打越通信

日記ふういろいろ

娘の帰省

2020-07-14 20:08:32 | 日記ふう
昨夜も午前1時過ぎまで激しい雨が降っていた。
建物は古いのだが防音は利いて少々の雨ではほとんど気が付かないのだが、昨夜は窓にたたきつけるような雨が降っていた。
朝からは断続的に降雨はあったが完結ワイパーで済む程度だった。

13時着のヒコーキだと娘から連絡があり、福岡空港に向かう。
立駐にクルマを置き、長い長い空港内を行き来する。
福岡空港の場合、到着ロビーは1Fの南口と北口があり空港の端と端にあり、かなり長い距離を移動しなければならない。
空港はコロナチェックのためなのか所々にカメラが設置されていた。



南口に娘が乗った便の到着を見つけそこで待つことにする。
降りてきた娘は元気そうだった。
遅めの食事をして自宅に戻った。
来週後半の連休にはダンナもくるそうで、しばらくは賑やかになりそうだ。

コミュニケーション(会話)

2020-07-13 20:04:29 | 日記ふう
ケータイは持ってはいるが電話やメールはあまり好きではなく、特別な用事が無い限りあまり連絡はしない。
特に無駄なメールでのやり取りは時によってキリがない場合が多いのだ。
息子と娘たち、どちらも家庭を持ち独立した大人だし、、親としては余計なことはしないで独自性を見守ることにしている。
だから余程の事が無い限り連絡はしない。
妹や親せきとも余程縁が切れない程度に連絡はしているが、生存確認のようなものだ。
絵文字が入り内容がさっぱりわからないメールなどあり、そんなのもらっても考え込んでしまったりするからいけない。
普通の電話でも、いきなり返答を聞いてくる場合があり、聞き直すか、考えて(こういうことを聴きたいんだ)応えるかしなければいけない、だから疲れる。
一番悪いのは最後まで話を聞かないで、知っているふりをして最後まで話を聞かない、これはどうしようもないのでいったん切る。
再びかかってくる、しかし、同じことの繰り返し、まるでお隣の国とのような会話だ。
思い込みが激しいのか推測で物事を判断するタイプだ。
人の話を聞かない(聞く力のない)代表的な人だ。
まあ、そんなこんなで、そういう人ばかりでなく、一を言ってあげればあとは自分で考えて返事をくれる明るい人もいるので、そういう人との会話はうれしい。
リモートは大変だという、でも電話やメールでこれなんだから、結局は向かい合って話をしても同じかもしれないな。

今回の水害だけは(いやいや熊本地震の時もだ)あらゆる方にメールをした。
すべて返事が来たし、電話で状況を一時間以上も話してくれた友人もいた。
オジとオバとは2時間近く話し込んでしまう。
心配していた芦北町にある工場も無事だったようだ。
その他、知り合いの方が土砂災害で亡くなられたという方からの連絡も受けた。
無事だったが家が浸水という方もいた。

そういえば「聞いてよ!聞いてよ!」というタイプの人もいたな。
えらそうな事を言っているが、このブログもそういう分類に入るのだろうな。

熊本県南の被害状況を見て

2020-07-12 17:20:58 | 日記ふう
朝から雨、遅めの朝食をとり部屋の掃除をした。
特にカーペットに溜まったゴミをブラシでかきだして掃除機で吸い取る。
食品ゴミ(細かなゴミ)など衛生的に良くないのでたまにそういうことをやっている。
それでも取れないゴミはガムテープで強引に取る。
アルコールを染み込ませた雑巾でカーペット全体をさらりと拭き上げる。
8階の部屋にコバエがいる(どこから侵入してくるのだろう)。
普段ではあまり気にならないが、コロナの影響なんだろうか気になる。
霧吹きで吹きかけ飛べないようにして処分する。
日ごろからこんなに神経質ではなかったはずだけど、何か変な感じだ。


熊本・芦北町(20/07/04)


