特定非営利活動法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター 公式ブログ

2011年3月17日設立。孤児遺児応援活動、被災地ボランティア活動等、現在進行形で被災者応援活動を行っています。

言えなかった言葉「ありがとう」 後藤前区長さんへ

2012年09月19日 08時58分10秒 | [東日本大震災]宮城県牡鹿半島十八成ボランティア

みなさん こんにちは。愛知ボラセンの久世です。

後藤前区長さんの訃報を聞き、火葬-お通夜-葬式と参列させて頂きました。(牡鹿では、お通夜の前に火葬にするのが一般的だそうです)

後藤前区長さんが調子を悪くし、入院されている事を聞いていたので、16日(日)の午前中は石巻にいる予定でしたので、、前区長さんの元気な顔を見に、お見舞いに行こうと思っていたのですが、その思いが届くことなく亡くなられてしまいました。

長文・乱文ですが、1年3ヶ月本当にお世話になった後藤前区長さんへの伝えられなかった「感謝」の気持ちを書かせて頂きます。なお、後藤前区長さんは、私の中では「区長」さんです。以下の文章では「区長」さんとして書かせて頂きます。及川現区長さん、ご理解ください。


2011年
5月から牡鹿半島の約30の避難所へ応援物資を持って回っていました。
十八成に初めて入った時に、丁寧に震災の様子を話してくださったのが後藤区長さんでした。
それから、私と区長さんの関係が始まりました。

2011年6月11日
高校生の焼きそばの炊き出しが大幅に遅れてしまい、十八成の皆さんにお昼に提供ができずにいたところ、区長さんが終わりがけに、「気にしなくていいから。やきそば美味しかったぞ」と、一言笑顔で言ってくださいました。その時の笑顔、忘れません。

2011年6月25日
初めての瓦礫撤去。休憩ごとに「ありがとうね。綺麗になたっちゃー」と何度も、区長さんからお礼を言われました。そして、作業が終わりバスに乗ろうとした時「久世さんはいるか?」(十八成の方に初めて、私の名前を呼んでくださったのも区長さんでした)
「はい」と、バスから降りて行くと、目を赤くして帽子を取って握手しながら、
「久世さんのお陰だ。こんな綺麗になった。ありがとう」と言ってくださいました。

2011年7月~8月
畑や道路などで瓦礫撤去をしていると、憩いの家(元避難所)から、私たちの作業を見ていてくださっていて、「久世さん、久世さん」と呼ばれて、区長さんのところへ行くと、「いいから、お茶っ子して、休憩していきなさい」、「暑いから疲れるでしょ」といつも笑顔で声をかけてくださいました。そして、冷蔵庫から色々な物を出してくださいました。いつも私を心配をしてくださった区長さん。

朝のミーティングでは、必ず「先週のボランティアさんはよくやってくれた」と褒め、帰りのミーティングでは「今週のボランティアさんもすごい。綺麗になった。皆さんのお陰だ」と必ずボランティアさんを褒めてくださいました。

区長さんと、次週の活動場所を見に車で行きました。憩いの家に戻り、帰りのミーティングを行おうとすると、区長さんが「久世さん帽子忘れた。家見てくっから」と。私は「帽子は後で一緒に探しましょう」と言いましたが、区長さんは家へ。帽子は車に忘れてあったので、「ありましたよ」と言うと、とても喜んでいらっしゃいました。後から邦子さんに「どうして区長が帽子取りに行ったか分かるか?区長いつも帽子取って挨拶するでしょ。それが区長の愛知ボラセンへの最大のお礼の気持ちなんだよ」と教えて頂きました。区長さんは本当に愛知ボランティアセンターを大切にしてくださっていました。

淀川沿いの道路を作るとき、真っ先に行政と掛け合い、業者から土を確保されました。区長さんと一緒に土を取りに行った時、「久世さん。何で業者が協力してくれると思う?それはな、俺が役場にいる時地元業者を大事にした。石巻の業者より。そして今の役場の人も若い頃は本当に大事にした」、「地震の時に、昔の恩が十八成のために返ってきてるんだなー、嬉しいよ」とおっしゃっていました。

2011年9月からの「くぐなり食堂」、「こころ配り」に際して
朝のミーティングでは、食堂班・こころくばり班を労らってくださいました。ただ、労いのい中にもユーモアがありました。、それでも、初めての料理長にとってはプレッシャーを感じることもおっしゃいます。「先週は大変美味しかった。今週も期待している」と。邦子さんが、「先週もでしょー、美味しかったのは」とまぜっかえすと、笑いがおきます。そこでいつもプレッッシャーが和らぐ瞬間でした。
もしかして区長さんは計算済み?笑

