なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

真剣な顔・頭

2009-02-21 16:21:12 | Weblog
 「この頃本をよく読んでいるらしく、少し利口そうな顔になって来たな」・・・
  突然、何の脈絡もなく人からそう言われたら悪い気はしないものの、『こいつ何を言っているんだ』と言う気持ちになるに違いない。
 それは高校2年生くらいだっただろうか、さほど親しくはないクラスメートに突然顔を合わせた時に言われた。
 まあ、けなしているわけではないけれど、仮に一瞬でも頬を緩めるようなそぶりを見せれば、次の瞬間に”突き落される”ような場面も考えられなくもないし、『何が言いたいのか?』という気持ちで”ちらっと”見ただけで素通りした経験があります。
 それでも、「本を読む習慣」=「利口そうに見える」・・・そういうものだろうか?とか、”彼は結局何を言おうとしたのだろうか?”という気分は今でも心の隅に沈殿しているように残っています。
  当時私が本をたくさん読んでいる・・・あるいは、誰々はよく読んでいると言うのは「図書カード」である程度は分かったのです。
 高校の図書館はかなりの蔵書がありまして、使用した図書カードは全て糊付けされていきます。
 個人情報保護などと言う考え方はありませんし、カード置き場を見れば厚みでだいたいの読書量・図書館の本に限定ではあるけれど、推察できる。
 (卒業時にこのカードは記念品として各自に渡されます)
 マア、そんな事で借り出して家で読んでいる書名とか量は推察できたのでしょうね。
 深夜を過ぎて明け方まで本を読むパターンになっていた頃なので、借りる本の量は多かったとはおもいますが、それで利口そうに見えるのと本当に利口になったのかは別ですから、そこが問題ですね。

 囲碁に関して言うと、対局中に喋らずに真剣に碁盤に向かっていれば、相当力が入っていると思われるでしょう。
  そこが、微妙な問題があるように思えます。
 真剣に打つ・全力で打つ=真剣な顔・・・これは正しいでしょうか?
  少なくとも私にとってはそうだろうとは思えます。
 と言うのも、不器用な性質ですから真剣に打つ時は真剣な顔しか出来ない。
  要するに”顔に出る”と思われる。
 ところが、私の周囲で真剣に打っているはずなのに、本当にそうなのか判断しにくい人もいるのです。
 いや、ふざけ半分と言う事ではなくて・・・

 仮に”この一局”と言う気分で対局するとしたら、たとえとして「褌を締め直す」という表現でしょうか。
 それに”力を込める”とか”気を張り詰める”のように真剣=緊張・張る・詰める・締めると言う表現であり、実際そういう形になります。
 しかし一方で、外国の人の中には”この一番”と言う時に”リラックス””緊張を緩める”と言うのもあるのだとか・・・
 単に緊張対策のリラックスでは無くて、緩める・解放することで力を出そうとするのだそうです。
 
 と言うことは、普段と変わらない顔や表情なのに、普段以上に集中を高めている相手もいる可能性は大いにある。
 私みたいに真剣な顔をしている人間だけが真剣な態度と言うわけではない・・・
  これは、私みたいな単純な構造の持ち主は不利ですね。
 ポーカーには向かないし、麻雀のテンパイもミエミエだったり。
  こういうことに対策めいたことはないのですが・・・昔中国の人から聞いた話を参考にはしています。

 それは勝負事とは関係なく生活する上での注意ですが、「天庭が曇らないように」と言うことです。
  天庭=眉間・眉毛と眉毛の間のことだそうです。
 険しい表情はここ眉間に皺が寄ります・・・これが天庭が曇った状態。
  危険なとき・困ったとき・善からぬことを考えた時に天庭が曇る。
 ここがのびやかな状態が天庭が晴れている状態なんだそうです。
  これが穏やかで平常な状態を表しているのだそうです。
 従って天庭が晴れたまま暮らすのが理想・・・晴れたまま碁に没頭できるのが理想かも知れません。

 のんびりした顔・やや間が抜けて見えるかも知れないけれど、実は外見と中身は関係ない・・・案外これは武器になるかも・・・ただしリアル限定でしょうか。
 尤も、平常心と言う事ではリアルもネットも大事なことですね。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