おうどうもん(Oudoumon People of Hakata)

福岡周辺における祭りや四季の移ろいを・・・・・・

2015 大興善寺の色鮮やかな新緑 2

2015年04月30日 06時30分22秒 | 日記

 

 

新緑の季節でも紅葉の頃と同じアングルで撮っている。

ライムグリーンの目にも優しそうな若葉か、冷たい北風に追われ次々に黄や赤に色を変えるモミジ

生まれて間もない頃と、終焉を迎えようとしながらも人々を楽しませてくれるモミジ。

茅葺の屋根を背景にしながら、燃えたつようなエネルギーを発散するモミジ。

少し分けてもらって元気の素にしたいが、逆に吸い取られないようにしよう。

 

木々たちとはコミュニケーションはとれないけれど

動物よりも先にこの地上に存在しているわけだから、生きることに関しては彼らは我々より数段も上手なはず

水分を地下から、地上からはほんの少しずつ動物エネルギーを搾取しているのかもしれない。

人間は森に入って、フィトンチッドを浴びて気持ちいいと思っているが、本当は何かをとられているのかもしれないのだ。

 

 

 


2015 大興善寺の色鮮やかな新緑

2015年04月29日 06時30分11秒 | 日記

 

天台宗の古刹である大興善寺は、福岡から南に小1時間も車を走らせる着くことができる。

ツツジと秋の紅葉の頃は、多くの見物人が訪れる。

春のこの時期は、契園の山肌を色とりどりのツツジが覆い尽くす。

参道の先にある両側にツツジが植えられた、長い階段を息を切らせて上ると山門がある。

その山門の向この風景を見るには、ちょっと息を整えてから見たほうがいい。

そう、息をのむ風景が晩春と晩秋に見ることができる。

500本ともいわれる境内モミジの代表格がここで迎えてくれる。

薄暗い山門を額縁として、その向こうにみえる鮮やかな新緑は期待を裏切ることはない。

 

 

 

 


可憐な花たちからの警告

2015年04月28日 06時30分55秒 | 日記

 

花の名前はそこそこ知っているほうだと思っていたが、花壇を見渡すと名前を知らない花が多い。

名札がつけてあるやるは、一応声をだして読んではみるが

覚えようとする気がないのかやる気がないのか

他の花に目を移した瞬間に、近頃脳内の海馬はもう先ほどの花の名前の一文字も浮かんでこないほど忘れっぽい。

ノースポールかマーガレットかどっちだっけ、密生しているからノースポールか

そういえば、近頃植物図鑑を見なくなった。

このところ、ハードボイルドやサスペンス小説ばかりページをめくっている。

時には、図鑑を開いて忘れかけてる花たちの名前を、声を出して読んでみないといけない。 

ほらほら、しっかり思い出しておかないと人生そのものを忘れるよといっている。 

 

 


フィラミンゴたちの戸惑い

2015年04月27日 06時30分18秒 | 日記

 

たまたま平日の休日、海ノ中道海浜公園の動物の森を覗いた。

フラミンゴの池が干され、三面張りのコンクリート面が洗浄されていた。

フラミンゴたちも理解しているのか、木立の下で一塊になり作業が終わるのを待っている。

 

これまではなかったのだが、フラミンゴの木の柵の前に高さ30cm程の電気柵が新設されていた。

獣害があるのかと尋ねたところ、夜間にタヌキイタチがフラミンゴを襲うことがあるという。

夜間には飼育員も見回ることはないだろうから、これまでに犠牲になったフラミンゴがいるのだろう。

 

卵を産んでも近親婚を重ねると孵化率が悪くなるという。

時々、このためほかの動物園などとのトレードが行われるという。

フラミンゴに限らず、入手困難になってきた動物の繁殖事情も、人間界と同じ運命をたどっている。

フラミンゴの世界も、新人はいびられるか可愛がられるか、人様と同じような定めが待っているのだろう。

 

 

 

 


フラミンゴの約束の地

2015年04月26日 06時30分53秒 | 日記

 

フラミンゴはコンクリート製の幅5m程の水路を住みかとしている。

朝一番で覗くとだいたい向かって右側の、木立の切れたほうに群れでいる。

こちらが朝の光が早く差し込むからなんだろう。

 

鳥類も人間と同じく恒温動物だが、やはりお日様の光が好きなんだろう。

このところほとんど快晴の日が続いている。

お日様の光は気持ちいいが、吸収がいい肌は用心をしないとすぐ赤くなり

お風呂に入るとヒリヒリとして、日差し警報のサインを送ってくる。

フラミンゴは羽焼けはしないだろうし、赤くなれば美しくなる。

囲われて暮らすフラミンゴでも、不敵な目力はある。

飛べないフラミンゴは、トラックに運ばれ新しい仲間はやってくるのか。

その時、目力がものをゆうのだろう。