畔



他人の車だが、河原の雰囲気が好きな人もいるのだろう。しばらく停車していた。
後ろは現在建設中の高速道路。曇り空だった。


相模川河畔



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22oct2011

2011-10-22 | エッセイ

 陶磁器の有田焼と伊万里焼とどう違うのか、と訊かれると、?となったまま正確には答えられない。じゃあ古伊万里とは?となると尚更である。
 地図を見ると伊万里港がこんなに奥まった所にあるのか、と思う。昔は運送は海運が主だったから、さぞやの良港で、繁栄したのだろう。なぜこんな地形になったのだろうといわれても人間などに分かるはずもない。風光明媚な土地は、天から与えられたものだ。


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分からない経済のことなど・・・

2011-10-21 | エッセイ

国の借金、年度末に1千兆円突破…復興債などで(gooニュースから)
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/business/20111021-567-OYT1T00713.html?fr=rk

 国の債務残高(借金)が1000兆円を超えたそうだ。700兆、800兆円台をウロウロしていたのはついこの間だと思う。ずいぶんと速い速度になっている気がする。震災を理由にはできないだろう。
 亀井という政治家がいて、もうだいぶ前のことになるが、自身の後援会かなにかで、ご機嫌さんでマイク片手に演歌でも歌うように小粋に右へ左へ身体をちょいと向けつつ得意のポーズで、こう言っていた。「日本の銀行にある個人金融資産は1400兆円もある。国が借金してもまだまだ大丈夫・・・」 後はとめどなくしゃべりご機嫌さんは続いたのだろう。人々の預けてあるお金と、国の借り入れがこの人の頭の中では、どういう関係なのだろう? とても自分に都合よく繋がっているのかも、昔からそういう頭でやってきたのかも。かも、しか出てこないからぜひそこのところを素人にも分かるように詳しく説明してもらいたいものだ。それが、どのような関係にあると思っているのか、何がどのように大丈夫なのかを・・・。なんにも問題が無いのなら騒ぐこともなく、そのままやればよいという訳なのだな。私は全くそうは思わなかったのだが・・・。
 個人金融資産は切り崩さざるを得ない人も多いらしくその時からかなり目減りしている。どこへ行ったのか? ぐるぐるとマーケットを廻っているのか、ならば景気はとても良いということなのか? ドルで外国に買われているのか。80年代後半のバブルとは違うが、見えにくい別種のバブルは無いのか。古きを信奉するエコノミにストなどにはとても説明できない様な・・・。説明できたらノーベル賞ものだったりするのかもしれない。