YouTubeで今回の熊本県南(芦北町)の被害状況の映像を見た。
この町には、小学校に上がる1年間をお袋の実家(田川)で暮らし、芦北町で小学校5年生まで暮らした。
映像を見ていると土砂災害のあった場所が特定できた。
田川からの川と佐敷川が合流するちょっと手前の所だ。
山菜取りや鉄砲をもった祖父と山歩きに行った場所でもある。
芦北町は旧佐敷街道と呼ばれる旧市街地と国道沿いに発展している市街地があり、そう両方とも大量の水で溢れていた。
佐敷川と湯浦川があり両方の川は球磨川と背を向けるように流れているため、球磨川があれだけの被害に遭ったのだから、かなり広範囲の雨水が流れ込んだのだろう。
その両方の川は河口近くで一つになっているため、それも氾濫に関係しているのかもしれない。
映像を見る限り被害は広範囲にわたり、復興にはかなりの時間と労力がかかりそうだ
佐敷川の河口近くにあった小学校、当時祭りで賑わっていたお諏訪さん、オヤジが勤務していた高校、その当時住んでいた家、20年近く仕事で通った工場など、大丈夫なのだろうかと心配だ。
いてもたっても居られないが、今はまだ雨が続いている、もう少し待って帰省してみようと思う。

散歩に出た、いつもの住吉神社だ。
切り倒された木の根から新しい枝がかなりの高さまで伸びていた。



そして今年最後になるかもしれないアジサイが最後の花を咲かせていた。



6月に行われた「お田植え祭」の稲もふさふさと順調に成長していた。
茅輪くぐりをして本殿にお参りをして心を落ち着かせる。

久しぶりの散歩

2020-07-11 20:59:18 | 日記ふう
昨夜は2時近くまで寝れずに録画したドラマなど見て過ごした。
冷たい水を飲むため、隣部屋のテーブルに座り、すこし窓を開けるとものすごい雨が降りこんでくる。
そういうわけで今朝はゆっくり目の8時過ぎに目覚める。
雲は出ているが青空も所々に出ていて、すでに気温は高めだった。
正午近くに散歩のため自宅を出て、近くの公園のベンチ(すでに疲れが)に座り込む。
ポメが2匹近寄って来て握手を求めてきた(いやいやクンクンだった)。
応えて頭をなでてやると体をすりつけてくる。



飼い主は40代と思われるご夫婦だった。
「前に黒のポメを飼っていたんです」
と私が話を始めると、ご夫婦もポメに関する話が次から次へと出てくる。
5歳メスの黒と白の双子で親も黒と白だったそうだ。
「写真撮って良いですか」
と尋ねると喜んでというふたつ返事だった。
昔飼っていたポメ(クー)を思い出しながらシャッターを切った。
「いや~!癒されました」
と言って別れた。



住吉神社の功徳池にはシロサギとカモが来ていた。
いつも見かけない光景だったが、先ほどの犬たちも、この鳥たちも、このところの雨続きで久しぶりの行動なのかもしれない。
散歩は続き、博多駅方面へ歩いた。
川端商店街から大博通りに出て途中から地下通路に入った。
地下街へ抜ける出口があったのでそこに入る。
いきなり妻が私の手を引を引いて店に入った。
その店の名前(大地のうどん)のセットにした。



ごぼう天と透き通った麺(加水熟成して空気を抜いたのかな)だった。
博多には珍しい手の込んだうどんだった。
まあ、先ほどの犬や鳥たちと一緒で久しぶりの散歩(行動)だった。
歩数計は10249歩、まずまずの結果だった。

祈願

2020-07-10 20:09:52 | 日記ふう
コロナ問題、このところの大雨での被害、いろいろな惨事が立て続けに起きている。
住吉神社では「名越大祭本殿祭」の「茅(ち)の輪くぐり神事」が先月末(6月31日)から始まっている。
毎朝のように輪をくぐりをし祈願する。
祈ることで気を落ち着かせる。
そんなことしかできない。



