本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

桶狭間が解けなくて本能寺の変は!?(織田信長 435年目の真実)

2022年11月07日 | 通説・俗説・虚説を斬る!
 歴史研究者に言い古された感のある織田信長。その実像と決断の論理を解明! 新、真、「シン・ノブナガ」。
 『織田信長 435年目の真実』幻冬舎文庫。
 大うつけは暗殺防止対策、桶狭間にちりばめられた信長の秘策、自ら死を招いた本能寺の変、皆さんはわかるかな?
 「桶狭間の合戦」の信長勝利の作戦を解明できない歴史研究者にはもっと複雑な「本能寺の変」の解明ができるわけがなかった、ことがよくご理解いただけます。
 桶狭間の信長の勝利を「幸運に過ぎない」と言っている研究者(藤本正行氏ら)は「本能寺の変」は偶然・油断あるいは奇説としか言えません。実は信長は高度な必勝作戦を立てて、実行したのです
 それに対して、本書は実証主義史学の見本として学び取ることもできます。
 読者の短評の数々をご紹介します。
 「他にない論理分析性の高いもの」
 「今までに読んだことがない斬新な作品」
 「自分でも推理しながら読み進めていく面白さは過去に経験したことの無いもの」
 「現代に通じる教訓がここにあります」「見事に一貫性が見出されて面白い」
 「当時の人たちの考え方を念頭に、改めて史実を再構築した研究家は過去にいなかった」
 「今まで謎だった信長の油断と思える行動の謎が著者によって明かされた」
 「幾多の歴史学者・歴史作家が取り組んできた桶狭間の戦い、本能寺の変に対して、客観性を重視した新視点で説得力のある謎解きをして見せており、お見事です」
織田信長 435年目の真実 (幻冬舎文庫)
クリエーター情報なし
幻冬舎


 呉座勇一著『陰謀の日本中世史』に「明智憲三郎氏の奇説」の見出し。藤本正行著『本能寺の変 信長の油断・光秀の殺意』2010年の「光秀の子孫が唱える奇説」の焼き直しです。十数ページ書いていただいていますが、専門外のテーマをにわか勉強で書いたためか、残念ながら内容に乏しく、藤本氏の「油断説」の踏襲で見るべきものがありません。加えて「明智氏は家康黒幕説の代表的論者」と決めつけているのだから開いた口がふさがらない。『「本能寺の変」は変だ!435年目の再審請求』文芸社文庫をお読みいただければ、呉座氏の信奉する怨恨説・野望説の方が奇説であることがご理解いただける。呉座氏のような定説護持学者からの批判への反論を先取りして出版したのが『「本能寺の変」は変だ!435年目の再審請求』なので、読み比べていただくとそのことがよく見えてくると思います。読み比べて、どちらが奇説であるかを是非ご判断いただきたい。
 >>> 「光秀の子孫が唱えた奇説」を切る
 >>> 武田信玄の重臣は家康討ちを予測していた
 >>> 明智説? 違和感あり!
 >>> 徳川家康は黒幕ではない!

 さらに、「信長が光秀を使って家康を謀殺しようとしたところ、光秀に逆用されてしまったというアイデイアも藤田達生氏が披露してる」と書いている。いかにもアイデア盗用でオリジナリティがないという言いようである。藤田氏が初めて提示したアイデアであることは2009年の拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』で私が次のように書いています。
 「藤田達生氏は『本能寺の変の群像』の中で、その兵の証言から信長の「家康討ち」を「大胆な仮説」としていますが、大胆どころか的を射た説だったわけです。」

 藤田氏はアイデアのみでそれ以上の踏み込みはありませんでした。私は兵の証言を「証拠」と考えたのではなく、「仮説」と考えました。その「仮説」に立つと全ての証拠の辻褄が合うかどうかを検証したのです。こういった本質的なことも見えていない、まことに残念な書評でした。呉座氏の本を読んだ方は、ぜひ、拙著『「本能寺の変」は変だ! 435年目の真実』と読み比べてみてください

 
 勝谷誠彦氏絶賛の『「本能寺の変」は変だ!』が文庫本で読みやすくなって2月3日に発売されました。コアな歴史ファン向けの付録を追加しました。
 >>> カツヤマサヒコSHOWで激賞
 >>> 『「本能寺の変」は変だ!』エピローグ

amazonカスタマーレビュー第1号「本能寺の変,って,変って思ったらこれ」。
既存の説を切りまくってます。これだけ,証拠を挙げられたら,切られた方,歯ぎしりしそう。」
それだけに切られた方からの反発もすごいです。呉座氏もその一例です。

amazonカスタマーレビュー:「一気に読めました
「本能寺の変」と軍記物との怪しげな関係。その軍記物依存症という切り口は腑に落ちる。著者が明智光秀の末裔であってもなくても関係ない。我々が教わった歴史を見直すべく意義のある内容と思います。タイトルの再審請求の意味も納得、歴史を科学的・論理的に解く興味深い本。読みやすかったです。(amazonカスタマーレビューより)

