15日は十八成浜は雨の予想でした。
雨だと活動が縮小されるので
心配していましたが、活動をやり始めると曇りに・・・
帰る時には晴れ間まで・・・
実は6月から十八成で活動していますが
ほぼ雨が降ったことはありませんでした。
愛知ボラセンは天気にも好かれ、十八成の方々にも好かれて、
十八成に帰るといい事だらけです。
さて活動報告します。
今週の瓦礫撤去班の作業は手応えがりました。
今回の活動はブロックの塀を壊すこと。
意外にも皆で押せば倒れてしまいました。
横からの写真です。
最初はかなりの時間がかかると思いましたが、16名のボランティアさんの力は「さすがでした」
数時間でブロック塀がなくなりました。
(トラックの後ろにいる子が現地のアイドル ゆうき君です。初めて一緒に作業しました。
作業頑張ったからか、「ジャンバーが破れちゃったよ~」と言いながら笑っていました)
ゆうき君と遊ぶ料理長です。可愛い笑顔です。
ここからは料理長のお仕事場を紹介します。
今回からは今まで以上に衛生面に気をつけようと
手洗いはっしかりと
まな板には何度も消毒を
ゴミの分別は徹底的に
くぐなり食堂班の一致団結で
今回は170食分の料理を時間までには準備できました。
あみえびの炊き込みご飯
コーンと卵の中華風スープ
キャベツのゆかり和え
毎週愛知ボラセンのくぐなり食堂を楽しみに集まってきてくれる
十八成の皆様です
(今回からノレンが登場。2代目料理長が作ってくれました。
2代目料理長共々、邦子さんや十八成の皆様も気にって頂けるか気になる所でしたが、
邦子さんは大喜び。邦子さんの呼びかけでノレンをバックに写真を撮りました)
皆さん、「今回もおいしい」「来週も楽しみ」と二言。
嬉しい限りです。
最後に恒例の集合写真
毎回、邦子さんや恭一さん、美奈子さん、のりこさん、ゆうき君、川端さんの笑顔が
素敵になってきています。
この笑顔に支えられている愛知ボラセンです。
今週も45名で帰りまーーす。
愛知ボランティアセンター
久世義晃
雨だと活動が縮小されるので
心配していましたが、活動をやり始めると曇りに・・・
帰る時には晴れ間まで・・・
実は6月から十八成で活動していますが
ほぼ雨が降ったことはありませんでした。
愛知ボラセンは天気にも好かれ、十八成の方々にも好かれて、
十八成に帰るといい事だらけです。
さて活動報告します。
今週の瓦礫撤去班の作業は手応えがりました。
今回の活動はブロックの塀を壊すこと。
意外にも皆で押せば倒れてしまいました。
横からの写真です。
最初はかなりの時間がかかると思いましたが、16名のボランティアさんの力は「さすがでした」
数時間でブロック塀がなくなりました。
(トラックの後ろにいる子が現地のアイドル ゆうき君です。初めて一緒に作業しました。
作業頑張ったからか、「ジャンバーが破れちゃったよ~」と言いながら笑っていました)
ゆうき君と遊ぶ料理長です。可愛い笑顔です。
ここからは料理長のお仕事場を紹介します。
今回からは今まで以上に衛生面に気をつけようと
手洗いはっしかりと
まな板には何度も消毒を
ゴミの分別は徹底的に
くぐなり食堂班の一致団結で
今回は170食分の料理を時間までには準備できました。
あみえびの炊き込みご飯
コーンと卵の中華風スープ
キャベツのゆかり和え
毎週愛知ボラセンのくぐなり食堂を楽しみに集まってきてくれる
十八成の皆様です
(今回からノレンが登場。2代目料理長が作ってくれました。
2代目料理長共々、邦子さんや十八成の皆様も気にって頂けるか気になる所でしたが、
邦子さんは大喜び。邦子さんの呼びかけでノレンをバックに写真を撮りました)
皆さん、「今回もおいしい」「来週も楽しみ」と二言。
嬉しい限りです。
最後に恒例の集合写真
毎回、邦子さんや恭一さん、美奈子さん、のりこさん、ゆうき君、川端さんの笑顔が
素敵になってきています。
この笑顔に支えられている愛知ボラセンです。
今週も45名で帰りまーーす。
愛知ボランティアセンター
久世義晃
行くたび、元気を頂いてます。
(* ̄m ̄)プッ
11月から、定員に満たなければ催行中止となる現地ボランティア。
それだけは絶対に避けたいですね。
仮設住宅の慰問に変わってからも、自分が瓦礫撤去同様に、現地ボランティアを続けているのは、邦子さんが常々仰っている「瓦礫撤去も大切だけどそれだけがボランティアではない」という言葉、自分自身もずっとそう思ってきたからです。
メディアでは瓦礫撤去がかなり進んで、それで「綺麗に片付いて終わり」みたいな雰囲気になっていますし、もうボランティアは必要ないという感じになってきていますが、そこに誰かの手を必要としている人がいる限りは、どんな形にしろボランティアって必要だと思います。
どんどん時間が経てば、もうボランティアに参加しても遅いとか、今さらとか言う人も増えてきて参加意識が薄れていきますが、だんだん時間が経ち、状況が変わるなかで、その状況に応じて新しい要望が出てきて、それに答えるボランティアも必要になってくると思います。
半年後には半年後の、1年後には1年後の新しいボランティアの形が生まれてきて、それに対応する必要が出てくるのではないでしょうか?
