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あげちうのブロマガ

なる様にしか成らない水面を見てる

「大丈夫ですか?」と問われれば、自分も返答には窮する部分はあるのだが。

とは言えまあ、 日常で(/・ω・)/な状態で暮らせているのは、少しは意味があるから、かもしれない。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「お金、大丈夫?」とか、まあなんでか現実の方が重いですわな

 

色々あって、月末はなんか精神が追い込まれる感じになる?瞬間はある。クレジットカードの請求が発行されるのが月末ではある、その辺も影響している、だろうか、来月の10日までにはその金額を用意せねば成らない、訳だが。まあ確かに、問題は無いがしかし「次の給料日まで入金がない」と言うその心理状態は今、少し問題の様な事態、なのかもしれない。

「もうダメだ(*'▽')」と、なんか勝手に奈落に落ちてしまうとダメになってしまう事態はまああるが、成らない人も居る。違う視点では精神の問題とは、”実際の”自分の行動に多大な影響を及ぼす訳で。簡単に言うと”理屈の袋小路”に陥ると、その袋小路の中で絶望しちゃう訳だ、多分そう言うのが、鬱。今月必要な金額は20万円、給与は24万円程度、残る4万円で何が出来る?そう言う状態の中で返答がない時、それは希望に成らない…。

自分の場合と言うか、「価値は生産できる」「価値とはお金の担保である」と言う理解の先で、今のところはまだ、そこまでは至っていない。奈落の中でも、”価値”を生産し続けるのなら、その中は「一つの世界」として安定している、事にさえなる、精神は困窮してない、と言えばそう。減った分は増やせばいいのだ、それが可能な限り、その場は尽きない。

経済学者か何かは苦笑する話かもしれないが、その相手のしている事とは単に相談者を標的として絶望させる事なら?聞く理由はまあ、ない。

「価値さえ生成し続ければ、経済の破綻も無い」この時、個人でも”打開”する術はある、「面白い」漫画とか”そう言うの”を読んだり観たりするのは補充として大事、だが大事なのは「自分が」ではある。現状、メディアがプッシュしているその殆どは「面白いか?」でしかない、既存の主張の繰り返しの中では何処かに「切り捨て」が出てる、それを見てもその場に居る人にとっては精神を追い込むだけ、ではあり。「切り捨てを出さない事は、出来る」今言っている、「80%の就労者が求めるモノを、20%の失業者が作って換金し得るなら、最終的な結論で失業者は出ない」それを足場にするだけでも、感覚は全然違うだろうそして、「失業者は出ない筈なのにリストラが必要ってなんで?」それは、現場の労働者が問われる話ではない。

「自分はやるべき事はやっている」なのに問題が出るのは政府かのシステム、その問題であり、自分の過失には成らない。一応まあ、そう言う感覚で居る限りは、何かの否定に晒される理由それは無い訳だが。

しかしまあ、解っている事は、今の経済学の結論はリストラしかない、事ではある。「増える」と言う概念がどうも最終的に無い、ので。「太陽は永久機関である」と言う理解も、ネットでもそんなに解りやすい説明はない、「核融合を繰り返している」それ以外の説明は聞いた事が無い現実は、実は精神的には深刻さはある。燃料が終わってしまえばおしまいだ、或いは今、自分の財布の中も、その状態かもしれない?

何かの倫理観を蹴り倒した状態が、今の世間だ、というのはまあ、ある。お金が増える、という必需に経済学は返答をどうも用意してない。津波が来たら逃げましょう、それは別に経済学者に言われるまでもない話、ではある。

世の中意外とバカしか居ない、と思っていれば何となく精神は安らぐ、のなら?それでいいのかも。

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