なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

屈辱!?

2008-11-17 18:49:07 | Weblog
 舌禍事件と言うものは何故かいつの世もあるらしい。
  まあ、確信犯的なものと、うっかり型、それに言葉を口にする人の見識を疑うものなどに分けられそうです。
 先日来の防衛関係の問題は舌禍事件と言えばそうですが、確信犯的な要素が強そうですから、うっかり口が滑ったというものとは違いますね。
 これは思想の問題ですから、腰を据えて構える必要がありそうです。
  類型としては「ベストメンバー」発言の犬飼氏もどちらかと言えば、これに近いのかも・・・それに事後処理などを拝見するとレベルに幻滅しますが。
 それに対していわゆる口が滑ってしまう方の舌禍で
  昔NHKのアナウンサー(後に幹部アナウンサーで本局で活躍して、すでに定年退職)が、地方局勤務の時に朝の眠い時に天気予報で「東(ひがし)の風」と言うべきところを「トンの風」と言ってしまったらしい。
 これは本人の懐古談です・・・徹夜マージャン明けだったとか。
  同じNHKで、これも天気予報に関連して
 「台風は関東地方からそれたようです。良かったですね」と放送・・・この時別の地方では台風が通過している真っ最中・・・。
 どちらも陳謝して一件落着でしょう・・・悪気は感じられませんから。

 ところがこの間のサッカーに関する報道
 我が贔屓チームが大激戦の末、強豪チームに勝利しました・・・これに関する新聞社系の見出し(2社が同じような見出しでした)。
 「○○屈辱の5回戦敗退」とある・・・何だこれは!
 負けたチームに「残念」「悔しいでしょうね」と言う意味はわかる。
 しかし、精一杯プレーをした選手たちへの労わりも敬意も感じさせない表現です。
 「○○は常勝軍団なので今回も当然勝つはず」という前提に立っているようです。
 仮にJ1のチームがJ2あるいは大学チームなどに負けたとして「屈辱的」という表現を適切な言葉として使うだろうか?
 それに勝った方の我が贔屓は考えられないほどの番狂わせをしたと言うことなのだろうか?・・・今年はこれまでに直接対決で2勝1敗1引き分けで、これで3勝目なのですから、実力がどうとか行く前に実績ではほぼ互角だったのになぜか新聞記者さんは○○が勝つものときめていたらしい。 
 相手が「屈辱的」な負けと言うのなら、勝った方も何やら屈辱的ですから拗ねたくなります。
  このブログで噛みついても仕方ないけれど、スポーツを愛する人に謝罪と訂正を要求したいです。
 
 どうも見出しで勝負しているようなところがあって人間性を疑われる見出しです。
 それに勝ち負けが大事だと言っても、少し度が過ぎているような気がします。
 これが囲碁の話になるとかなり奥ゆかしいと思われます。
  それはプロがタイトルを失ったりとか、急所の対局に破れたりして自棄酒を飲むことはあるでしょう。
 しかし勝った場合「幸いしました」と言うような常套句があるくらいで、「当たり前のことを訊かないでください」とは言いません。
 (秀策がお城碁の結果を訊かれて「先番でした」と答えたのは、その意味では微妙な感じがします)
 逆はどうでしょうね?
  タイトル棋士が各下的な棋士あるいは新進棋士に敗れた場合「よもやの敗戦」とは言うでしょうが「屈辱的」とは言うはずがない。

 ザルの場合ですが、点数制度で打っているので一応変動的ハンデに効力があるとして「勝って当たり前」とか「勝ってこない対局」などはあるはずが無い。
 もしかしたら、そういう建前に過ぎないかも知れませんが、ある程度は信じるしかない。
 したがって見損じとか大チョンボで負けることはあっても=屈辱的敗戦とは言うわけがない。
 仮に同じ人に変動制ハンデで10連敗くらいすれば悲しくはなるかも知れませんが。

 結局は勝敗にこだわりながらも、囲碁を「楽しむ」と言う部分が問題。
 サッカーの方も「報道」=「商売」としての見方の根底に「スポーツを楽しむ」心が貧弱な感じがしてならない。
 「屈辱的」を「痛恨の」に置き換えるだけで全く雰囲気が変わるのに、記事を書く側にそういう表現をする意思がなかったのか、あるいは表現力の問題なのか?。
  言葉一つで・・・単に角を取って丸くするだけでなく、ものの見方本質の問題もありそうです。

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