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病院で・・・

2011-10-21 | エッセイ

病気のこと・20oct2011に続いて・・・
  
  また、この病院でこういうこともあった。私は耳鳴りがひどくなることがあるのである。それで診察を受けに行った。直接耳が痛いとかいうのではないので耳鼻科ではなく診てもらったのは脳外科だった。この医者も実は女医だった。私は女医だからといってそれをどうこう言う気は全くなかった。子供の頃掛かっていた医者も女の先生でよく耳の病気を治してもらったものだ。だから何とも思っていなかったのだが、その時はどうした訳か診察室の前で同じように順番待ちをしていると思しき初老の紳士が私に声を掛けてきたのである。「私はいつも行っている病院ではなく今日はこちらへ変えてみようかなと思ってね、どんなかなと、でも、見ると女医だからね、今までの経験だと女の医者は・・・」と言葉を濁すのである。ハッキリ言った方が良い。「なんですか?」「女の医者はちょっとどうもあまり良い医者に当たったためしがない・・・」後はいくらでもしゃべるのだった。電気自動車のこと、音がしなくてスーッと後ろから近づいてくるから耳の不自由な私にはよく分からず危険であるとか、とにかく色々話すのだった。話としては面白い話をする人だったので待ち時間を気にせず過ごした。だがこのときの女医がこの人の言ったようにまるで頼りにならないのだった。脳のCTスキャン、MRIなどを撮って次回結果待ち、と言われたので次に時間通りに行くと、その女医は私の話を聞き問診をし、「CTスキャンなどで検査をすれば分かるのですが」と言うのだった。それで唖然としたのである。「その結果を聞きに今日来ているのですが・・・」女医は「あっ」と言い「そうそう」と言いながら添付されたCTスキャンのフォトをバックライトのボードに貼り付けるのだった。私はこの段階でもうあまりまじめには診てもらっていないなと不信感を持ったのである。その女医はそれでもそのフォトを見ながらすぐに説明を始めた。そして最後に「これより詳しくはMRIを撮っていれば分かるのです」と言うのだった。「って言うじゃな~い」という歌があったっけ。「あの、それもこの前撮りました・・」「あっ」今度は大分慌てて、近くに立って聞いていたこれも女の看護師に「すぐにMRIの結果、取って来て」と取りにやらせたのである。もう自分の医者としてのスピリットが弛み気味なのにさすがに気が付いたのだろう。看護師が取りに行ったのを待っている間、私はその女医の顔の表情を見るともなしにじっと見ていたが、少しうろたえているようだった。そしてMRIの検査結果を看護師が取ってくると先程と同じようにボードに貼り、説明後、脳に異常はないです、とのことだったのである。「良かったですね」だと。「それで耳鳴りはこれは原因はなんなのでしょうか、脳に異常はないのかもしれないけれど、耳鳴りはするのです、なぜですか?」ここでその女医は右手の人差し指を一本、天井へ向けて立てる仕草をし、「それは、都内のナニナニ病院の耳鼻科へ行くと、ナニナニという治療方をやっているところがあります」と言うのだった。「そうですか。しかしそんな遠くへ治療に通うのも結構大変だな、どうしたら良いでしょう?他に良い方法はないですか?」「もっとひどくなったらまた来てください」「はあ」 結局、病名は知らされないままである。紹介状もない。治療法があるという情報とメモだけ頂けたのである。問題のある医者とまでは言えないが、どうもなぁ、と気が付くと始めに会った初老の紳士と同じ、浮かぬ言い方になってしまっていたのである。重病になるとこれらの違いは決定的な違いとなって現れるのだろう。




追記:訂正
1行目から2行目「直接耳が痛いとかいうのではないので耳鼻科ではなく診てもらったのは脳外科だった。」というところは、
これは私の記憶が曖昧なまま、テキトーに書いていて、やはり耳鳴りということで脳外科ではなくその総合病院の耳鼻科へ掛かっている。そこで、直接耳が痛いわけではないので、聴覚神経系を調べるためにスキャンなど頭部撮影をして精密検査をしたということだった。ま、いずれにしろ個人的なことである。

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最近の日常★20oct2011

2011-10-20 | エッセイ

昨日、街へ画材を買いに行った。画材と言ってもインクである。どこにどういう店があるのかよくは知らず、訊きながら歩いて数店、廻った。世界堂、ハンズなど・・・。気に入ったものがあり、満足している。こういうところへ行くと目当ての品以外のものも、いろいろと見てしまい、時間が以外(訂正:→意外)と経っていることが多い。家電・パソコンなどの量販店へ行った時も同じ。人によってそこに違いがあるのだろうと思う。友人などに訊いてみたいところだ。
 
道すがら、電車などに乗っていると隣の乗客がケータイを使っていて見るともなしに見えてしまうことがある。先日、昨今よく見掛ける濃いグレーのスーツを着た若い男がケータイを開いていてその上司らしき人からのメールが見えてしまった。「ですな言葉」を使っていた。そちら好い調子ですな。という使い方である。ノっていますな、とか、ヨイショですな、などと使う。ですな、とは確かに話し言葉に使う人は特に年配の人に多くいると思うが、ケータイにそのまま使うとは、さすが「話し言葉そのまま表記したい時代」らしいのだ。




 