朝のミーティング後、必ず「久世さんは今日忙しいか?」と尋ねられ、「いろいろ回らないと」と言うと、「いっからうちんへきなさい。待ってるから」とおっしゃってくださいました。鯨が入った時は「昨日、鯨入ったから必ずきなさいよ」と。
昼になると、家の前で私を探して、おいで、おいでのジェスチャーを。代表がいる時は「先生と一緒にきなさいよ」と言ってくださって、豪華な鯨料理をご馳走になったこともありました。こころ配り班の人も、鯨を食べさせていただいたこともありました。

「憩いの家は元々は行政の持ち物で、借りたり施設を使うのに、本来ならお金がかかる。だけど、愛知ボラセンが自由に使っていい。行政から何か言ってきたら、俺が跳ね返すから。十八成の為にやってくれているボランティアさんからお金なんか取れるか」とおっしゃって全面的な区長さんのバックアップでくぐなり食堂が出来ることになりました。

「久世さん。一番辛い時に愛知ボランティアが来てくれた。だから、ボランティアさんにお茶や鯨を出すことになんのためらいもないんだよ。久世さんも毎回来たらいいちゃー」

いつも優しい目で、私たちを見てくださっていた区長さんでした。

2012年2月 豊田市立前林中学校のリコーダー演奏で。
「久世さん。立派な中学生だな。あのリコーダー練習大変だっちゃー」、私は「十八成で弾きたいと練習してきたみたいですよ」。「嬉しいな。また来た時は聞けるのかな?」と大変楽しみにしていらっしゃいました。
もう、その音色が直接聞いていただけないと思うと寂しいです。でも、前林中学生は10月に十八成に帰り、天国の区長さんにも届くように、一生懸命にリコーダーの練習しているそうです。
楽しみにしていて下さいね。

2012年3月
3月11日に東別院で開催した「エール1st」にお越し頂くことになっていました。しかし、体調を崩され、名古屋へ来られなくなりました。それまでは「久世さん名古屋は何十年前に行ったことがある。今はどんな風に変わっているか楽しみだ」と本当に楽しみにされていました。
十八成から名古屋まで走った「チームすずRUN」は区長さんが入院されている病院の前を走りました。偶然でした。区長さんは病院の窓から、ランナーにおもいっきり手を振ってくださいました。区長さんは泣きながら手を振っていらっしゃった、と後から聞きました。

5月に区長の職を交代された後も、「久世さん。いいからうちきなさい」と声をかけて頂きました。私が活動で迷っているのを感じると、「久世さんがやりたいようにやればいいさ。自由に。十八成で。どんな時も力なるから」と笑顔でおっしゃってくださいました。

どんなに体調が悪く横になってても、私が行くと起き上がって、「待ってたよ」と笑顔で応えてくださいました。

「高台移転したら、この家より広くなっから、久世さんもうちに泊まったらいいちゃ」と、高台移転を待ちわびていらっしゃっいました。

最後に会ったのは8月の終わり
「来週あたり、鯨が入るから必ずきなさいよ。ご馳走するから」と。また会えると思い「はい。じゃまた来週」と話したのが最後でした。一番の後悔は一度も区長さんに対して、心から「今までありがとうございました」と言えなかったことです。まだまだお元気で、いつでも会えるからと思っていましたから。

いつも私の背中を押してくださった区長さん。
そんな私は区長さんの為に何が出来たのだろうか。
自問自答し、涙を流しながらこの文章を打っています。
何もできていなかった・・・
悔しい・・・涙

区長さんが入院された時にお見舞いに行くべきでした。

「おらほのうちきなさい」と言われた時、忙しさを理由に行かなかった事も何度もありました。行くべきでした。

もっと日頃から「ありがとうございます」と言うべきでした。

未熟な私です。
本当にお世話になった区長さんが泣くなり、自分が十八成に行く意味を見失った気がてしまいました。
葬式の時「お父さんは久世さんが来る事を喜んでましたよ。ありがとうございました」と、ご遺族の方に言っていただきました。そして、「しっかりやろう」と心に誓いました。
活動を疎かにすると、区長さんから「しっかりやれよー久世さん」と言われそうで、天国から「疲れたらいつでもお茶ちゃこ飲みにきなさいよ」と言ってくださるまで頑張ります。

