今朝は少し嬉しいことがありました。
西洋のことわざだったでしょうか、「日の下に新しいものなし」という言葉があったと思いますが、自分流に勝手にこじつけて、その言葉を思い出しながら通勤の自転車を走らせました。
ほんの些細なことですし、ひとさまか見れば感心するようなことでもないでしょうが、私は身近なちょっとしたことに密かに感動する癖があるのです。
些細な事で心が震える癖ですから、こういう震動が身近な女房殿に伝わったりすると「何よ、オーバーな」と言う風にじろりと見られてしまうのですから、家の中では無感動な顔をしているのです。
フリーな気分で話ができるのもブログのおかげと言うことです。
さて通勤ルートは自転車で6キロ半くらいで、信号待ちの時間を含めて約40分くらいで走ります。
全くノンビリペースで、マラソンランナーに比べたら倍ぐらい時間がかかっている。
自分では朝から気持ちの余裕の現れと思うことにしているのですが、でも実態はのろのろ走りです・・・その分あれやこれや考えながら走ることはできますが。
もっとも、そんなに余裕があるのなら周りがよく見えているのかと言うと、それはまた別のことだろうと言うことに気がついたのです。
いつもの通勤路に直線で4キロほど走るところがあります。
ここは5メートルほどの歩道の上を走りますが、その歩道の道路際に前に話しましたようにナンキンハゼが植えられていて今が紅葉のシーズン。
10メートルくらいの車道を挟んだ向こう側は10メートルくらいの幅の緑地帯が続きます。
ここは松などの針葉樹と名前がわかりませんが広葉樹、夾竹桃も大きく育っています・・・何となく雑然と育っている感じがしますが、木と木の間隔を見ると何となく人為的な感じもしますから、やはり計画をした人がいるのでしょう・・・
木が中心の緑地で、季節によってはたまにツルボのピンクの花穂が見える程度。
ともかく10メートルくらいの木が並んでいる・・・暗くなり過ぎないように向こうが少し透けて見えるような緑地・・・そういう認識だった。
だから紅葉と言うと道のこちら側のナンキンハゼしか目に入らない感じでした・・・グラディエーションと言うか派手な感じですし。
ところが今朝は道の向こう側の緑地に、カエデの仲間の木の紅葉を見つけました。
正確には紅葉と言うより黄葉ですし、葉がカエデの仲間に違いないと言う事で名前もわかりませんが、ともかく緑地に中で他の期よりも少し背が高い。
とにかくここにこういう木があることに今まで気がついていなかったのです。
この道を通勤して6年半・・・7回目の秋に初めて気がついた。
そして気をつけてみると4キロの道のそばに5本同じ木を発見した。
オーバーに言うと人生とか生活に大きな意味を持たないであろうから、今まで見落としてきたと言うことになるでしょう。
今後も意味が出てくるとは思いませんが、それでも見ていたはずなのに意識の中に入ってこなかったと言うことがわかった。
きっとこういうことは多いでしょうね。
自分に見る気がなけれが見えてこないのでしょう。
目に映ったとしても、心には映っていない。
囲碁で言えば同じ盤面を見て、見えるものが違うと言うようなこと・・・
あるいは何かが見える人と見えない人がいる・・・
それらの差が棋力と言うものだとすると、囲碁に限らず実生活でもザル的人生を送っていることを証明してしまった感じ・・・今朝はそんな事を考えながら走りました。
西洋のことわざだったでしょうか、「日の下に新しいものなし」という言葉があったと思いますが、自分流に勝手にこじつけて、その言葉を思い出しながら通勤の自転車を走らせました。
ほんの些細なことですし、ひとさまか見れば感心するようなことでもないでしょうが、私は身近なちょっとしたことに密かに感動する癖があるのです。
些細な事で心が震える癖ですから、こういう震動が身近な女房殿に伝わったりすると「何よ、オーバーな」と言う風にじろりと見られてしまうのですから、家の中では無感動な顔をしているのです。
フリーな気分で話ができるのもブログのおかげと言うことです。
さて通勤ルートは自転車で6キロ半くらいで、信号待ちの時間を含めて約40分くらいで走ります。
全くノンビリペースで、マラソンランナーに比べたら倍ぐらい時間がかかっている。
自分では朝から気持ちの余裕の現れと思うことにしているのですが、でも実態はのろのろ走りです・・・その分あれやこれや考えながら走ることはできますが。
もっとも、そんなに余裕があるのなら周りがよく見えているのかと言うと、それはまた別のことだろうと言うことに気がついたのです。
いつもの通勤路に直線で4キロほど走るところがあります。
ここは5メートルほどの歩道の上を走りますが、その歩道の道路際に前に話しましたようにナンキンハゼが植えられていて今が紅葉のシーズン。
10メートルくらいの車道を挟んだ向こう側は10メートルくらいの幅の緑地帯が続きます。
ここは松などの針葉樹と名前がわかりませんが広葉樹、夾竹桃も大きく育っています・・・何となく雑然と育っている感じがしますが、木と木の間隔を見ると何となく人為的な感じもしますから、やはり計画をした人がいるのでしょう・・・
木が中心の緑地で、季節によってはたまにツルボのピンクの花穂が見える程度。
ともかく10メートルくらいの木が並んでいる・・・暗くなり過ぎないように向こうが少し透けて見えるような緑地・・・そういう認識だった。
だから紅葉と言うと道のこちら側のナンキンハゼしか目に入らない感じでした・・・グラディエーションと言うか派手な感じですし。
ところが今朝は道の向こう側の緑地に、カエデの仲間の木の紅葉を見つけました。
正確には紅葉と言うより黄葉ですし、葉がカエデの仲間に違いないと言う事で名前もわかりませんが、ともかく緑地に中で他の期よりも少し背が高い。
とにかくここにこういう木があることに今まで気がついていなかったのです。
この道を通勤して6年半・・・7回目の秋に初めて気がついた。
そして気をつけてみると4キロの道のそばに5本同じ木を発見した。
オーバーに言うと人生とか生活に大きな意味を持たないであろうから、今まで見落としてきたと言うことになるでしょう。
今後も意味が出てくるとは思いませんが、それでも見ていたはずなのに意識の中に入ってこなかったと言うことがわかった。
きっとこういうことは多いでしょうね。
自分に見る気がなけれが見えてこないのでしょう。
目に映ったとしても、心には映っていない。
囲碁で言えば同じ盤面を見て、見えるものが違うと言うようなこと・・・
あるいは何かが見える人と見えない人がいる・・・
それらの差が棋力と言うものだとすると、囲碁に限らず実生活でもザル的人生を送っていることを証明してしまった感じ・・・今朝はそんな事を考えながら走りました。
そして、その逆はなかったので、どういうことが起きたのかと言うと、簡単に想像できます。
数年のうちにかなりの段級インフレになりました。
調子=棋力ではないので、短期間の成績で段を上げていると、順繰りに好調な人が昇段していきます・・・その逆はないのですから。
いずれにせよ勝敗と棋力が連動している部分もあり、していない部分もあるわけで難しいですね。