歴史に学ぶためには本当の歴史を知らねばならないと思い、歴史の真実解明の捜査を続けています。2018年4月出版の『織田信長 435年目の真実』のエピローグに「信長に何を学ぶか」考えをまとめましたのでご覧ください。
歴史の真実解明には膨大な時間と労力が必要です。それをひとりひとりの読者ができるわけもありません。そこに歴史研究者のミッションがあります。歴史研究者が時間と労力を惜しんでしまっては真実は解明できません。それを惜しんでプロパガンダのようなテクニックを弄して本を書いて出版するのは歴史研究者にとって時間と労力をかけるところを誤った、誠に残念なことといわざるをえません。
エピローグ【信長に何を学ぶか】
戦国武将は日々死と直面していました。いつ、自分が敗者の悲惨な立場に立つかわからない。勝ち抜かなければ一族滅亡だ。だから、勝ち抜くためには何をすればよいかを考え、必死に生き残ろうとしたのです。そして、歴史に学び、生存合理に徹するための「知識・論理」を身につけていきました。織田信長はこうして自己の「信長脳」を形成していきました。その中身には孫呉の兵法や良平の謀略、そして韓非子的なものが詰まっていたことが確認されました。信長脳を駆使して生き残りを図った結果が尾張統一、上洛、中日本統一、天下統一の戦いへと拡大していきました。その結果、さらに中国大陸まで戦いを広げねばならなかった。これが織田信長だったのです。その信長に何を学んだらよいのでしょうか。
信長だけでなく戦国武将は日本の歴史に学び、中国の兵法書や歴史書を通じて中国の歴史にも学んでいました。その知識は諸子百家の思想・兵法から中国史にも広がる実に深遠であり膨大なものです。そのほんの一端を本書で垣間見ていただきましたが、それは微々たるものであって針の穴から天を覗いたようなものに過ぎません。それに比べると現代人の戦国武将や戦国史についての知識は実に浅薄であり貧弱であると感じます。加えて、戦国時代とつながっているという意識も希薄です。戦国史とはテレビ画面に映し出される娯楽としての英雄譚に過ぎないものになっているのではないでしょうか。これでは戦国の歴史に学ぶことはできません。
「歴史に学ぶ」とはその当時の人々の立場に立って考えることから始まるとも言われますが、知識の上でも意識の上でも当時の人々は遠い存在でしかありません。自分の先祖の一人でも欠けていたら、今の自分がこの世に存在していなかったという事実を考えてみたら、あの厳しい時代を生き抜いて命を自分までつないでくれた先祖たちのことをもっと近しいものに感じられるのではないでしょうか。
本当は戦国時代はとても近い過去であり、現代とつながっているのです。大江健三郎氏が『万延元年のフットボール』の中で子供時代の記憶を書いています。自分が反抗すると祖母が「チョウソカベが森からやってくる!」と言って威嚇したそうです。戦国時代に土佐から侵略してきた長曽我部軍の恐怖が伊予の人々の記憶として語り継がれてきているのです。同じように蒲生氏郷の侵攻を受けた北伊勢では子供を叱るときに「ガモジが来るぞ!」と言うそうです。「鼠壁を忘る壁鼠を忘れず(壁をかじったネズミはその壁を忘れるが、かじられた壁はそのネズミを忘れない)」という諺があります。歴史の被害者側はその歴史をいつまでも記憶しているものなのです。ですから、彼らは歴史に学ぶでしょう。逆に加害者側はすっかり歴史を忘れてしまって歴史に学ばないことになるのでしょう。
天下統一を目指した信長、そしてその後を追って天下統一を果たした秀吉。二人は天下統一後の自己の政権の維持策を唐入りに求めて失敗しました。二人の失敗に学んだ家康は国内で土地を回す仕組みである改易(大名の取り潰し)や参勤交代などの制度によって政権の安定・継続を実現しました。拡大から安定へと天下人の理念の転換が行われたのです。
家康は漢の高祖(劉邦)を手本にしたのでしょう。二人には共通点があります。政権をとると高祖は韓信らの有力武将を粛清し、家康は豊臣家を滅亡させました。極めて韓非子的な処置です。一方、統治の思想としては儒家を採用しました。果てしなく利益を追求する韓非子的思想を否定して、仁・義・礼・智・信を善としたのです。これによって、国内の軍事エネルギーを文化エネルギーへと転換し、漢も徳川幕府も平和な世を継続維持し、文化高揚の時代を築いたのです。
日本は二百六十年にわたる平和な江戸時代を覆した明治維新以降、秀吉の失敗に学ばずに天下の枠を東アジア圏へと拡大し、東アジア圏における戦国を再現してしまいました。安定から拡大へと再転換が起きたのです。家康によって廃絶されていた秀吉を祀る豊国神社は明治政府によって再建され、国家の英雄として秀吉が侵略戦争を鼓舞する象徴として担ぎ出されました。それによって歴史学もゆがめられました。残念ながらゆがめられた歴史学は未だに正されていないようです。そのことを三鬼清一郎氏は『豊臣政権の法と朝鮮出兵』の中で次のように書いています。