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病気のこと・20oct2011

2011-10-20 | エッセイ

 近くに麻生総合病院という病院がある。昨年、足が痛くなり駆け込んだ。以前患った痛風かなと思った。受付で足が痛いというと整形外科へ。整形外科で採血、レントゲン、などなどの検査を受け、点滴まで受けた時は何か重大な病気なのかなと思った。足はその間なんとか歩けるという状態だった。点滴が終わり、その女医は、薬を出しておきますのでまた数日後に来てください、とのことだった。女医だったのである。その時になって、検査経過や病名は何も説明されず告げられていないことにこちらが気づき、あの、病名は何ですか、というと蜂窩織炎(ほうかしきえん)ですとのことだった。以前痛風を起こしていたので、痛風ですかと医者の診断なので控えめに訊いたのだが、蜂窩織炎とのことだった。その後1ヶ月の間に数回、その病院へ通うこととなった。採血検査も2回ほどあったと思う。その間ずっと同じ薬だった。1ヶ月経ってもすんなり歩けるほどにはならず、痛みは鈍痛のように残ったままだった。普通に歩けないのである。おかしいと思った。以前痛風を罹った経験からそれなのではという考えが頭から抜けなかった。それで、別の医者のところへ行った。採血検査をして直ぐ、痛風です、とのことだった。とくに病名をこちらから訊く必要もなかった。薬を出してもらい、それを飲んだら直ぐに効き始めているのが分かるのだった。そんなに直ぐに効果があるなんて気のせいでは、と他人は言うかもしれない。だがそういうことは病人が一番敏感なのである。目の覚める思いだった。始めの病院の誤診である。何を痛風ごときという人もいるかもしれない。しかし、痛いものなのである。昨年の7月の終わりのことである。その女医の名は入江という。他人にはその医者には気を付けた方が良いとアドバイスすると思う。病院に直接言った方が良いのでは、って? どうなのかな?

 

 

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ke-tai ★ 19oct 2011

2011-10-19 | エッセイ

私が使っているケータイはそんなに新しいタイプのものではない。使いだしてまだ2年半くらいで使用歴も浅い。待ち受け画面というものも人の話の中で耳にはしていたが、それがどんなものかそれまで知りもしなかった。今は自分の気に入ったフォトをそこに入れて待ち受け画面にしている。そこに、「いるか」が一緒に出てくる。海にいる動物のいるかのキャラクターである。このケータイのアプリで設定によりそれが表示される。白い色のいるかでこれも気に入っている。ケータイの操作をするとパターンが5,6種類あるらしく、その時々でいろいろな動きをして面白い。その中で、そのいるかが手を叩いて拍手をするというのがある。おまけに拍手の後、胸のあたりからホワーンと赤いハートのマークを両手に乗せてこちらへ投げ出す仕草のものがあり、これが出るとそれまでのケータイの作業をほめられた気がして何となく、これでよしOK!という気になり、続きの作業が多少あっても日頃あまりほめられることのない私は何か満足してケータイの蓋を閉じてしまうことが多い。


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18oct2011

2011-10-18 | エッセイ

 以前、他人のblogを見ていたら、正体がバレそうになってきたので、という理由で自分の後ろ姿のフォトを載せている人がいた。これは良く分からなかった。今も良く分からない。まったくの匿名ということでblogをやっている人のようだった。そうしてやっていたところ、注目され始めたからなのか何なのか、周囲でこのblogはこの人が書いているらしい、となり本人もその視線を感じ始めたということだったのだろう。でも、それなのでといって自分のフォトをそこで載せるか? それも後姿を。この辺がよく分からない。「もっとバレそう」になると今度は前からのフォトになるのだろうか。確かそこには「バレそう」と書いてあったが、それは「バレたり、バレバレになったり」という問題なのだろうか・・・そうなのだろう、その人にとっては・・・。隠しきれなくなり遂に自白、というのと似ている気もする。
 
「自白」という言葉で思い出したが、新聞か何かを読んでいて自白を目白と間違えた御仁が、「[遂に目白]とはどういうことか」などと訊くという話もあった。きっと目黒だの目白だのの地名がその御仁の頭の中に浮かんだのだろう。人の頭というのはいろいろな作用をして面白いものだと思う。・・・話が逸れてきた・・・。

 目白から目黒とくれば、これはもう目黒のさんま。なんで、もう、なのかは知らないが、今や秋たけなわで、さんまの美味い季節だ。さんまは子供の頃おかずが無いときの一般家庭の定番といった代物だったが、今は結構値が張る。ゴミのように在るので粗末に扱っていたのがいつの間にか希少価値で手の届かないところに行ってしまった松茸のようなものだ。そこまでではないか・・・。さんまは焼いて食べるのが良いと思い込んでいたが、何年か前に生の刺身で買って食べてみたら美味いので意外だった。それ以来よく食べる。これから美味しいだろう。他に意外なのが、カツオかな。たたきで食べるものとばかり思っていたら、刺身でそのまま食べて美味しい。特製のタレでなく常道のワサビ醤油でも旨い。刺身関係は全部ワサビ醤油で大丈夫、という人も多いのではないかと思う。日本人なら慣れ親しんだ味だ。カツオ、これが分かったのもここ数年のこと。

