あかない日記

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石川島 2

2021-05-13 | 出来事・行事

民営洋式造船所発祥の地(中央区佃2)

 

前回に続き 
石川島の現在に触れる。

隅田川・中央大橋を渡り佃島に入ると
左(東)側に 川沿い 「石川島公園」に
「民営洋式造船所発祥の地」
の碑が建っている。

1853(嘉永6)年 
 この地に水戸藩徳川斉昭の

 手によって創設された石川島造船所は、
 現在のIHI(旧社名:石川島播磨重工業)
 の母体となる。

 以来 IHIは造船をはじめ様々な産業分野で
 常に時代 の先駆けとなる製品を生み
 日本の歴史とともに歩んできたが 
1973年のオイルショック後
 生産や環境の
変化により
 工場の再編等が進み

1979(昭和54)年
 IHI創業の地である

 佃工場は 126年間の役割を終えた。

説明文には

「 米国ペリー艦隊が来航した
嘉永6年(1853年)、

幕府の命を受けた水戸藩主徳川斉昭が
この地に石川島造船所を創設した。
同造船所は洋式帆装軍艦
「旭日丸」をはじめ、

日本人によって設計、建造された
最初の蒸気軍艦「千代田形」など数多の
艦船を次々と建造、造船技術を通じて
わが国産業の近代化に大きく貢献した。

 明治維新後の明治9年(1876年)、
平野富二によりわが国初の
民営洋式造船所として再スタートし、
その後明治22年(1889年)には
渋沢栄一などの協力により
会社組織となり、

有限責任石川島造船所、
株式会社石川島造船所の社名の下、
明示から大正・昭和にかけて、
多くの軍艦・商船を
世に送り出してきた。

この地での造船事業は
昭和14年(1939年)造船部門の
東京深川区豊洲への
移設によって幕を閉じた。

その後、石川島重工業株式会社、
石川島播磨重工業株式会社と
社名が
変更される中で、
当地は日本屈指の重機械類の
専門工場として活躍してきたが、
昭和54年(1979年)の
工場大移転により、

その長い歴史を終えた。」


 隅田川テラスから
     リバーシティ21 右・中央大橋



現在 この地は東京都の

ウォーターフロント
開発計画の先駆けとして

”リバーシティ21”と名付けられ
発展を続けている。

 


(googleマップ)

 

 

 

 



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