このような(秀吉の朝鮮出兵が「国威の発揚」として高い評価が与えられた)兆候は明治末年から現れている。日露戦争の最中に刊行された『弘安文禄征戦偉績』は、その前年に東京帝国大学史料編纂掛が行った展示会をもとにしたもので、戦地の部隊や傷病兵を収容する病院に寄贈し、また国内の学校で修身や歴史の講話に役立てる目的をもっていた。秀吉の朝鮮出兵は、国民あげての戦意高揚に利用されていったのである。このような流れの先陣をきったのが官学アカデミズム史学であることは、記憶にとどめておくべきあろう。(中略)
敗戦後の歴史学(仮に現代史学と呼ぶが)は、これの全面否定から出発した筈であるが、戦前期の「負の遺産」についての断片的な批判にとどまっているのが現状であろう。それをトータルに批判する視点を確立することが、新たな段階にすすむための前提になるように思われる。
秀吉が『惟任退治記』で作った本能寺の変神話が未だに清算されていないのも「負の遺産」の影響なのでしょうか。『惟任退治記』の校注本を五十年前に出版した研究者も現代語訳を昨年出版した研究者も、この本が神話のもとになっている事実にはまったく触れていません。この書を読めば怨恨説も野望説も秀吉が本能寺の変のわずか四ヵ月後にこの書によって世の中に知らしめたことがわかるはずにもかかわらずです。
さて、戦国時代は生存合理性が支配しましたが、現代は経済合理性が支配しています。経済合理性を追求した果てがハゲタカと呼ばれるアメリカ企業に象徴される新自由主義でしょう。経済的に勝ち抜く力のある者だけが勝ち残るという徹底した市場主義は正に『韓非子』です。「累進課税はがんばる人のやる気をなくす」という新自由主義者の主張は「富裕な者から徴収して貧しい者に与えるのは、努力・倹約した者から奪って奢侈・怠惰な者に与えることになる」という『韓非子』の言葉と見事に合致しています。
人間も生物である以上、生き残らねばならず、そのためには強者となって勝ち残ることが求められるのは確かです。しかし、その法則は原始的な生物と何ら変わることがありません。何らかの規制がなければ止めどなく欲望が拡大していくことになります。この規制となるものが倫理であり、宗教であり、儒家の「仁・義・礼・智・信」などでしょう。経済利益を追求する企業活動にもコンプライアンス(法令順守)や経営理念が規制をかけています。しかし、フォルクス・ワーゲンのような世界的な大企業や日本の大企業でも利益追求におぼれて不祥事件を起こす例が多発しています。利益を至上とする新自由主義の弊害のようです。
「韓非子的なもの」に徹した信長が勝ち残りながらも、しかし最後は滅びた歴史に学ぶ必要がないでしょうか。同様に韓非子に徹した秦の始皇帝や豊臣秀吉も一代の栄華を極めたものの王朝を持続させることはできませんでした。生き残るために韓非子的な才覚は必要でしょうが、長続きする平和な世を作るためには韓非子的なものをよく理解した上で、別の考え方が必要だと思わざるを得ません。
それは自己の利益を最上位に掲げる韓非子とは異なる理念です。漢を建国した劉邦、江戸幕府を開府した徳川家康は持続を理念とした儒学を採用することによって自分の王朝を長期に持続させることに成功しました。孫子も「持続すること」を最上位に掲げました。
その理念に基づき我が国で考案されたビジネス方法論があります。一九七二年に故田岡信夫氏によって提唱された「ランチェスター戦略」です。この方法論が「弱者の戦略」として注目が集まり、中小企業専用の戦略と誤解されて大企業の関心が低いように見えます。
この戦略のポイントは自社に有利な市場を選択し、その市場で圧倒的なシェアをとることです。孫子が地形を調べて戦場を選べと説いたように勝てる市場を選ぶこと、そして、その市場において圧倒的なシェアをとって「戦わずして勝つ」状況を作ることを戦略の核にしているのです。
また、我が国には長年持続している企業が数多くあります。竹中工務店の創業は慶長十五年(一六一〇)、本能寺の変の十八年後です。ヒゲタ醤油、玉乃光酒造、山本山、住友林業、にんべんなども創業の古い企業です。
近江商人の「三方よし」というビジネス理念もあります。「売り手よし、買い手よし、世間よし」を目指す理念です。これも「持続すること」から導きだれた理念です。
利益を至上にして、その下位に法令順守を置くとブレーキ役としての法令順守の効きが甘くなります。持続を至上にして、その下位に利益と法令順守を並置することによって両者のバランスがとれます。
戦国時代は中国では紀元前のもの、日本では四百年前のものですが、世界の規模でみれば現代は各地で戦争が行われている戦国時代ともいえます。平和な社会の論理の通じない苛酷・残虐な時代なのです。現代人は信長の残虐行為を異常なことと感じますが、その異常なことが今現在の世界で起きています。世界は歴史に学んでいないようです。
昨今の世界情勢を見るにつけ、歴史の真実を知って「歴史に学ぶ」ことの大切さをあらためて強く思わざるを得ません。
>>> シンノブナガ
>>> 「桶狭間」の勝利は「偶然・幸運」か?