また区長さんとお茶っこできるのを楽しみに、十八成に帰ります。

愛知ボランティアセンターを大変な時も辛い時も今まで通り見守っていて下さい。
そして私が怠けていたら、「しっかりやれよー」と怒ってください。
また「お茶っこきなさい」と誘って下さい。
その声を聞きに十八成へ帰ります

言えなかった言葉。文章になりましたが
「今までありがとうございました。ゆっくりお休み下さい」

合掌

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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-09-19 14:32:08
素晴らしいお話をありがとう。
大事な人ほどすぐそばにいる
そんな気持ちでこれからも頑張ってください。
Unknown (阿部邦子)
2012-09-19 20:03:29
★本当に、久世さんは可愛がられていましたものね。
私が正信さんから聞いていたこと。
①「久世君はたいしたもんだ。久世君が愛知ボランティアの事務局長だからこそ、十八成とのかかわりが深くなったと俺は思っている。・・・・・「そうだよね」と言っておきました♪
②「久世君は、来るたびにウチに顔を出してくれて、ありがたい」・・・・・「珍しいものいっぱいご馳走になるって 喜んでますよ」って言いました♪♪
③「久世さんのお嫁さんを早く見たいんだけど、早く連れて来いって言うと、笑ってごまかす」・・・・・「お嫁さん、紹介してあげて」と申しました♪
★お見舞いに行かなかった、ありがとうと言えなかった   心残りがいっぱいなんですね。 それはきっと正信さんが、身をもって久世さんに教えてあげたのだと思います。
身近にいる大事な人にこそ 日々 感謝の気持ちや感動や好きだよってことを、伝えようね、と。
あなたの周りには、あなたにとって大切な人が、たくさんいてくれる。ご両親、おじいちゃん、愛知ボラセンの、久田ボスをはじめ沢山の仲間たち。
正信さんがいない十八成にはもう、帰る意味がないって
それはちょっと違うと思う。正信さんが愛した十八成を、これからも見て行きますって言ってあげないと、正信さん、悲しみますよ。あなたを「かって」いる、恭一さんだって十八成にいるではありませんか。
人はいつかは死ぬ。だから別れたときに悔やまないように、日々 言葉をかけあおうねという私の持論を やっと本当にわかってくれたのだとしたら これからはもっと 十八成との付き合いが 心地よく 深くなると楽しみにしていますからね。
悲しさ 寂しさを引きずってしまったら 旅立った人を悲しませるだけ。 そこから沢山のことを学んで 大きくなってください。
あなたの成長を 正信さんはあの笑顔で お空から見てくれています
Unknown (chikest)
2012-09-21 17:54:05
久世さんの想いに 涙しました。

阿部邦子さんの
身近にいる大事な人にこそ 日々 感謝の気持ちや感動や好きだよってことを、伝えようね
という言葉。

胸に響きました。
愛知ボラセンではいろんな事を体験させていただき
学ばせていただいてる気がします。

心から感謝します。
Unknown (若葉です。)
2012-09-23 19:39:27
おじいさんに温かいメッセージホントにありがとうございます。
天国で笑って喜んでいると思います。
私もおじいさんが亡くなってから後悔するばかりです。おじいさんが亡くなる前日母からすぐ帰ってくるようにと電話をもらい急いで学校から帰り電車で帰ろうと思ったのですが、一刻も早く会いたかった私はタクシーで行きました。
おじいさんから貰った最後のお小遣いで。
おじいさんから貰ったからおじいさんのために使いたくて使いました。
だからまだ意識がある時に会えたしよかったと思いました。おじいさんが入院してた時の最高の思い出が、毎日学校帰りお見舞いに行ってたとある日いつも通り行くとおじいさんがなにやら看護婦さんと私の話をしていました。
するとわーちゃんゎ私の宝物。
って言ってくれてたんです。その時私は笑っていましたがすごく嬉しくて泣きたい気持ちでした。その日の帰りは1人で泣きながら帰りました(笑)いつも恥ずかしがり屋な私はありがとうや大好きなんて言えずにここまで来てしまいました。もっとあの時ありがとうって言えばよかった。何度後悔したか分かりません。今でも亡くなったことに実感が湧かず、帰り道病院に足を踏んでしまう自分がいます。
葬儀の際たくさんの方々に参列いただいておじいさんは偉大な人なんだな。私たちの誇りそして宝物、最高の家族です。
と思いながら天国へ見送りました。
愛知ボランティアセンターの久田先生はじめ、久世さんやたくさんの方々に温かく見送られたおじいさんは世界一の幸せ者だと思います。本当にありがとうございます。
これからも十八成に帰ってきた際におじいさんに会いに来てくださいね。
皆さんだいすきです。

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