今日の天神の夕方の様子だ。
週末という事もあり、また帰宅ラッシュという事もあり、バス停には人が多く集まっている。
乗ったバスも満員では無いが座れる状態ではない。
何事も無いような普段の風景だ。

断続的な豪雨

2020-07-09 21:50:55 | 日記ふう
完全に運動不足のようで、体重が2~3kg増えてしまった。
私にとっては体重を元に戻すには良い傾向なのだが、急に増えるのは良くないことだ。
いろいろと資料の目通しと整理をした。
ついでに読み終わった本の選別をした。

いつも買い物といえば歩いて近くのスーパーに行くのだが、雨降りは車に乗ってちょっと遠めの安いスーパーに行く。
ついでに整理した本(約20冊)を古本屋(Bookoff)に売りに行った。
買い取られた本は5冊程度で195円だった。
あとの本は廃棄という事だ(それはそれで廃棄してもらうので良いことだ)。
吉村昭の本(たぶん読んでいないだろうと思われる)を3冊買った。
差し引き千数百円払う羽目になった。
それでも読む本が確保されたことは良いことだった。
スーパーでの買い物は特に大人買いするわけでもないのだが、種類が多いので選択肢が多くなる。
鶏肉のぶつ切りを2パック買っていたので、たぶん水炊きなんだろう。
スーパーからの帰り、ものすごいことになっていた。
渋滞(ちょうど帰宅ラッシュ)ではなく、雨がすごいのだ。
ワーパーを高速にするが見通しは悪い。



アンダーパスも今のところ冠水はしていないが、今回の豪雨の映像を見ているので、実感として怖い。
断続的に降っているが、今後の予報に気を付けないといけない。

まだ続くのか

2020-07-08 22:02:39 | 日記ふう
久しぶりに日差しが出た福岡だった。
散歩に出るのも久しぶりで2時間ばかり自宅付近を歩いた。
自宅すぐ近くの那珂川も水量が増え、歩道近くまであがって来ていたので堤防の方の道を選んだ。
ニュースを見ていると人吉市内の状況や、土砂災害があった芦北地区の現場の状況が出ていた。
被害はさらに東海地区(岐阜県)でも被害が出ているようで日本全体に広がっているようだ。



自然の力と言ってしまえばそれまで何だろうが、いったいどこにこんな大量の水があるのだろう、と思ってしまう。
明日からの天気予報を確認すると、まだまだ先まで雨マークが出ている。
いったいどうなるのか、今までの大量の雨にさらに降るのだ。
どうせなら、コロナも全部洗い流してくれ!

降り続く雨(七夕の夜)

2020-07-07 21:27:23 | 日記ふう
朝から小康状態で午後からは一時やんでいた時間帯もあったが、午後8時過ぎから雨足が強くなってきた。
雨だったためほぼ一日部屋に閉じこもっていた。
熊本県南の状況がだんだんとわかってきて、死者は56名、行方不明11名の災害になった。
いろいろな情報を見ていて、やはりなあと思ったのが川辺川ダムの事だった。
川辺川ダム問題の時にいろいろと調べていたこともあり、あの当時の賛成派(治水)が訴えていたことが現実になったことだ。
八ッ場ダムと同じ運命だった川辺川ダムが正反対の結果となったわけだ。
あの当時のスコミや一般的な世の中の空気などを考慮した自治体(知事)の判断、民主党政権の無駄な公共事情(コンクリートから人へ)の計画中止などあった。
だからといって今更現実にになりその当時の事をどうこう言ってもしょうがない。
球磨川の支流の川辺川のダム計画、はたしてダムが出来ていたら今回の被害が防げたのだろうか。
そんな検証を行い、ダム計画が再び度動き出すのか(それは無いだろう)今後見ものだ。

それにしても100年に一度とか、50年に一度とか、そういわれる災害が毎年のように起こっているのはなぜなんだろう。



七夕の夜、現在の博多区のマンションから撮影した。
雨粒の一つ一つは当然写らないが、雰囲気としては出ているのかな。
ISOをかなり上げて撮った一枚目とAUTOで撮った一枚だ。
ISO(ASA)という概念がいまいちピンと来ない。
昔はフイルムがその役目をしていたと思う。
感度を上げていかにブレを無くす、それだけなんだろうか、良くわからない。

