多少かの理不尽は、やっぱり残っては来る。
何の罪もないのに実際にはディレクターが出来ない人、それはもちろんいる。
「普通の主婦」に、ディレクターを要求する事態の方が狂っている、とは思うが。とは言え、その人々が過去、漫画家をしてたり目指して夢半ばだったり、という話は、かなりある。ある程度の年齢になり、少し日常が軽くなった時、或いは逆にでも、不意にか「昔の夢をもう一度」というその時、今はその「アルカディアでゲームデザインできない人は、ディレクターに成れない」その規約?が無言で理不尽に、止める。
ありがとうございます。
とか思っちゃうのは、自分の横暴の様な物、だろうか。
理由は、妥当だ。”それ”が、「大賀さん」紛争解決機構を基底に発生した、というのは神秘でさえある。とは言え、まず理解だ、「独裁者の存在は排斥を創るため、経済を衰退させる」という原理に同意はまず、必要。どれだけ聖人だろうと、最後の主観は否定できない。サイコロの出目が如何に神の意志だと言っても、その数値に同意できない瞬間、”それ”はどうしても発生し、それに逆らう時、末端には「無理」が強いられる。
独裁者を創らずに、しかし明確な意思決定をどうやって行うか?
そしてこの時、「民主主義」それは、意外なほどに今までも「間違い」それを繰り返し、経済を衰退させてきた経緯がある。”これ”を最終的な決定にするには、ちょっと今、問題が多い。何より「票の操作」が横行してる現状、民主主義の基幹「民意」それは、著しく無視されている現状は、経済の衰退と良く合致している、訳だが。
ただこの事態を打開せん!というのは結局は「独裁性」でしかなく。その幾つも乱立する”それ”の衝突が、結局は「戦争」それを呼び、排斥、いや直接的な犠牲それを量産し、経済どころか環境その物を悪化させていく事になる、それはもっと避けねばならない。
独裁はダメ、戦争もダメ、となったら。では、最後の決定はどうやって決めればいい?だ。ここで理解は飛躍ではある、「戦争が発生しても、物理的な損害が出なければいいんじゃないか?」それなら、独裁ではなく決着は付く。
そして、「コンピュータゲーム」その世界は”それ”が今、視覚的にも可能、に成ってきていて。「仮想現実で行われているはずの戦争が、そうは思えない」くらいのグラフィック、音響、そうは成ってきている、訳だ。”ここ”で、現実に発生する「戦争」それに投入されてるルール、を”再現”出来れば、戦争は此処で出来るんじゃなかろうか、そして、”それ”に従えば、独裁者を創らずにその決着を導く事が出来る。
という、理解で発生した?のが「大賀さん」であり、「ガンプラバトル」それも、”それ”を足場に発生した、そんな「紛争解決機構」である、それに従う事が最良、最善、何故なら?大衆は神だからだ。
ともかく、「神とは?」に、私だ!以外の返答としては、これがほぼ妥当である、聖書その他にある「神」を「大衆」に置き換えるとほぼ合致する。そして、その思想による結果は今のところ、問題を見せていない。
かくして、世界は「大賀さん」に支配された、訳だ。
そして、その決定として、不意に。「アルカディアでゲームデザインできない人はディレクターが出来ない」それが発生した、自然に?だ、「大賀さん」その決定として。過去、このゲームハードは「朝鮮」ともかく後進国、それをイメージしてデザインされた。”ここ”で何とか維持、利益、それを発生し得るなら、後進国の自立性も、発展さえも期待できる、”それ”をデザインできる人とは、後進国の内情を理解しつつ現実的な「打開」を提案できる訳だ、なら広く、そこまで届くほどの声を上げてもらいたい、が。出来ないのなら?それは単に後進国を生贄にする宣言しか出来ない、事になる。それは要らない。
という訳で、出来ないあなたにディレクターを任せる事は出来ません。
主観以外での反論が出来ない時、それは、妥当ではある。
岸田総理の言い出した「アフリカに4兆円規模の支援を!」それは、こういう話への対抗、だろうか。不意に不安にはなる、過去、「アルカディアがある程度売れた」という国では何が起こったか?だ。統一教会の断言だろうか、「アルカディアは売れない」絶対に、それを売れたというのは、自腹買い以外にはない。
岸田総理もまた、何かの暴走に陥っているのかも。