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』エピローグ
参考文献
◆参照史料
『新訂 信長公記』桑田忠親校注、新人物往来社、一九九七年
『現代語訳 信長公記〈新訂版〉』上下巻 中川太古訳、新人物往来社、二○○六年
『信長記』全16巻 太田牛一著、岡山大学池田家文庫等刊行会編、福武書店、一九七五年
『信長記』上下巻 小瀬甫庵撰、神郡周校注、現代思潮社、一九八一年
「古典厩より子息長老江異見九十九箇条之事」(『武家の家訓』所収)吉田豊編訳、徳間書店、一九七二年
「朝倉宗滴話記」(『武家の家訓』所収)吉田豊編訳、徳間書店、一九七二年
『平家物語』全4巻 梶原正昭・山下宏明校注、岩波書店、一九九九年
『平家物語 現代語訳』大橋忍著、静岡新聞社、二〇一〇年
「越登賀三州志」(『石川県史 第2編』所収) 石川県図書館協会、一九七四年
「毛利元就書状」(『武家の家訓』所収)吉田豊編訳、徳間書店、一九七二年
『イエズス会日本年報』上 柳谷武夫編、村上直次郎訳、雄松堂出版、一九六九年
『完訳フロイス日本史』全12巻 ルイス・フロイス著、松田毅一・川崎桃太訳、中央公論新社、二○○○年
「惟任謀反記」(『太閤史料集 戦国史料叢書1』所収)桑田忠親校注、人物往来社、一九六五年
『川角太閤記』志村有弘著、勉誠社、一九九六年
「今川了俊制詞」(『武家の家訓』所収)吉田豊編訳、徳間書店、一九七二年
『織田信長文書の研究』上下巻 奥野高広著、吉川弘文館、一九六九・一九七〇年
『戦国策』近藤光男著、講談社、二〇〇五年
「兼見卿記」第一・第二 (『史料纂集』所収)斎木一馬・染谷光広校訂、続群書類従完成会、一九七一年
「晴豊記」(『続史料大成』第九巻所収)竹内理三編、臨川書店、一九六七年
「日々記」(『信長権力と朝廷』所収)立花京子著、岩田書院、二〇〇〇年
「家忠日記」(『増補続史料大成』第十九巻所収)竹内理三編、臨川書店、一九七九年
『綿考輯録 第一巻・藤孝公』細川護貞監修、出水神社編、汲古書院、一九八八年
『明智軍記』二木謙一校注、新人物往来社、一九九五年
『元親記』泉淳著、勉誠社、一九九四年
「明智光秀書状写」(『福井県史 資料編2(中世)』所収)福井県編集発行、一九八六年
『武家事紀』上 山鹿素行著、原書房、一九八二年
「遊行三十一祖京畿御修行記」(『定本時宗宗典』下巻所収)時宗宗典編纂委員会編、時宗宗務所、一九七九年
『美濃明細記』伊東実臣・間宮宗好著、大衆書房、一九六九年
『太閤記』上下巻 小瀬甫庵著、桑田忠親校訂、岩波書店、一九四三年
『當代記 駿府記(史籍雑纂)』続群書類従完成会、一九九八年
『甲陽軍鑑大成』本文篇上下巻 酒井憲二編著、汲古書院、一九九四年
「本城惣右衛門覚書」(『業余稿叢』所収)木村三四吾編、木村三四吾、一九七六年
『三河物語』大久保彦左衛門原著、小林賢章訳、教育社、一九八〇年
「茶屋由緒記」(『大日本史料 第十一編之一』所収)東京帝国大学文学部史料編纂掛、一九二七年
「多聞院日記3」(『続史料大成』第40巻所収)英俊著、竹内理三編、臨川書店、一九七八年
「日本王国記」(『大航海時代叢書11 日本王国記/日欧文化比較』所収)アビラ・ヒロン著、佐久間正・会田由・岩生成一訳、岩波書店、一九六五年
「石川忠総留書」(『大日本史料 第十一編之一』所収)東京帝国大学文学部史料編纂掛、一九二七年
「依田記」(『続群書類従第二十一輯上 合戦部』所収)塙保己一編、続群書類従完成会、一九五八年
◆参考資料
『本能寺の変 431年目の真実』明智憲三郎著、文芸社、二〇一三年
『織田信長』 池上裕子著、吉川弘文館、二○一二年
『織田信長の系譜 信秀の生涯を追って』横山住雄著、教育出版文化協会、一九九三年
『桶狭間の戦い 信長の決断・義元の誤算』藤本正行著、洋泉社、二○一○年
『論集戦国大名と国衆6 尾張織田氏』柴裕之編、岩田書院、二○一一年
『信長と家康 清須同盟の実体』谷口克広著、学研パブリッシング、二○一二年
『信長革命?「安土幕府」の衝撃』藤田達生著、角川学芸出版、二〇一〇年
『天下統一?信長と秀吉が成し遂げた「革命」』藤田達生著、中央公論新社、二○一四年