amazonカスタマーレビュー:「なぜ日向守光秀なのか?
 未読の読者の方のために内容を明かすことはできませんが、我々(マジョリティ)がいかに小説やドラマの1シーンを疑うことはあれ、概ねそれを信じ込んでいるという事実に恥じらいと驚愕を覚えました。書籍の内容はリアルの講義で拝聴してはいますが、改めて日常のすべてについて、これは本当なのかというスタンスが、生きるうえで必要不可欠であると反省した次第であります。
※現在の情報は一種のマインドコントロールです。
 少々事例を挙げさせていただくと、なぜ「明智日向守光秀」なのか?なぜ「羽柴筑前守秀吉」なのか?小学生のころから疑問に思っても、それを追及してこなかった、自身の時間の使い方に疑問を感じます。
 個人的に先生の書籍から最優先すべきと考えるものは、戦国武将の教訓を今の我々が生きるうえで修得すべきであるということです。例えば成功の見込みがないものについては、あえて行動をすべきではないということです。何を根拠に生きるのかも考えさせられる書籍です。
 考えてみればそういう生き方こそワクワクして面白いし、たとえずっこえけても家族の命を取られるわけではないのです。新たな発想でロジカルな検証を行い、且つ信長や光秀達の生きざまを追いかけた視線は、単に歴史の読み物としてではなく、生きる智慧として必ず役に立つということを推奨させていただきます。


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「本能寺の変」は変だ! 435年目の再審請求
クリエーター情報なし
文芸社

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1 コメント

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Unknown (古木裕子(一歳半の子育てママ38歳))
2021-04-14 10:45:54
憲三郎さんの本を4冊ほど拝読しました。これほど納得できる本は初めてでした。私は、なぜか『麒麟がくる』にハマりました。本能寺の変については、中学時代に『織田信長を殺したのは部下であった明智光秀。明智光秀ってすごいなぁ。』と思った程度でした。不思議なことに、明智光秀に関して『悪いやつ』というよりも、『世の中のナンバーワンもすごいけど、それ以上にすごいのはナンバーツーだ。ナンバツーがナンバーワンを創るのだから』という認識の方が優っていました。だから、『きっと、光秀はすごい人という漠然としたイメージがありました。それで、今回の大河ドラマにハマったのだと思います。


しかし、
全てを見終えた後、疑問が残りました。
『信長を怨むというレベルで光秀が謀反を起こすだろうか』
『信長は承認欲求の激しい幼稚な人物だったのだろうか』
『本能寺の変は本当に光秀が起こしたのだろうか。濡れ衣を着せられたのではないだろうか』
『光秀は天海なのだろうか』


気になったので、ネットで検索しました。
歴史好きな方、信長や光秀を霊視している方、筆跡鑑定をしている方(光秀と天海の字)などなど、様々おられましたが、全く納得できませんでした。

その中で出合ったのが、憲三郎さんの著書でした。
精細な思考の上に成り立った歴史捜査で、釘付けになっています。憲三郎さんの捜査結果は、私が漠然として抱いていた光秀のイメージを裏付けてくれるものでした。

光秀は、
冷静と情熱を併せ持ち、バランスの取れた人格者のような気がします。


本能寺の変は、国レベルで隠したい何かがあるのではないかなぁ、と思いました。深い闇がありそうだ、と思います。


ガラシャの辞世の句に心を打たれています。
これも何かのネットで読んだものですが、
『ガラシャとその夫は仲が悪かった、と伝えられていますが、子供が6人産まれているのだから、実は仲はよかったのですね』と。

この文章を読んだとき、何かひっかかるものがありました。
しかし、ガラシャの辞世の句を知り、他の可能性が思い浮かびました。

ガラシャは土岐一族の子孫を、ただただ産みたかったのかもしれない、と。夫と仲が良い悪いの次元ではなく、単純に光秀の血を残したかったのではないかと。


また、
憲三郎さんが指摘されていた、信長との関係性について、10歳の信長と29歳(間違っていたら申し訳ないです)の光秀は、既に顔見知りだったのかもしれない、とのこと、私もそのように考えます。後年、信長の光秀に対する絶大なる信頼(しかも戦国時代に。)は、おそらく、信長がまだ幼き頃、光秀と出会い、何らかの関わりの中で培われていったものではなかろうか、と。


最後に
天海説について。
個人的には、光秀は生き延びてほしいと思っています。天海として生き延びた説の他、実は故郷の美濃で生き延びて、関ヶ原の戦いに参戦する際、洪水に遭い流されて亡くなった説もあるようです。
いずれにせよ、農民に殺されたのは影武者だったというわけです。

光秀は、頭脳明晰、戦が騙し合いであることは誰よりも知っていたはずなので、影武者ぐらいは立てて当然なのではないだろうかなぁ、と、やはり欲目入りで、生きていてほしいと思ってしまいます。



これからも
光秀を初めとする、末裔の方々を応援しています。

御体を大切になさって、
真実を追い続けてくださいませ。
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