九州が襲われている

2020-07-06 19:34:24 | 日記ふう
朝から天神に用事があり出かけた。
テレビのニュースでは鹿児島付近に大雨警報が出ていて、雨は九州南部に移動したかに思えた。
出かける寸前には福岡でも雨が降り始め、時間の制限もありクルマで出かける。
10時までにあるビルの地下駐車場にクルマを入れ、用事を済ませる。
一時間ばかりで用事はすみ、地下駐車場から地上に出ると土砂降りだった。
ワイパーを早めるがそれでも先が見えずらい状況だった。



ナビでは緊急事態情報の警報な次から次に出ていた。
クルマで出たついでにあるスーパーに入った。



買い物を終え、駐車場(4F)から周りを確認すると、暗い雨雲が不気味な雰囲気で漂っていた。
雷が鳴り響くなか、何とか無事に帰宅した。

これからまだ続くのか、不安だ。

熊本県南の大雨について

2020-07-05 18:25:18 | 日記ふう
ジュンからの写真

朝起きてテレビのニュースをみてびっくり。
さっそく実家に住む甥っ子にメールした

(ニュースを見ているけど、そっちの状況はどうですか?)

ジュン<敷地外に出てないけど、ガレージ内30cm浸水してたみたい。川は堰を超えて畑と川が一体化してます。お隣の祠も水没してます>

(クルマは大丈夫だった?)

ジュン<車は車内に水は入ってなくて、とりあえず水俣駅駐車場に避難させました。>

そんなやり取りをしていたら、妹からも連絡があり


ジュンからの写真

妹<淳ちゃんに安否確認したら写真を送ってきた。今は晴れてて片付けしてるらしい。>
妹<片付け手伝いに行こうとしたら、高速も3号線も通行止めだそうで行けない>

そういうやり取りで、まあ年に一度は家の敷地を流れる川が氾濫することはあるので大したことはないと思っていた。



しかし土砂災害のニュースを見るたび、球磨川だけでなく、実家地区の隣町や母の実家(今は家屋はない)だったところが全国ニュースのトップで出ているではないか。

さっそく実家のとなり町に住むオジ・オバへ連絡を入れる。
裏山に亀裂が入っていて近所の人や役所の人たちが朝から警戒しているらしい。
中学高校の時の先輩に連絡を入れると、興奮気味に、家の横に水の流れが出来ていて、小石などがコロコロと落ちてきている。
早朝(3時過ぎに)に危ないと思って高台にクルマで避難した。
今は嫁の実家に避難している、そういう返事だった。

同級生に連絡を入れると、ものすごい雨だったようで、それがかなりの長時間にわたり続いた、
とうとう一睡もできずにネットやテレビで情報を収集していたようだ。
彼の自宅は高台なので今回は無事だったようだ。
市内の状況は川の決壊などなく被害は出ていない。

今後も大雨の予報が出ているので気を抜けない状況だ。

下関長府城下ウォーク

2020-07-04 20:31:39 | てくてく
関門トンネルをくぐり下関市内に入る。
ここもトンネルからの道とインターチェンジからの取り付け道路が入り組んでいてわかりにくいところだ。
うろうろしていると海岸線(壇ノ浦)あたりに出た。
海岸線を右に関門海峡を見ながらしばらく走ると長府市街地に入る。
観光会館のような所があったのでそこに駐車した。
会館に入り市内(長府城下町)のマップを手に入れる。
奇麗に整備された川沿いにはかなりの数のカモがたむろしている。
先ずは長府毛利邸を目指す。

ガイドには
<長府毛利家第十四代当主の毛利元敏公が、東京から長府に帰住し、この地を選んで建てた邸宅で、明治三十一年(一八九八)に起工し、明治三十六年六月二日に完成した後、大正八年(一九一九)まで長府毛利家の本邸として使用されました。>
とある。