『織田信長〈天下人〉の実像』金子拓著、講談社、二○一四年
『織田信長』神田千里著、筑摩書房、二○一四年
『信長とは何か』小島道裕著、講談社、二○○六年
『孫子・呉子』松枝茂夫・竹内好監修、村山孚訳、徳間書店、一九九六年
『面白いほどよくわかる孫子の兵法?43の名言から学ぶ勝利への戦略』杉之尾宜生監修、日本文芸社、二○○三年
『信長と十字架?「天下布武」の真実を追う』立花京子著、集英社、二〇〇四年
『韓非子?不信と打算の現実主義』冨谷至著、中央公論新社、二○○三年
『[新訳]韓非子?騙し合いの社会を勝ち抜くための百言百話』西野広祥編訳、PHP研究所、二○○八年
『諸子百家?儒家・墨家・道家・法家・兵家』湯浅邦弘著、中央公論新社、二○○九年
『織豊期の茶会と政治』竹本千鶴著、思文閣出版、二〇〇六年
『日本の暦』渡邊敏夫著、雄山閣、一九七六年
『明智光秀』高柳光寿著、吉川弘文館、一九五八年
『明智光秀』桑田忠親著、新人物往来社、一九七三年
『上杉景勝のすべて〈新装版〉』花ヶ前盛明編、新人物往来社、二○○八年
『信長は謀略で殺されたのか?本能寺の変・謀略説を嗤う』鈴木眞哉・藤本正行著、洋泉社、二○○六年
『イエズス会の世界戦略』高橋裕史著、講談社、二〇〇六年
『武器・十字架と戦国日本?イエズス会宣教師と「対日武力征服計画」の真相』高橋裕史著、洋泉社、二〇一二年
『レコンキスタの歴史』フィリップ・コンラ著、有田忠郎訳、白水社、二〇〇〇年
『本能寺の変?信長の油断・光秀の殺意』藤本正行著、洋泉社、二○一○年
『豊臣政権の法と朝鮮出兵』三鬼清一郎著、青史出版、二〇一二年
『織豊政権』藤木久志・北島万次編、有精堂出版、一九七四年
『「甲陽軍鑑」の史料論?武田信玄の国家構想』黒田日出男著、校倉書房、二〇一五年
『世界一わかりやすいランチェスター戦略の授業』福永雅文著、かんき出版 、二〇一二年
◆参考論文・論説
「織田信秀の葬儀と『大雲語録』 秉炬法語を中心にして」青木忠夫、同朋大学仏教文化研究所紀要第二八号、二○○八年度
「濃尾平野における海陸風の特徴と広域海風の出現条件」森博明ほか、天気第四一巻七号、一九九四年
「地元の古老が語る桶狭間合戦始末記」梶野渡、桶狭間古戦場保存会、二○一○年
「講演 織田政権と尾張 環伊勢政権の誕生」藤田達生、織豊期研究第一号、一九九九年
「朝廷からみた天正十年の改暦問題」神田裕理、歴史読本第五七巻十号、二〇一二年
「豊臣政権の番医 秀次事件における番医の連座とその動向」宮本義己、國史學一三三号、国史学会、一九八七年
「豊臣政権における太閤と関白 豊臣秀次事件の真因をめぐって」宮本義己、國學院雑誌第八九巻一一号、國學院大學総合企画部、一九八八年
「原文と現代語訳で読む『惟任退治記』」金子拓(『ここまでわかった! 明智光秀の謎』所収)『歴史読本』編集部編、KADOKAWA・中経出版、二〇一四年
歴史の真実解明には膨大な時間と労力が必要です。それをひとりひとりの読者ができるわけもありません。そこに歴史研究者のミッションがあります。歴史研究者が時間と労力を惜しんでしまっては真実は解明できません。それを惜しんでプロパガンダのようなテクニックを弄して本を書いて出版するのは歴史研究者にとって時間と労力をかけるところを誤った、誠に残念なことといわざるをえません。
エピローグ【信長に何を学ぶか】
戦国武将は日々死と直面していました。いつ、自分が敗者の悲惨な立場に立つかわからない。勝ち抜かなければ一族滅亡だ。だから、勝ち抜くためには何をすればよいかを考え、必死に生き残ろうとしたのです。そして、歴史に学び、生存合理に徹するための「知識・論理」を身につけていきました。織田信長はこうして自己の「信長脳」を形成していきました。その中身には孫呉の兵法や良平の謀略、そして韓非子的なものが詰まっていたことが確認されました。信長脳を駆使して生き残りを図った結果が尾張統一、上洛、中日本統一、天下統一の戦いへと拡大していきました。その結果、さらに中国大陸まで戦いを広げねばならなかった。これが織田信長だったのです。その信長に何を学んだらよいのでしょうか。
