あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

インド紀行 187 帰国

2016-05-09 | インド紀行

  

どうやら お腹の調子も その後 何もなく 

ツアー 6日目の朝が明けた。

窓越しに 第1日の往路で見た

富士山が また迎えてくれている。
   

 

740便は 偏西風にのり デリーを経って 8時間30分

予定どおり 無事に 6:50分 成田空港に到着した。

 今回のツアー 実質5日間 インドの地図で見れば

ほんの指先程の範囲だけしかならない。

そんな中 国土の広さ 人の多さと

そして 階級制度の一端を見た。

また インドの世界遺産は32か所

 そのうち今回8か所を訪れたが

インドは 一度行けば “ハマル” といわれる。

そうかもしれないが 今の段階では 

毎日カレーで 少々食傷気味 

加えて 最後のゴタゴタや 下痢の件があるので

もうしばらく 時間を経てから 考えてみようと思う。

 

このブログ「インド紀行」も 187回にもなった 

最後まで ご覧いただき ありがとうございます。

        
 
お疲れ様でした!

 

 


インド紀行 186 下痢?

2016-05-08 | インド紀行

 

ここで 尾籠な話題で 失礼します。

夕食である 機内食を 食べて しばらくして

突然 おなかの調子が 狂いだし 

椅子に座っていられない 幸い最後尾であるので


隙間に体を横たえるが もう我慢ならない トイレへ


“下痢“ だ 

今まで食べたカレーが そのままだ・・・・

結果 少々落ち着いてきた。

インドに旅したら 必ず “下痢の洗礼” を受けるという。

正に そのとおりになってしまった。

原因を考えるが 生水は飲んでいないし 

もしかすると 今日の昼食で フルーツを食べたがそれか?

しかし 必ずしも 菌が入らなくても

下痢することがあるという。

料理に大量の油とスパイスが含まれているため

お腹がびっくりする場合とか。

また インドのカレーには 日本のカレーでは

使わない香辛料が多く含まれており


刺激で胃が疲れているにもかかわらず食べすぎ。


そして 忙しい観光で疲れて睡眠不足なども考えられると。


そうか 先ほどの搭乗のゴタゴタが

 その切っ掛けになったのかもしれない・・・・

 

 




 


インド紀行 185 離陸

2016-05-07 | インド紀行

 

 

搭乗機は JAL740便 

既に 乗客は着席済み 

その中 息を弾ませ エコノミークラスの席へ

当方の席は 最後尾 55のAとBの座席に腰を下ろす。

受付から たった30分で 着席することができた。

  

 

搭乗機は 既にアイドリング中で 
 
我々が着席すると ドアが閉められ

ボーディングブリッジが外され

 滑走路へと向かう。

 

 


インド紀行 184 出国手続

2016-05-06 | インド紀行

 

空港に着く前 ガイドから

「搭乗時間が迫っていますので 

急がせて大変申し訳ありませんが

 
受付ではスタッフがスタンバイしておりますので

 
指示に従って行動してください。」

  ということで 

降車後 パスポートとEチケットを片手に

トランクを引っ張ってカウンターへ

  

 


 出国審査など手続き後

 トランクはなくなって


空港内を 搭乗口まで 走る!走る!

 

 

途中 空港職員から 声を掛けられて
 
カートに乗車することができ ホットするが

何が何だか 考える暇もなく 

ベルトコンベーアに 乗っているような気分だ。

 間もなく 07ゲートに到着する。

 

 


インド紀行 183 女性警察官

2016-05-05 | インド紀行

                 渋滞を抜けられず 時間だけが過ぎてゆく 

前回 警察について触れた。 

そこで インドの警察事情を調べると

インドの治安の悪さの原因は 

世界第二位の膨大な人口と


地域ごとに大きく異る民族と

言語の存在があるようだ。



さらに調べると 

女性への差別意識が残るインド社会の中で


キラン・ベディ」という

女性幹部警察官がいたことを知る。

1994年 アジアのノーベル賞とも

言われている「マグサイサイ賞」を受賞している。

彼女の名言に

 ”人生は坂道 上るか もしくは転がり落ちるかだ”