長い玄関までの石畳を歩き、門をくぐる。



毛利秀元の像が出迎える。



歴史観のある家屋に入るとツルの襖絵が表れる。
さらに中に入ると大広間が広がっていた。



部屋数もかなりあるようで中庭をぐるりと囲んでいる。
二階部屋もあるようだが、資料展示室になっていた。



庭も広く、今の時期は緑がきれいだ。



その一番いいであろうという部屋に<明治天皇御宿泊の間>というのがあった。

<完成直前の明治35年(1902年)に、熊本で行われる陸軍演習を視察する明治天皇の行在所(仮の御所)となり、往路の11月9日と、復路の11月15日に宿泊。>

天皇が泊まられたとはすごいことではないか(それだけで感動だった)。

歴史的長府毛利邸を出て、功山寺というお寺に行った。



毛利家ゆかりのお寺のようで大きな山門が出迎える。
乃木希典(大将)や狩野芳(画家)、高杉晋作(銅像があった)のゆかりあるところのようだ。
お寺を出ていったん駐車場に戻り、クルマで長府庭園に向かった。
園の一番奥に滝があり、その水が流れ池を作る、そのような庭園だった。
今一番のアジサイが所々に咲く。
池の淵に大きなハスを見つける。



孫文から送られた蓮で中国古来の品種のようで貴重なものだろう。

長府を後にして関門トンネルを抜け帰路につく。
関門は昔から交通の要所のようで、歴史的にいろいろな人物が集まるところだ。
菅原道真も長府にゆかり(菅原の井戸)があったようで、この地には二度と帰らない、といった言葉を残したという。
壇ノ浦の戦い以前からの歴史があり、幕末の長州藩の歴史を持つ町だ。

ちゅんちゅん食堂

2020-07-03 21:46:44 | 食事
ちょっと遠出して下関まで行くことになる。
朝は遅めだったので自宅を出たのが10時過ぎだった。
国道3号線を黒崎あたりだったろうか、家人に
「昼飯はどうしようか?」
私の頭の中には、小倉名物の<ぬかみそ炊き><焼うどん>があり、魚町銀天街か旦過市場(たんがいちば)だな。
門司港の焼きカレーも良い。
いっそ関門トンネルをくぐって唐戸市場の寿司でも良いかなと思っていたわけだ。
家人がスマホを手に取り店を見つけたようだ。
さっそくナビに情報を入れるとナビにも情報があったようでセットしていた。
国道を離れ、都市高速の高架下をアンダーパスなど入りこんだ道をナビが案内する。
リバーウォーク近くの高層ビルが見えるので小倉駅からはそんなに遠くないところのようだ。
工場地帯のようで工場が立ち並ぶ道を進むと目的の店に到着。
どでかい看板には<すずめの涙のちゅんちゅん食堂>と書いてあった。
何にも事前調査もなく、ただネットとナビに導かれ来た店だ。
入ってみるとなかなかきれいな店内で、正午半近くだったけど結構お客さんが入っていた。
席に着きメニューを見てびっくり。



豊富なメニューがすべて500円(税抜き)、迷いに迷ったが、メニューの一番上にあった「中華丼定食」にした。
大盛100円とかナポリタンなどは麺2,3倍無料、ハンバーグなどWバーグプラス250円などとなっている。
家人は「イカげそカツ定食」を頼む。
まあ今に時代に500円で定食が食える店はないなあ、と思っていると、次から次へとお客が入ってくる。
皆さん慣れているようで
「牛カルビWの大盛で」
などと慣れた注文をしている。



中華丼はいわゆる中華屋で食う中華丼とはちょっと違うが、何か懐かしい味だった。



家人の「イカげそカツ定食」のカツはなかなかなモノだった。
安くてうまい店と言ったところだが、ホントにワンコインでやっていけるのだろうか。
いやいや旨ければやはり大盛やWという選択になる。
我が家の近くにもこういった店が一軒でもあればと思う。