「くぐなり食堂」は、その要望から生まれた新しいひとつの形なんだと思います。
今、「くぐなり食堂」の継続が止まれば、これから生まれてくる新しいボランティアにも気付かずに終わってしまう気がします。
今、「くぐなり食堂」を必要としている方々の思いとか、気持ちを後退させてしまうと思います。
十八成浜の方々が愛知ボラセンを必要としているように、愛知ボラセンに参加した方々も十八成浜を必要としている方が沢山いらっしゃるのではないでしょうか?
決して絶えることがないように、継続して活動を続けて行きたいですね。
いつか、十八成浜の方々が愛知ボラセンに「今までありがとう、これからは自分達で出来るから、もうボランティアに来なくても大丈夫だよ」と笑顔で言っていただけるときまで。
あっ、でもボランティアには行かなくなっても遊びには行きますから~(^^)
笑顔の可愛い・・・福島さんは、地元の9才(はなちゃんと同年齢です)の少年、優輝とはもう、大親友です。優輝がぽつりと言いました。『邦子さん、僕、福島さんと遊べなかったら、死んじゃう』 ある意味で地元の名物男のタケサンがぽつりと言いました。「久世さんは俺の友達だ」・・・。私は久田ボスからは、多くのことを学べると思っています。
スポークスマンとして、リーダーとして、多くのボランティアの方々と情報を交換してきて、そこまで被災者に思われているボランティアは、私の知る限りではいないと断言できます。
正直、参加料まで支払って、たとえば 食堂開店のためだけに、50人弱の人たちは、集まってくれるだろうかとの思いはあります。スポークスマンだったからこそ、その危惧は生じます。でも改めて。ボランティアは決して、がれき撤去だけのものではありません。被災者の心に添い、ニーズに応える、それこそが、ボランティアだと私は思っています。
くぐなり食堂は、回を重ねるごとに、来店者が増えています。久世さんが持ってきてくださったのれんを見て、嬉しくてたまらなくなって、その時、談話室に集まってくれていた人たちに、写真を撮ろうよと言ったら、ご飯を食べかけていた年配の方々が、よっこらしょと立ち上がってくれました。その中には、初めて来てくれた人達も多々いらして、満面の笑顔で写ってくれました。そして、写真映像後も続々と、お客は来店してくれました。他に、家族の世話をしなきゃない、足が悪い、用が出来た、通院しなきゃ、仕事があって参加できない・・・という人たちも多いのですが、みんな。恐る恐る『お弁当、私ももらっていいのかな』と言ってくれています。
それは決して、『慾』での言葉ではない。みんな、自分を忘れてはほしくないのです。
私も、愛知ボラセンに忘れられる・・・、つまり、いらしてくれなくなるのが怖い。忘れられるのが、怖い。なぜなら。
みんな、仮設住宅に入った私たちに、『良かったね』とか、『落ち着けたね』と言います。私は大きくかぶりをふります。なぜなら。
避難所にいたときは、山ほどの不自由さと不安はありましたが、仮設住宅に入るという、次のステップがありました。なのに。
仮設住宅に入ってしまったら、もう、あとがないのです。2年後、うまくいっても4年後には、自分が今後をどう生きるべきかを、決めなければならないのです。
多くの人が、家を流されました。つまりは、今まで住んでいた土地は、おそらく危険地域として、そこへの再建は無理でしょう。
けれど十八成の人たちの多くは、ここにとどまりたいのです。土地がなくなった。かと言って年齢的に、新しい土地に行って生きなおすのは難しく、さりとて土地はもうない。
わかっていただきたい。今こそ私たちには、心のケアが必要なのです。
避難所生活のときよりも、もしかして切実かもしれません。
私は昔から、「邦はどんなことがあっても、自分らしく生きてくれる」と言われてきました。今度のときも、友人のすべてが、「邦は、生きてさえいれば、その環境の中で、きっと輝いていてくれる」、そう信じていたと、言ってくれました。
いらしてくれるボランティアの方々も、多くの方が、邦子さんから逆に勇気を、元気を、笑顔をもらえたと言ってくれます。
自分では、鼻の頭をポリポリかいて、「え~、そうなの~」なのですが。
そんな私が、内心では、愛ボラが来てくれなくなったら、世間から忘れられたと思いそうな気がします。
結べたと信じられた絆が、断ち切られるのが怖いのだと思います。
実際は、絆というのは、心と心の結びつきであって、実際に会えなくても、心に残りあえればいいのですが。
ただ、無理はしてほしくないので、今後は、月に一度でも そうは思っていますが。
がれき撤去ではなくても、自分探しにいらしてほしい。つまりはそういうことです。
気づいてくれてる方はどれだけいるかな、
私も『立派に』ボランティアしているんですよ~。 一応はプロの作家、その私がコメントを書くってことは、ボランティア以外の何物でもない。
今度、私の新聞連載記事が、ホームページに掲載されます。それもボランティアです。
こういう状況のとき、自分には何ができるだろう。そう思ってくれることこそが、ボランティアの第一歩だと思うのです。
私には、文章を提供することしかできないので、自分にできる精いっぱいのことをさせていただいています。
皆さんにもここでもう一度、自分には何ができるかなと、考えていただきたいです。
食堂をもっと充実させたい、も嬉しいし、久田ボスに、『***はいかがでしょう?』との提案が出たら最高ですね!