さて 当方の人生の道は如何に・・・

 

 


インド紀行 182 警察署

2016-05-04 | インド紀行

  Police Station Chanakyapuri  チャナキャプリ警察署

 

ツアーバスは 

オールドデリーから ニューデリーと向かうが 


あのエンジントラブルの時間が

丁度 退社時にずれ込み 交通渋滞にはまって 

なかなか前に進まない。

刻々時間が経っていく

ガイドは 頻繁に会社に電話を入れ

渋滞を避ける道を探って
走るが

我々には 今何処を走っているのかは分からない。

その途中「チャナキャプリ警察署」を見て

できれば VIPなみに空港まで

“パトカー”が 先導してくれたらなあ~

などと 馬鹿なことを思う。

待てよ! かつてセルビア・ベオグラードで

宿泊所までパトカーの先導を

受けたことを思い起こす。

   (東欧旅行223 VIP

 


インド紀行 181 レッド・フォート 2

2016-05-03 | インド紀行

 

 

リングロード東側を走るツアーバスから 

レッド・フォード(ラール・キラー)の一端
 
白大理石の宮殿等が覗けた。

 赤岩石の城壁から威風堂々とした固古な城に見えるが

城内の建物は 白大理石で造られて


その白亜が 絢爛豪華と気品が引き立ているという。


右側の建物は 皇帝が貴賓謁見を行っていた

内謁殿「ディワーニ・カース」


当時 中央の王座には サファイアやルビーなどの


宝石がちりばめられていたそうだ。

また 壁には「もし地上に楽園があるなら

それはここである」と刻まれているとか。

 左は 皇帝が暮らしていた

私室「カース・マハル」で 


寝室や個人礼拝の間などがある。

 




インド紀行 180 レッド・フォート

2016-05-02 | インド紀行



オールドデリーにある

世界遺産「レッド・フォート」は 
車窓からの見学になっている。

写真は 33mにも及ぶ ラホール門だが
場内からみて西側にあり ラホール(現パキスタン)
へと続く道が この門からはじまっているのでこう呼ばれる。

 タージ・マハルを築いた 
ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが

アグラーから 遷都し この地に
自らの居城として つくった居城で

周囲約2kmの不規則な 八角形を形成している。

また 赤砂岩の城壁と門を持つことから

別名「ラール(赤い)キラー(城)」とも呼ばれている。

1639年に建設を始め 9年の歳月をかけて完成している。

しかし 1857年「インド大反乱」(セポイの反乱)で
略奪を受け
また イギリス軍は駐屯地として
兵舎を建設するなどしたため

城内は 大きく作り変えられ インドの独立後も
軍の施設として 使用されており
現在も デリー門周辺と北西部には 軍の施設があり立ち入れない。

2007年 隣接する「サリームガル城」と合わせて

「赤い城の建造物群」として世界遺産に登録されている。

下の写真は 東隣りにあるサリームガル城と結ぶ陸橋。

 

 

 


インド紀行 179 オールドデリー

2016-05-01 | インド紀行

 

 

混雑する オールドデリー駅への入り口に差し掛かる。

ここでオールドデリーは ニューデリー駅の東隣り

ガンジス川の支流ヤムナー川沿いに拓けた地にある。


ムガル帝国の後期の首都だった地域で 

1638年に造営された城壁に囲まれており 


南門は デリー門 西門は アジュメル門

北門は カシミール門と呼ばれて 

7つのアーチ門がある。


市内は狭い通りや路地が交錯し

その中には バザールやインド最大のモスクである


ジャーマー・マスジドなど 

歴史的建造物が多く建ち並んでいる。


車窓から見る町は 下町的で

雑然として 人と車で大混雑だ。

下の写真は 城壁脇のリングロード 正面に鉄橋が架かる。

ラージャスターン方面への 列車が行き来している。