アクロス福岡で思う事

2020-07-02 23:00:32 | 日記ふう
何か聴きたいコンサートはないかとアクロス付近に貼ってあるイベント広告を見る。
目が飛び出るほどのコンサートは無理にしても、手ごろで聴きたいクラシックを探してる。
シーンと静まった開演前のあの雰囲気、そして始まるストリングの美しい音色。
音楽は生が一番といわれる瞬間だ。
あまり良い席は金銭的に取れないが、それでもコンサートの雰囲気と感動は生で聴かないと感じられない。
いくら良い高級なオーディオを揃えてもかなわないわけだ。
年齢的にクラシックとジャズに傾倒しているが、若い人たちのJ-POPのコンサートに思う気持ちは同じだろう。



アクロス福岡での演奏会は、ほとんどの公演が延期や中止になっている。
クラシックなどほとんど観客は無言の世界で、演奏終了時の「ブラボー!」くらいの歓喜の声であとは拍手の渦だけだ。
せっかくアクロス福岡のコンサートホールも無用の空間になっていて悔しい限りだ。
そういえば美術館の方も一時期はすべて閉鎖され、今では一部が公開されているようだ。
中州JAZZも今年は中止だ。
なんでも自粛で良いものなのか、逆にこんな時ほど必要ではないのか?
ニュースや特番でオーケストラのコロナ問題での現況が報道されていた。
ことなかれ主義の雰囲気だけが先行していて、どうすればコンサートが出来るのか真剣に考えて欲しい。

先日次のような報道が出ていた。

「劇団四季は29日、福岡市博多区のキャナルシティ劇場で続けてきた長期公演を、2022年5月末までに終了すると発表した。
専用劇場として使用してきたキャナルシティ劇場が所有者(福岡地所)の意向で契約延長が実現しなかった。」

コロナの影響もあるのだろうが、やはりビジネスが優先するようだ。
博多座も今どうなっているのか知らないが、福岡の街から文化的存在が無くなって行く。

散歩の寄り道

2020-07-01 20:50:47 | 日記ふう
いよいよ7月、今年も折り返し点という事だ。
新型コロナの問題が発生しなければ、今頃はオリンピックの話題で盛り上がっていただろう。
何もかもが一変してしまったような半年だったような気がする。
しかし新型コロナ渦の状態は今でも継続しているわけで、後半の半年間も気が抜けない状態が続くことは予想される。
テレビをつけても雑誌(月刊誌)も新型コロナの事ばかりで嫌気がさしてくる。
だから自然とテレビは見ない(とはいってもニュースや連続・・・以外は)し雑誌も買わない。
何をしているかといえば情けないことだが散歩だ。
それも一度自宅を離れると、2,3時間(いやいや4,5時間の時も)だ。
家人とも散歩をしながら良く会話をするようになった。

自然の少ない街中で、公園の草花を楽しみに、ふらりと見つけた店で昼食をという事も多くなってきた。
昼間はそういう事でふらついているので結構一日が短く感じる。
読みかけの本や録画しているドラマや映画もかなり溜まってきている。
雨の日などのためにと思っているが、今年の梅雨は雨が降らないので録画は溜まる一方だ。
一日の中でテレビを見るのは夜10時過ぎくらいからで、面白い映画の場合など日をまたいだりしていて、近ごろ夜型の生活になりつつある。
民放の番組などCMの時間が多いのにはびっくりしている。
特に番組の後半になればかなりのCMを入れてくる。



まあそんなことは良いとして、いまは家人がケーブルテレビからひろった「孤独のグルメ」という番組を夜中に見ている。
独身の男性(松重 豊)が店(食堂)を見つけそこに入り料理をうまそうに食う、というだけの番組なのだが面白い。
夜中に布団の中で見ているわけで「腹減ったね」が「お休み」の挨拶になる。
そのまま幸せな気分で熟睡となる。
夜型生活も良いのかも(良くないなぁ)

表題 博多川端どさんこ    博多皿うどん
   おふくろ食堂はまゆう(道の駅むなかた) 鯛とブリの丼