あげちうのブロマガ

自転車を漕ぎながら

概念的には人力発電所があるから、何とかなるのだが。


今の所、こちらの概念では、ドツボにハマっても無理をする必要は、無い。或いは売春、”それ”は無理には必要が無い、それは大事な話だ。軽犯罪の重過失、”それ”による苦境それは対処する責任は無く、またそれであってもその施設自体は、拒否はしない。アインシュタインの壁がある頃は、”ここ”に陥ったら暴発以外に手段は無かった…旧日本の様に。一応、そこの懸念は、理念だけなら”ここ”には必要が無くなっている。

今の所、システムとしては問題が見えない。”それ”を守らんとする、それは正義だ。破壊しようとする、それは悪だ。環境を守らん、それに関しての不足は、見えない。

…しかしその結果、「均等労苦社会」実力が無いと願いは叶いません、そんな世界がこの先に有る。

感覚的には「親が死んでしまった」状態だ。もう、親は餌を運んでくれない、自力で稼ぐしかない。その為のシステムは提案されており、問題も無さそうで、ただ、ちょっと自由は喪失しているだけ、だ。「それはしょうがない」やがてそう言う日は来るのだ、何時までも人は楽園には居られない、仕事をせねばならなくなる。その定めから逃れる事は出来ないのだ、が。

とはいえ「軽犯罪の重過失者には、重い罰は避けられない」それは有る。

「仕事」と言う観点で言うと、旧「王の権威」そのポジションとしては十分…なのかもしれない。”雅”市場、その構造に欠陥は見えない、「王の権威」その特別性も無い。「大賀さん」衝突は紛争解決機構で最終的には判断される、通るか否かは才覚次第だ。人力発電機が有る場所なら、健常者で有れば、問題なく当面の生活費は出る。ストリードの連携、それによる苦境からの脱出も有り得るだろう、ともかく価値が補充され続ける限り、経済的には失速が無い。

働けば、維持は出来る状態ではある。

売春婦が失職してしまう、”それ”は、或いは間違いはない。概念上、売春は無理には必要が無いと言うのが現在の結論ではあり。ただその結果だ、「独裁創作の利益性が全く消えてしまった」元々ないのだが、彼女らが犠牲に成り発生していた物は今は、この”雅”その構造が出る前から既に長い事、止まっている。それまでだって独裁創作は、プロデューサーやらなにやら、様々な人間が関わるのが普通で、それは何故か?一人で創ってても殆ど利益に成らないから、で。実際はそう言う物だったのだが…昭和か、それが創った幻影は今も重い。

それは剣呑ではある、そして返答もまた、剣呑ではあって。

願いが有り、それは間違いなく叶えたのだ、が。
願った本人が或いはまだ、了承していないだけなのだろうか?

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