あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ポルトガル紀行198 リスボン40 リスボン大地震      

2019-10-03 | ポルトガル紀行

 

    火災と津波によって破壊されたリスボンの市

 

 

これまでに 1755年11月1日に発生した
リスボン大震災に触れてきたが


この大地震は 推定マグニチュードは
8.5 - 9.0ともいわれ 

2011年の東日本大震災は 9.0
同規模であるのでその被害は想像できる。

発生から40分後に
6~20mの津波が2回にわたって襲い

5日間燃え続けた火事で
大航海時代以来栄華を誇った

リスボンは 建物の85%は破壊され
瓦礫の山と化した。


当時リスボンの人口は
約27万であったが約9万人が死亡した。

 

そのヨーロッパ史上最大の震災からの
緊急措置・復興を担うことになった

宰相のセバスティアン・デ・カルヴァーリョ
(後のポンバル侯爵)は
食糧・飲料水の供給、物価の統制
仮設住宅の建設

軍隊の出動による治安の維持
消火隊の組織化

疫病防止のための
死体処理(水葬)を進めるなど

精力的に被災者の救済に当たった。

このことは近代地震学の始まりとも。

また 祈りでは無く科学の考え方に基づく

災害に強い都市造りに挑んだ。

このポンバル様式の建築は

世界最初の耐震建築ともいわれている。


今ではリスボンは
「麗しのリスボン」ともいわれている。

 


                (参考資料:ウィキペディア


コメントを投稿