 秋のさんまと来て秋のいわし雲。昨日晴れた空を見上げたら、秋の空だった。雲は高くいかにも秋空なのだったがいわし雲とは違っているようだった。詳しくは知らないが綺麗にいわし雲ができるのは珍しいと聞いた気もする。

  昨日の深夜、家の近くを散歩していてタヌキを見た。タヌキは夜行性で昼間はほとんど姿を現さない。私は夜中によく歩くのである。2,3メートルの距離だったが逃げもせずに餌を探していた。よく太っていた。タヌキ汁のことは特に思い浮かばなかった。



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18oct2011

2011-10-18 | スポーツ

 16日のblogにラグビーのウェールズvsフランスを載せている。その後、17日の早朝には、それより注目されていたニュージーランドvsオーストラリアの試合をTVで放送されたので観た。地デジの日テレで放送していた。Jsportsはそれより早く、16日の夕方にライブで放送していたらしい。その差7,8時間。地デジで見るときは他の局の放送で結果だけは知ってしまっていたのだがそれで良いと思う。7,8時間の差は大きいといえば大きい。この間に情報は飛び交うところでは飛び交い、取り巻く人々のしゃべりも大方のところは出尽くして終わっているといったところだろう。
 Jsportsは16日にウェールズvsフランス戦のハイライトをyoutubeチャンネルに載せていたので自分のblogに埋め込んでいる。が、その後のニュージーランドvsオーストラリアの試合についてはハイライトはまだサイトに載っていない様だ。なぜだ?
 
 ニュージーランドvsオーストラリアの試合はさすがに良い試合で見応えがあった。オーストラリアのプレイスタイルは好いなと思うが残念ながら負けてしまった。見ている限り互角の戦いに見えたが知らず知らず点が引き離されていたという具合だった。このレベルの試合になるとディフェンスがしっかりしているので、ラグビー見始めの頃に期待するトライの量産という訳にはなかなかいかない。キックの精度などで差が開いたりする。 
 ラグビーの試合を見ると疲れる。今回は後、決勝が残っている。ニュージーランドとフランスの戦いになるがニュージーランドが有利に思う。しかし勝敗の結果はこれは分からない。なぜならラグビーというのが時間の経過とともにどこかでガラッとチームの様子が違ってしまうことがあるからだ。10分のハーフタイムを挟んだときでもさっきまでのチームとは別人かと思うときがあるのだ。これは試合の時に瞬間的にモチベーションが異常に揚がる、あるいは揚げる類のスポーツでは起きやすく、そして瞬発系のスポーツでありながら持久力的要素も要求される場合に特に起き易いものなのかもしれないのだ。瞬間的にモチベーションが揚がり過ぎるのでその後高い所で持続できず下がってしまうのである。メンタル面だと特に何かの拍子で下がってしまうこともあるだろう。試合中にこれが起きると力が発揮できない。モチベーションが下がった場合もそのチーム状態をリセットするのにそれなりの時間が掛かる。準決勝と決勝の間には1週間の間があり、1週間のスパンでモチベーションが持続しなかったりリセットできなかったりということが起きるかもしれないので、試合の行方は、それで、分からないということである。
 観る側である私個人の場合、先のニュージーランドvsオーストラリアの試合が今大会のメインという印象が強く、ほ~っ、もう終わってしまった、という感じだ。もう盛り上がらない。盛り上げようとTVが騒いでもから騒ぎに聞こえる。フランス?といった感じで、忘れたもののようだ。盛り上がる気がどだい、無いのだ。・・・こちらが冷めてしまったという話をしてどうなる・・・。



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紅葉・18oct2011

2011-10-17 | エッセイ





一昨日の夕方、カッキーYAMAから。
フォトを撮ろうとしたら同じように思ったらしくどこかの子供もカメラを向けていた。
ゲーム機か最近はやりのスマートフォンのカメラのようだった。

2日前に撮った紅葉の一枚



2日前



一昨日の撮影。一日たっただけでこれだけ変色する。驚いた。



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