信長だけでなく戦国武将は日本の歴史に学び、中国の兵法書や歴史書を通じて中国の歴史にも学んでいました。その知識は諸子百家の思想・兵法から中国史にも広がる実に深遠であり膨大なものです。そのほんの一端を本書で垣間見ていただきましたが、それは微々たるものであって針の穴から天を覗いたようなものに過ぎません。それに比べると現代人の戦国武将や戦国史についての知識は実に浅薄であり貧弱であると感じます。加えて、戦国時代とつながっているという意識も希薄です。戦国史とはテレビ画面に映し出される娯楽としての英雄譚に過ぎないものになっているのではないでしょうか。これでは戦国の歴史に学ぶことはできません。
「歴史に学ぶ」とはその当時の人々の立場に立って考えることから始まるとも言われますが、知識の上でも意識の上でも当時の人々は遠い存在でしかありません。自分の先祖の一人でも欠けていたら、今の自分がこの世に存在していなかったという事実を考えてみたら、あの厳しい時代を生き抜いて命を自分までつないでくれた先祖たちのことをもっと近しいものに感じられるのではないでしょうか。
本当は戦国時代はとても近い過去であり、現代とつながっているのです。大江健三郎氏が『万延元年のフットボール』の中で子供時代の記憶を書いています。自分が反抗すると祖母が「チョウソカベが森からやってくる!」と言って威嚇したそうです。戦国時代に土佐から侵略してきた長曽我部軍の恐怖が伊予の人々の記憶として語り継がれてきているのです。同じように蒲生氏郷の侵攻を受けた北伊勢では子供を叱るときに「ガモジが来るぞ!」と言うそうです。「鼠壁を忘る壁鼠を忘れず(壁をかじったネズミはその壁を忘れるが、かじられた壁はそのネズミを忘れない)」という諺があります。歴史の被害者側はその歴史をいつまでも記憶しているものなのです。ですから、彼らは歴史に学ぶでしょう。逆に加害者側はすっかり歴史を忘れてしまって歴史に学ばないことになるのでしょう。
天下統一を目指した信長、そしてその後を追って天下統一を果たした秀吉。二人は天下統一後の自己の政権の維持策を唐入りに求めて失敗しました。二人の失敗に学んだ家康は国内で土地を回す仕組みである改易(大名の取り潰し)や参勤交代などの制度によって政権の安定・継続を実現しました。拡大から安定へと天下人の理念の転換が行われたのです。
家康は漢の高祖(劉邦)を手本にしたのでしょう。二人には共通点があります。政権をとると高祖は韓信らの有力武将を粛清し、家康は豊臣家を滅亡させました。極めて韓非子的な処置です。一方、統治の思想としては儒家を採用しました。果てしなく利益を追求する韓非子的思想を否定して、仁・義・礼・智・信を善としたのです。これによって、国内の軍事エネルギーを文化エネルギーへと転換し、漢も徳川幕府も平和な世を継続維持し、文化高揚の時代を築いたのです。
日本は二百六十年にわたる平和な江戸時代を覆した明治維新以降、秀吉の失敗に学ばずに天下の枠を東アジア圏へと拡大し、東アジア圏における戦国を再現してしまいました。安定から拡大へと再転換が起きたのです。家康によって廃絶されていた秀吉を祀る豊国神社は明治政府によって再建され、国家の英雄として秀吉が侵略戦争を鼓舞する象徴として担ぎ出されました。それによって歴史学もゆがめられました。残念ながらゆがめられた歴史学は未だに正されていないようです。そのことを三鬼清一郎氏は『豊臣政権の法と朝鮮出兵』の中で次のように書いています。
このような(秀吉の朝鮮出兵が「国威の発揚」として高い評価が与えられた)兆候は明治末年から現れている。日露戦争の最中に刊行された『弘安文禄征戦偉績』は、その前年に東京帝国大学史料編纂掛が行った展示会をもとにしたもので、戦地の部隊や傷病兵を収容する病院に寄贈し、また国内の学校で修身や歴史の講話に役立てる目的をもっていた。秀吉の朝鮮出兵は、国民あげての戦意高揚に利用されていったのである。このような流れの先陣をきったのが官学アカデミズム史学であることは、記憶にとどめておくべきあろう。(中略)
敗戦後の歴史学(仮に現代史学と呼ぶが)は、これの全面否定から出発した筈であるが、戦前期の「負の遺産」についての断片的な批判にとどまっているのが現状であろう。それをトータルに批判する視点を確立することが、新たな段階にすすむための前提になるように思われる。