愛ボラには心があります。その、心とは何だろう?それを知るためにも、愛ボラの魅力ってなんだろう?その魅力を得るためにも、お待ちいたしております。
福島さん『私たちはもう大丈夫だから、もう来なくていいから」なんて言わないよ~だ。それを言うのは・・・、仮設住宅を出たとき、かな。マッチ箱のような家でも、市営住宅でも、本当の意味で『我が家』に移れた時は、どうか個人としてお泊りにいらしてください。『泊りに来てね』と言える関係を、仮設住宅にいる間に、作り上げていきませんか。
今回も大成功で何より。
食堂班の皆さんもお疲れ様でした。
くぐなり食堂の活動は、本当に貴重な物だと思っています。
新しい形。でも、心ふれあう素晴らしい物。
回を重ねる報告を聞く度、その場に入らした方を微笑ましくも
羨ましくも、かならず帰るどーと言う気持ちになって来ます。
----
邦子さん。
のれん気に入って頂けて嬉しいです。
私が担当させて頂いた時の食堂班の方の一言がきっかけで、思い立ったら即行動。
無鉄砲・ボラセン スタッフさん泣かせで、
勝手に作っちゃた第?目の物です。
第一回くぐなり食堂で、福島総料理長と一緒に作業させて頂いた娘のアクリル絵の具を拝借し、名古屋ボラセンに引っ張り出した嫁さんにミシンを頼み書き付けを、私で作っちゃいました。
始め、文字の色は「白」を考えていましたが、
私が担当させて頂いた時の十八成浜の優しいオレンジの夕日を思い出して、薄くオレンジ色にしてみました。他の文字のオレンジ色もその色の一部を、イメージしています。
きれいな夕日は、明日晴れる日を約束してくれる。きっと、十八成浜にも新しい明日を連れてきてくれると、信じています。
邦子さんが言われる「来て頂けるかしら」
いえいえ、むしろ「また、元気貰いに帰ってもいいですか?」
また、帰ったら横で写真撮らせて下さいね。
『笑顔の可愛い』と『福島さんは』の間にある「・・・」の意味は、とっても気になりますので、今度お会いした時に、その意味をじーっくりと聞きたいと思います^^
夕べ、優輝からメールが来て、おばあちゃんが退院したと報告を受けました。嬉しかったみたいですね。私も安心しました。
Hataさんへ
出張お疲れ様です。
次回の料理長としては、いつ登板予定ですか??
今回も皆様の協力のおかげで、うまくできました。
*******************************************
10月15日発の現ボラに参加された皆様へ
ブログにある集合写真のデータが欲しい方は
下記のアドレスまで、お名前と、できるだけフリーアドレスを記載して、ご連絡ください。
フリーアドレスをお持ちでない方は、yahooやhotmailなどで簡単に作成できます。
できれば今月中には必ずデータ便で、写真をそのままの容量で送ります。
約10MBほどあります。プリントするにはできるだけ高画質のほうがいいと思いますので、加工しないで送りますので。
下記のアドレスは、今回の写真受付と発送専用のフリーアドレスです。
11月末で削除しますので、ご了承ください。
aichi_vc28photo@yahoo.co.jp
めちゃくちゃ美味いです!
