明石混声合唱団のマネージャー日記

明石混声合唱団のマネージャーのうだうだ話を掲載

お別れの会

2012-01-31 22:57:45 | Weblog
前神戸市長、故笹山さんとのお別れの会がありました。
国際会館がほぼ満員の参列者でした。
大正13年に兵庫県揖保郡に生まれ少年期を鹿児島県川内市で過ごされ、
神戸大学の前身神戸工業専門学校を卒業、昭和21年に神戸市役所に入庁されました。
私が23年生まれですから、私の人生の長さ以上を神戸市のために尽くされました。
都市計画が専門で、戦後復興を支え、また阪神大震災からの奇跡の復興の陣頭指揮をされたわけです。

なかなか、素晴らしい会でした。特に、安井神戸市会議長の贈る言葉は、故人との付き合いの深さを示す
言葉が随所にあり、聞き入りました。
ご冥福をお祈りします。

シンポジュウム

2012-01-29 21:14:59 | Weblog
災害支援のシンポジュウムが開かれました。
東日本大震災の被災地から東北大学病院の医師、大震災における日本透析医会の支援について、遠隔地からの支援、
災害時医療支援船のについて、等講演があり、医学界などの対策は十分聞いたのですが、
患者にとっては最後は自分で管理しないといけないこと、患者会としては、患者の情報発信の方法や、
連絡のとり方、あとはどのようにして透析施設まで行くかを考えなくてはならないでしょう。
その後は、自分で管理をしないとどうしようもないでしょうね。

朝から

2012-01-28 23:26:26 | Weblog
今日は、久しぶりにゆっくりしました。朝から掃除。
明日は、一日会議とシンポジュウムです。
明石混声の日曜練習ですが、参加できません。
その分、家で練習しないと、暗譜できません。
頑張らなくては。

寒波がやってきた

2012-01-26 21:51:22 | Weblog
寒い朝です。私の病院の患者会の代表幹事と、会計が転院します。またまた、二役が不在になります。
今日は、その会計の引き継ぎをしました。後任が決まるまで、また兼任しなくてはなりません。
病院のスタッフのもめごとが、患者の転院になったようです。しばらく落ち着いていたのに、どうしようもありません。
早く落ち着いてほしいものです。


さっむ

2012-01-24 23:02:26 | Weblog
東京は朝から積雪のようです。
明石もかなり寒い。と言ってもほとんど家を出ずに書類の片付けとPCの整理

日曜日に大相撲の初場所が終わりました。
エストニア出身の力士が優勝しました。
ちょうどテレビの「ちちんぷいぷい」でエストニアをやっており、
国民の4人に1人が合唱団に入っているとか。
ソ連から独立するときも合唱の祭典から、無血解放されたとか。
そういえば、昔見た、ロシア革命の時の労働者が「インターナショナル」を歌いながら
行進していく様は感動的でした。
合唱の持つ力はすごい。

チューリップ

2012-01-22 21:15:08 | Weblog
腎友会神戸ブロックの代表幹事会の解除に行く途中、兵庫県公館の玄関先にきれいなチューリップが咲いていました。



連日の会合でいささか疲れ気味でしたがすがすがしく感じました。
終了後、新年会。



昨日に続きまたまた、飲み会。
これが終わり、即県腎友会の事務所で、三役会。
夕方終了。明るいうちに家に帰りました。
その後、義妹の顔を見に、岩岡へ。いつもうれしそうにします。
これで本日終了。

冷たい雨

2012-01-19 21:59:37 | Weblog
朝から冷たい雨 今日も、あいさつ回り、一回会えば、顔と名前を覚えようと思うのですが、
なかなか、覚えられない。
神戸市役所へ行ったとき、偶然、一緒に行っていたAさんのいとこがいました。それも挨拶がすみ帰ろうとした時に
気づきました。こんなこともあるんだ。悪いことはできない。

今日は帰りに、家内の友人を連れて帰りました。お泊まりです。先日赤穂で買ってきた牡蠣のどて鍋をして、3人でワイワイ。
鍋は二人で食べるよりも三人のほうがおいしい。ごちそうさま。

今週の土日はなんだか予定がトリプルで入っています。やれやれ。仕事はなくても今月のバタバタさがんばろうっと

17日

2012-01-17 23:09:00 | Weblog
阪神大震災の日です。曜日も同じ。
あの日、ひどい揺れで、サイドボードの上に置いていたカンパリの瓶が落ち、
家の中は、真っ赤になりました。
外に出ると、隣の家の瓦が飛んでいました。
神戸の家が心配でしたが、連絡がつかず、とにかく病院と連絡をつけなくては
透析ができないので、電話をすると運よくつながり、神戸の家が燃えていること、両親は無事なことを
教えてもらいました。
両親を家に引き取ったのですが、ちょっとしたいさかいで家を出て行ってしまい、
その後長い間行方が分かりませんでした。
店は両親のものなので、区画整理の話なども全く私の耳に入らず、
ほんとに困りました。
5年たち、やっと店を立てることができるようになりましたが、その時母はすでになくなり、
父も少し痴呆が出てきました。父を元気にしようと思い店を再建しましたが、
その時、父は無表情、ショックでした。
その後は、得意先も代替わりをして、だんだん減っていき、とうとう、今年店を閉めることになりました。
仕事に関しては、いいことなど17年間なにもなかった。ただ、子供たちが大きくなり、
孫もできたことが救いです。

荒神さん

2012-01-14 23:01:37 | Weblog
わが家は、真言宗ですが、荒神さんも祭っています。
これは亡き母の遺言のようなもので、不思議と、い一年に一度は行かないと気持ちが悪くなります。
昨年は、喪中でいけなかったので、今日やっとお札を持って、出かけました。
両親や、叔父が健在だった頃は、両親、叔父夫婦、弟夫婦、子供たちと元旦の夜に車で出かけていました。
私の二男などはいまだに、年初めに参っています。

正確には、清荒神清澄寺といって、神仏融合のところで、台所の神様、厄除けの神様として知られています。
駅を降りると、参道が続き、お店が立ち並んでいます。門をくぐり、手洗いを済ませ、本殿へ。



いつものように、ろうそくで線香に火をともし、お参りをし、お札を買い、おみくじをひきます。
大吉でよしとして、数々の祠にお参りをします。古いお札を返し、お寺のほうにお参りをし、
一願地蔵尊にお水をかけます。



いつもはこれで帰るのですが、ン十年と来ているのに、今まで知らなかった龍王滝を参拝に行きました。



左手の崖に不動明王がおられるそうです。

無事お参りを済ませ、参道をもどり、帰りました。
これでやっと、年が始まった気がします。