秀吉が『惟任退治記』で作った本能寺の変神話が未だに清算されていないのも「負の遺産」の影響なのでしょうか。『惟任退治記』の校注本を五十年前に出版した研究者も現代語訳を昨年出版した研究者も、この本が神話のもとになっている事実にはまったく触れていません。この書を読めば怨恨説も野望説も秀吉が本能寺の変のわずか四ヵ月後にこの書によって世の中に知らしめたことがわかるはずにもかかわらずです。
さて、戦国時代は生存合理性が支配しましたが、現代は経済合理性が支配しています。経済合理性を追求した果てがハゲタカと呼ばれるアメリカ企業に象徴される新自由主義でしょう。経済的に勝ち抜く力のある者だけが勝ち残るという徹底した市場主義は正に『韓非子』です。「累進課税はがんばる人のやる気をなくす」という新自由主義者の主張は「富裕な者から徴収して貧しい者に与えるのは、努力・倹約した者から奪って奢侈・怠惰な者に与えることになる」という『韓非子』の言葉と見事に合致しています。
人間も生物である以上、生き残らねばならず、そのためには強者となって勝ち残ることが求められるのは確かです。しかし、その法則は原始的な生物と何ら変わることがありません。何らかの規制がなければ止めどなく欲望が拡大していくことになります。この規制となるものが倫理であり、宗教であり、儒家の「仁・義・礼・智・信」などでしょう。経済利益を追求する企業活動にもコンプライアンス(法令順守)や経営理念が規制をかけています。しかし、フォルクス・ワーゲンのような世界的な大企業や日本の大企業でも利益追求におぼれて不祥事件を起こす例が多発しています。利益を至上とする新自由主義の弊害のようです。
「韓非子的なもの」に徹した信長が勝ち残りながらも、しかし最後は滅びた歴史に学ぶ必要がないでしょうか。同様に韓非子に徹した秦の始皇帝や豊臣秀吉も一代の栄華を極めたものの王朝を持続させることはできませんでした。生き残るために韓非子的な才覚は必要でしょうが、長続きする平和な世を作るためには韓非子的なものをよく理解した上で、別の考え方が必要だと思わざるを得ません。
それは自己の利益を最上位に掲げる韓非子とは異なる理念です。漢を建国した劉邦、江戸幕府を開府した徳川家康は持続を理念とした儒学を採用することによって自分の王朝を長期に持続させることに成功しました。孫子も「持続すること」を最上位に掲げました。
その理念に基づき我が国で考案されたビジネス方法論があります。一九七二年に故田岡信夫氏によって提唱された「ランチェスター戦略」です。この方法論が「弱者の戦略」として注目が集まり、中小企業専用の戦略と誤解されて大企業の関心が低いように見えます。
この戦略のポイントは自社に有利な市場を選択し、その市場で圧倒的なシェアをとることです。孫子が地形を調べて戦場を選べと説いたように勝てる市場を選ぶこと、そして、その市場において圧倒的なシェアをとって「戦わずして勝つ」状況を作ることを戦略の核にしているのです。
また、我が国には長年持続している企業が数多くあります。竹中工務店の創業は慶長十五年(一六一〇)、本能寺の変の十八年後です。ヒゲタ醤油、玉乃光酒造、山本山、住友林業、にんべんなども創業の古い企業です。
近江商人の「三方よし」というビジネス理念もあります。「売り手よし、買い手よし、世間よし」を目指す理念です。これも「持続すること」から導きだれた理念です。
利益を至上にして、その下位に法令順守を置くとブレーキ役としての法令順守の効きが甘くなります。持続を至上にして、その下位に利益と法令順守を並置することによって両者のバランスがとれます。
戦国時代は中国では紀元前のもの、日本では四百年前のものですが、世界の規模でみれば現代は各地で戦争が行われている戦国時代ともいえます。平和な社会の論理の通じない苛酷・残虐な時代なのです。現代人は信長の残虐行為を異常なことと感じますが、その異常なことが今現在の世界で起きています。世界は歴史に学んでいないようです。
昨今の世界情勢を見るにつけ、歴史の真実を知って「歴史に学ぶ」ことの大切さをあらためて強く思わざるを得ません。
>>> シンノブナガ
>>> 「桶狭間」の勝利は「偶然・幸運」か?
