変化はした。
期待されるそれかどうかは解らない。
東京オリンピック、1年程度の延期が決定。新型コロナウイルスの猛威、”それ”を止められない時、その判断は妥当、には成ってしまうだろう、しかし。ウイルスの猛威は相変わらずで、インフルエンザでの死者は激減してても、新型コロナウイルスの死者、”それ”は無視出来ない状況は続いている。
「老人は死んでもしょうがないというのか」
それに関しては不意に、ここにはこんな強力な声があったりはする。
事態は遡る時、「なんでこんな事に?」自分にとってはまず、平成の始まりの際に、「虹色宝珠」その入賞が潰された、と言う事態は大きなキーには成る。推測が正しいならあれをそのまま評価してしまえば「PC88VA」と言う方向性が評価され、DOS/Vの侵攻には大きな障害に成った、と言う事態はあり。が、”それ”が何故行われた?と言うと、その前に天安門事件が有り…その時既に、”何か”が大きく歪められていたから、だ。「評価されなかった」と言う点で見ると、「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」それは、富野監督の作品で有りつつも、アニメ化はしなかった。
当時の世界は、「ハサウェイが負けた」”この”帰結を認めなかった、のだ。その先に、天安門事件があり、そして、今に至った。
何故かここに、意識の中でか出てくるのが、あの「飯塚幸三」氏では、ある。
彼は当時、”ここ”に、奇妙な介入をしていたのだろうか。
クスィーガンダムがペーネロペーに負けた、と言う事実を認めてさえおければ、天安門事件も、平成の不景気や大災害も無かったかもしれないのだ。自分は普通に、そのままプロの世界に入っていた、”かも”しれない。彼は、多分価値観だ、”些細な”過失で罪人には成った。しかしそれは今も、或いは罪を否定しているし、権力も彼をまだ、断罪しようとはしていない。
「我々はもう必要無いというのか?!」
”我々”とは、何だろう。何かの密かなるパワー、それが有ったという事だろうか。ともかく何かのごり押しは、風邪に煽られて頓挫した。物理的に「負けた」と言う絵だろうか、これは。
理不尽さは残っている。
新型コロナウイルスは、単なる風邪にしか見えない。
老人は死ぬ事を無視すれば、だ。
或いは、こんな終わり方は嫌だ、そんな執着は有る。