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あげちうのブロマガ

過失なき不足が降格する時

日に日に増していく被害者、という図は、東日本大震災を思い出される状況ではあるが。

余計かの推測が、余計かもしれない考察の起点に成るのは、良いのか悪いのか。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「その少女と会った日が、運命の分かれ道でした」とかやな話だなおい

 

具体例として、「専務だった人物が大きな損失を出し、部長まで格下げになった。同時に外部から新たに取締役を一人、専務とほぼ同じポジションで登用した」時、”どっち”を優先するべき?という問題。形而上の決定を優先してくれ、という時、もちろんか元専務は部長としての扱いしか出来ない、それ以下の社員らにとっても、だ。同じく、新たに入ってきた取締役は、社内の事をほぼ何も知らないにも関わらず、社員は以前の専務と同じ扱いをせねば成らない、その意向には従わねば成らない、訳で。感情論はともかく結論的には「その通り」なのだが、しかし。実際にこの混乱は避けられる問題か?ではある。

ウクライナへの7000億円近い貸し出しが回収不可能になって、”その”取り立てが能登半島地震になり、その結果、「何処か」それを決定し得た部分、その優先順位が変化した、時。指揮系統が突然変化した、訳だ。まず直後は「居ない」事に成り、そしてその後、「今まで」の人ではない、別の人がそこに入る。今も、ネット上では「政府の対応が!」を連呼してる人々が多い状況ではあるがそれに近い? 震災前はそれでよかったが、その後は、流石に「旅客機の着陸は少し遅らせてでも支援物資を運ぶ海保機を優先するべき!」それは、言えない。

まずその混乱で、奇妙な衝突が起きた。

今のシステムでは、「自分の頭で行動しろ!」が、中々言い難い状況ではある。サラリーマン社会、上意下達は社会の基本であって。その結果、上位の問題は下位の現状へダイレクトに反映する、訳だが。「責任」と言う問題を考えたら当たり前の構造でさえあるのだが、その結果、「良いアイディアを」それは、発露までかなり時間を取られる事にはなるし、上の思想の問題で、それは立ち消えになる事も多々ある訳だ。

ともかく現状、「形而上の”立場”を優先した方が良い」気は、する。その時、社長で有っても部長の意向を無視できない、そう言う事態は発生は、する。その場で最も能力がある、存在がその場の長であって、その意向を優先する事で事態は最善を選択し得る。形而上の話だ、「気づくと変わっている」変化はもちろんある、その人がSNSで呟いた事が原因で降格する、”それ”は、往々にしてあり得るが。「会社での肩書はそのまま」なのだ、それでも。形而上的な階層、それはそれとして、優先順位なのかも。

ちょっとここで、”そう言う話”が身近かで起きた、気もする。

「商業創作の企画の是非は、”ここ”の意向を優先してください」

今までの人は、ちょっと降格に成りました、そんな。

煮え切らない言い方しか出来ないのは、やはり何かの戦争がまた、始まったから?

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