>>> 『本能寺の変 431年目の真実』エピローグ
参考文献
◆参照史料
『新訂 信長公記』桑田忠親校注、新人物往来社、一九九七年
『現代語訳 信長公記〈新訂版〉』上下巻 中川太古訳、新人物往来社、二○○六年
『信長記』全16巻 太田牛一著、岡山大学池田家文庫等刊行会編、福武書店、一九七五年
『信長記』上下巻 小瀬甫庵撰、神郡周校注、現代思潮社、一九八一年
「古典厩より子息長老江異見九十九箇条之事」(『武家の家訓』所収)吉田豊編訳、徳間書店、一九七二年
「朝倉宗滴話記」(『武家の家訓』所収)吉田豊編訳、徳間書店、一九七二年
『平家物語』全4巻 梶原正昭・山下宏明校注、岩波書店、一九九九年
『平家物語 現代語訳』大橋忍著、静岡新聞社、二〇一〇年
「越登賀三州志」(『石川県史 第2編』所収) 石川県図書館協会、一九七四年
「毛利元就書状」(『武家の家訓』所収)吉田豊編訳、徳間書店、一九七二年
『イエズス会日本年報』上 柳谷武夫編、村上直次郎訳、雄松堂出版、一九六九年
『完訳フロイス日本史』全12巻 ルイス・フロイス著、松田毅一・川崎桃太訳、中央公論新社、二○○○年
「惟任謀反記」(『太閤史料集 戦国史料叢書1』所収)桑田忠親校注、人物往来社、一九六五年
『川角太閤記』志村有弘著、勉誠社、一九九六年
「今川了俊制詞」(『武家の家訓』所収)吉田豊編訳、徳間書店、一九七二年
『織田信長文書の研究』上下巻 奥野高広著、吉川弘文館、一九六九・一九七〇年
『戦国策』近藤光男著、講談社、二〇〇五年
「兼見卿記」第一・第二 (『史料纂集』所収)斎木一馬・染谷光広校訂、続群書類従完成会、一九七一年
「晴豊記」(『続史料大成』第九巻所収)竹内理三編、臨川書店、一九六七年
「日々記」(『信長権力と朝廷』所収)立花京子著、岩田書院、二〇〇〇年
「家忠日記」(『増補続史料大成』第十九巻所収)竹内理三編、臨川書店、一九七九年
『綿考輯録 第一巻・藤孝公』細川護貞監修、出水神社編、汲古書院、一九八八年
『明智軍記』二木謙一校注、新人物往来社、一九九五年
『元親記』泉淳著、勉誠社、一九九四年
「明智光秀書状写」(『福井県史 資料編2(中世)』所収)福井県編集発行、一九八六年
『武家事紀』上 山鹿素行著、原書房、一九八二年
「遊行三十一祖京畿御修行記」(『定本時宗宗典』下巻所収)時宗宗典編纂委員会編、時宗宗務所、一九七九年
『美濃明細記』伊東実臣・間宮宗好著、大衆書房、一九六九年
『太閤記』上下巻 小瀬甫庵著、桑田忠親校訂、岩波書店、一九四三年
『當代記 駿府記(史籍雑纂)』続群書類従完成会、一九九八年
『甲陽軍鑑大成』本文篇上下巻 酒井憲二編著、汲古書院、一九九四年
「本城惣右衛門覚書」(『業余稿叢』所収)木村三四吾編、木村三四吾、一九七六年
『三河物語』大久保彦左衛門原著、小林賢章訳、教育社、一九八〇年
「茶屋由緒記」(『大日本史料 第十一編之一』所収)東京帝国大学文学部史料編纂掛、一九二七年
「多聞院日記3」(『続史料大成』第40巻所収)英俊著、竹内理三編、臨川書店、一九七八年
「日本王国記」(『大航海時代叢書11 日本王国記/日欧文化比較』所収)アビラ・ヒロン著、佐久間正・会田由・岩生成一訳、岩波書店、一九六五年
「石川忠総留書」(『大日本史料 第十一編之一』所収)東京帝国大学文学部史料編纂掛、一九二七年
「依田記」(『続群書類従第二十一輯上 合戦部』所収)塙保己一編、続群書類従完成会、一九五八年
◆参考資料
『本能寺の変 431年目の真実』明智憲三郎著、文芸社、二〇一三年
