あげちうのブロマガ

失敗してても問題がない

「問題がない」


その、理解の問題ではある。

「カダッシュ」と言うゲームは売れたのか売れなかったのか?に関しては、微妙に混沌が漂うのだけど。一応、「成功」そう言う評価、らしい。逆説的には、「なんで?」が解らない為に、他者が真似し難かった…そう言うのは有るのかもしれない。

群を抜いた個性がある訳でもなく、目を見張るような技術が有った訳でもなく。
それでも、他の高い技術やセンスを抑えて、それは”利益を出した”訳だ。

「何故?」

様々、集まる結果を考えるに、それは状況として「作者に問題が無かったから」その一点に過ぎない、のかもしれない。

何かを密かにパクって成功した訳でもなく、妙な裏口を使っている訳でもなく。
ともかく「要求」に対しては、ほぼ問題なくこなす事が出来た時、そこに成功。

「問題がある」と、単刀直入に”それ”が出来なくなるのだ。

「売れれば良いんですか?」に疑問を向けていた人は、”売れた”時、その自身の行動を肯定できなくなる。すると?何かの歪みを見せ始めたりする、が。「カダッシュ」は或いは、そう言うのが無かった、のだ。

この「問題がある」状況は、非常に細々としては居る。「ゲームは一人でも創れる」昔、当り前の様にこういう妄執があって。それは実は、問題がある。或いはワンマン経営の独裁性だったり、ヘビーなワンオペの肯定だったり。出来れば凄い、かもしれないが。他人に要求は出来ない時、”それ”は後に続かないのだ。

…それは、問題がある。

この辺、経験やら研究やら分析の結果として、自身の意識、それを変えていく果てに「問題が無い」状態が形成され、その結果として「売れる」と言うその結果が出る、訳だが。この辺の追及が甘い?時、その結果は微妙に問題ある結果を出したり、する。また、その「売れる」問題が無い理解や感覚があるが故に、一般論での問題ある状況が出来たりする訳だが。

ともかく「売れれば良い」それを愚直に断言できるなら?そこに問題は無いのだ。

そして、そう言う人々しか、利益を出す事は最終的には、出来ない。

そして問題の壁はそんな「現実」に対して或いはまだ、否定感を向けている。

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