否定感はある。
ちょっとしたよそ見運転での交通事故では、被害者にしろうっかり?と言うのはある。
金の絡む話で、過剰な利益への欲求は、相手の理不尽を産みかねない。
戦争と言う状況の中では、如何なる理不尽も現実のそれではある。
色恋沙汰には、相応の危険性は孕むのだ。
この例だけで考えると、被害者に相当する立場も、因果的にか、”理由”は解る。また、被害者の注意、交通安全への、お金に関して、戦争は良くない、相手にはもう、等々、危険を予測し回避し得る可能性は、多分に想像できる。
しかし、「売春婦を強姦して殺した」に関して、特にこの場合、売春婦とは限らないのだ、強姦致死の可能性と、その理由に、「注意し得る物」が無い。
何を注意すれば、女性はその可能性を避けられるのか?
「強奪連鎖は良くない」と、意識すれば?相手の”それ”も刺激しないのか。
この事例は、そう言う事例だったろうか。
理解の中で、極めて限定的ではある。「めぞん一刻」と言う名作漫画はある、が。”あれ”を全否定する向きも、当然の様に有った訳だ。昭和の頃、これを否定する理由は非常に弱かった。既に未亡人、夫は死去して長く、女手一人で暮らすと言うのは大変で。
「強力な全体主義」がその時、売春婦の?女性を襲ってしまった、と言うそれは、可能性として…有る訳だ。
「漫画だから」
大前提である。
それに、推測する当時のシチュエーションも、そんなロマンティックな?状況とは到底言えない感じはする。結局、かなり好意的に?解釈しても、「どれだけ言い寄ってもなびかないから強引に襲ったら、相手はその場で自殺した」と言う感じだ。社会は、その人の意思、それを無視?した。
…もちろん結果として、因果の果てに、天安門事件は起きてる訳だが。
しかし、女性を強姦する、と言う可能性は、何処にでもある、訳だ。
女性側の、普段かの意識の持ち様で、そう言うのは予防?出来るのか。
今の所、「なんで殺さないの?」それしか、打開案が無い。
女性に対する不同意の強姦は、死刑に相当する。
covid19は、現状ではそう言う因果への方向の一つではあるが。
因果は、忍び寄るのだろうか?