たまにはカメラを持って夜のドライブに出ることもある。
昼間の散歩で天神や博多駅周辺をウロウロしているがこれといった絵が見えない。
どちらを見てもビルの風景しかない。
<ビルを写せば>
と言うが
<建築写真家じゃないのだから>
と一応写真家のような事を口走っている。
歩き回り、都会の生活感あふれる風景や、夕暮れの博多駅のホームの風景なども良いのかなと思う。
幼いころ両親に連れて行ってもらった東京や大阪などの都会の風景というのかな、心の底に目に沁みついている絵(雰囲気)がおぼろげにある。
それを撮りたいと思っているが、なかなかそんな光景は見当たらない。
都会のレトロな雰囲気も少しは残っているようでそれも良いのかも知れない。
旅行で行った旅先の雰囲気はその感情みたいなもので、その時はある程度の興奮状態で撮ってはみても、家に帰りパソコンで開いてみると、なんだこれはというものが多い。
そこいらが難しいところなのだろう。
心の感情が絵の中に描けるようになるにはやっぱり才能が必要のようだ。
ピュアな心と好奇心は持っておかなくては写真を撮る意味はない。
カメラを持つということはそういうことだと思っている。
一眼レフであれコンデジであれ、ケータイでもいいのだ。
自分の心の中にある風景を求めて山でも街中でも歩き回る。
もう少しましな写真が撮れるように歩き回ってみよう。
左脚の痛みに堪えながらだが・・・。
昼間の散歩で天神や博多駅周辺をウロウロしているがこれといった絵が見えない。
どちらを見てもビルの風景しかない。
<ビルを写せば>
と言うが
<建築写真家じゃないのだから>
と一応写真家のような事を口走っている。
歩き回り、都会の生活感あふれる風景や、夕暮れの博多駅のホームの風景なども良いのかなと思う。
幼いころ両親に連れて行ってもらった東京や大阪などの都会の風景というのかな、心の底に目に沁みついている絵(雰囲気)がおぼろげにある。
それを撮りたいと思っているが、なかなかそんな光景は見当たらない。
都会のレトロな雰囲気も少しは残っているようでそれも良いのかも知れない。
旅行で行った旅先の雰囲気はその感情みたいなもので、その時はある程度の興奮状態で撮ってはみても、家に帰りパソコンで開いてみると、なんだこれはというものが多い。
そこいらが難しいところなのだろう。
心の感情が絵の中に描けるようになるにはやっぱり才能が必要のようだ。
ピュアな心と好奇心は持っておかなくては写真を撮る意味はない。
カメラを持つということはそういうことだと思っている。
一眼レフであれコンデジであれ、ケータイでもいいのだ。
自分の心の中にある風景を求めて山でも街中でも歩き回る。
もう少しましな写真が撮れるように歩き回ってみよう。
左脚の痛みに堪えながらだが・・・。