玉露名人やピーカンナッツチョコ最高です。
通販専門ですが、唯一『 阪急三番街南館地下2階 エスカレーター横 』でのみ直販店を持っています。
あとはイベントなどの催事で出店するのみです。
買ったら送ってください!
http://www.s-royal.com/
地元の優輝が、初めて現場に出た記念すべき一枚です。私は彼が 被災地に駆けつけてくれるように育ってほしいです。本心は、もう誰にも 私たちのような思いをさせたくない、ですが。小学生まで参加するボランティアって 一体・・・
★福嶋さま。
笑顔、真の優しさが出ている 良い笑顔ですよ。時折 HP開いていますが、『45名に達しなければ 中止となります』って言葉が 目と心に痛いです。やっぱり がれきの仕事がなければ 応募する人はいないかも?ってことなんでしょうか。人数不足なら 私も応募者に??焦ってるわけじゃなくて 何しろ好奇心が強いんで、バスで行ってみたいな。一週間 ビジネスホテルに泊まって 次週またバスで帰ってくる~~
★Hataさま。
のれんを本当に ありがとう。そういう感性、大好きです。『これからもやるからねっ』のメッセージも確かに受け取りました。(だよね!?) 物欲しげに見られるのが大嫌いな私なんですけど 素直に生きたいとは思っています。
★福嶋さま。
私は山田涼子ちゃんではないけど チョコレートは それもめちゃおいしいってな チョコレートは大好きなんで 一粒ぐらいは食べさせて米~~
★そういえば 今日 お引っ越しでしたね。 たくさんの思い出の品を持って行けるなら どこに行こうと自分らしく生きられますよ。
★私は今 生まれたばかりの気持ちです。震災前の私より 大きくなれなきゃ生まれ変わった意味がないよね。久田ボスに『邦ちゃん、今の状態を楽しんでいるでしょ」って言われました。ボス以外に言われたら「なんだてめぇ もう一回 言って見やがれ」・・・だったかもしれないけど、ボスにはにやりと笑って「あれぇ?ばれちゃったぁ?」って言っていました。好奇心ばんざい!想像力ばんざい!信念ばんざい!
8月まで参加していた瓦礫撤去の中で聞いた声で、確かに『9月以降の参加は難しい…』という声は聞きました。
それは単に「がれき撤去でなければ、ボランティアじゃない」とか、「がれき撤去をやりたいだけ」という意味じゃないんですね。
十八成浜の皆さんと向き合って、何を話したらいいのかわからない。という意見というか思いが多かったのです。
それって、凄く優しい人達だなって思いました。
人のことを思いやれるからこそ、自分が何をしていいのかわからなくて、尻込みしてしまうんですよね…
優しい気持ちの人達がたくさんいます。
でもそれだけじゃなくて、9月以降も、初参加の方はまだまだいます。
がれき撤去をやっていた参加者の中で、9月以降の活動こそ、やりたいことだから、引き続き参加するといっていた人も沢山いて、実際に今も参加しています。
少しずつ状況が変化していくなかで、11月以降、定員割れをしたら催行中止という決断は、久田代表も久世さんも、愛知ボラセンも本意ではなく、苦渋の決断だったと思いますし、これからも参加してくれる人は沢山いて、きっと催行できるはず。と信じてもいるのだと思います。
それぞれの立場で出来ることをする
その考えのなかで、私自身は自らの枠を決めたくないから、がれき撤去も、今のくぐなり食堂も、抵抗も違和感もなくやっています。むしろ楽しんで。
自分の枠が小さいなら広げちゃえばいいじゃんと思っています。ぐいぐいと。
だから、
人の手で瓦礫撤去をする大切さも、くぐなり食堂という形での繋がりも学ぶことができて、
次は人の手だけでは、どうしようもない状況での作業に対応したくて、重機を扱うために29・30日と3トン未満ですが、小型車両系建設機械の操縦資格を取りに行きました。
油圧ショベルや、ミニホイールローダーなどを扱います。
来年はもう少し枠広げる計画中です!
邦子さんが夜行バスで名古屋に来るなら、Welcomeです!
実現したら面白いなあ~
あとチョコレート好きなのは、前回に十八成浜に帰ったときによくわかったので、美味しいチョコレートを鼻血が出るくらい大量に、今回限りの特別ルートで、すでに仕入れ済みですよ(= ̄▽ ̄=)V
持っていく前に自分が食べないように抑えるのが辛くて…
あとHPで邦子さんから、「書くことが苦にならない?伝えたい思いが強い?」と質問がありましたが…
こんなこと書くと、ボラセンで私のことを知っていただいてる方々は信じないと思いますが、私は話すのは得意ではありません。
ちなみに文章を書くのも苦手です。
苦にはなりませんが…
でも、声や文章に出さないと、伝わらないことのほうが圧倒的に多いですね。
だから、伝えるように努力しています。
伝えたい思いの強さは、きっと私と同じくらいか、それ以上に気持ちが強い方は沢山いると思います。
それを出すか、出さないか、ただそれだけの違いだと思います。
『ただ、それだけ』が難しいと言われるかもしれませんが、今、伝えなければ二度と伝えることはできないと思えば、できるかなって…
そんなふうに考えていますよ。