『織田信長』 池上裕子著、吉川弘文館、二○一二年
『織田信長の系譜 信秀の生涯を追って』横山住雄著、教育出版文化協会、一九九三年
『桶狭間の戦い 信長の決断・義元の誤算』藤本正行著、洋泉社、二○一○年
『論集戦国大名と国衆6 尾張織田氏』柴裕之編、岩田書院、二○一一年
『信長と家康 清須同盟の実体』谷口克広著、学研パブリッシング、二○一二年
『信長革命?「安土幕府」の衝撃』藤田達生著、角川学芸出版、二〇一〇年
『天下統一?信長と秀吉が成し遂げた「革命」』藤田達生著、中央公論新社、二○一四年
『織田信長〈天下人〉の実像』金子拓著、講談社、二○一四年
『織田信長』神田千里著、筑摩書房、二○一四年
『信長とは何か』小島道裕著、講談社、二○○六年
『孫子・呉子』松枝茂夫・竹内好監修、村山孚訳、徳間書店、一九九六年
『面白いほどよくわかる孫子の兵法?43の名言から学ぶ勝利への戦略』杉之尾宜生監修、日本文芸社、二○○三年
『信長と十字架?「天下布武」の真実を追う』立花京子著、集英社、二〇〇四年
『韓非子?不信と打算の現実主義』冨谷至著、中央公論新社、二○○三年
『[新訳]韓非子?騙し合いの社会を勝ち抜くための百言百話』西野広祥編訳、PHP研究所、二○○八年
『諸子百家?儒家・墨家・道家・法家・兵家』湯浅邦弘著、中央公論新社、二○○九年
『織豊期の茶会と政治』竹本千鶴著、思文閣出版、二〇〇六年
『日本の暦』渡邊敏夫著、雄山閣、一九七六年
『明智光秀』高柳光寿著、吉川弘文館、一九五八年
『明智光秀』桑田忠親著、新人物往来社、一九七三年
『上杉景勝のすべて〈新装版〉』花ヶ前盛明編、新人物往来社、二○○八年
『信長は謀略で殺されたのか?本能寺の変・謀略説を嗤う』鈴木眞哉・藤本正行著、洋泉社、二○○六年
『イエズス会の世界戦略』高橋裕史著、講談社、二〇〇六年
『武器・十字架と戦国日本?イエズス会宣教師と「対日武力征服計画」の真相』高橋裕史著、洋泉社、二〇一二年
『レコンキスタの歴史』フィリップ・コンラ著、有田忠郎訳、白水社、二〇〇〇年
『本能寺の変?信長の油断・光秀の殺意』藤本正行著、洋泉社、二○一○年
『豊臣政権の法と朝鮮出兵』三鬼清一郎著、青史出版、二〇一二年
『織豊政権』藤木久志・北島万次編、有精堂出版、一九七四年
『「甲陽軍鑑」の史料論?武田信玄の国家構想』黒田日出男著、校倉書房、二〇一五年
『世界一わかりやすいランチェスター戦略の授業』福永雅文著、かんき出版 、二〇一二年
◆参考論文・論説
「織田信秀の葬儀と『大雲語録』 秉炬法語を中心にして」青木忠夫、同朋大学仏教文化研究所紀要第二八号、二○○八年度
「濃尾平野における海陸風の特徴と広域海風の出現条件」森博明ほか、天気第四一巻七号、一九九四年
「地元の古老が語る桶狭間合戦始末記」梶野渡、桶狭間古戦場保存会、二○一○年
「講演 織田政権と尾張 環伊勢政権の誕生」藤田達生、織豊期研究第一号、一九九九年
「朝廷からみた天正十年の改暦問題」神田裕理、歴史読本第五七巻十号、二〇一二年
「豊臣政権の番医 秀次事件における番医の連座とその動向」宮本義己、國史學一三三号、国史学会、一九八七年
「豊臣政権における太閤と関白 豊臣秀次事件の真因をめぐって」宮本義己、國學院雑誌第八九巻一一号、國學院大學総合企画部、一九八八年
「原文と現代語訳で読む『惟任退治記』」金子拓(『ここまでわかった! 明智光秀の謎』所収)『歴史読本』編集部編、KADOKAWA・中経出版、二〇一四年
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