「売れませんでした」と言う時、戦犯探しがどうしても始まる訳だが。
この時、「ストリードの連携」を通さないと、自身の視点ではその「問題」は最後まで残る感じになる、責任の所在、改良点が見えなくなる。
依頼した側が悪いか、依頼に応えなかった側が悪いのか。
それとも土台にした基本ツールか、それともOSその物か。
「ゲームエンジン」とされるモノはこの時、かなり広域的な「責任」を問われる事には成る、「この場合、どうしたらいいんです?」への返答を要求される訳だ。それにエンジン側が答えられないと、そのエンジンは微妙に評価されず、使用したアプリも受けない、と言う事には成る。
言うは易し、行うは難し、ではある。
平成の場合特に、長い事「王の権威」それの否定に注力してしまった経緯はあり、”そこ”に人力発電機が無い、と言う事態はあって。結果、雀荘は維持困難になり、その不可能を可能にする為には、誰かを生贄にしなければ、と言う普遍的なオチがあり、その結果、”そこ”には人が居なくなる。「夢オチですから」と言っても、打開が無いのなら、その悪夢は直ぐにまた語られる事になるのだ、それは決して悪夢じゃない、現実である。
外に、人力発電機は有るのに、だが。
2D系と、3D系の、最も大きな境目だろうか。3D系は、「王の権威」物理とシンクロした個性、”それ”を足場にする事を否定した、時期に誕生しているので多くが、物理から遊離した事を言ってしまっている。結果、そこで発生するゲーム?作品その多くが、どうも問題を抱えたような…そう言う感じになる、それは今の「普通」ではあって。
日常的にやっている事だ、ゲーム実況によって、ゲームが売れる、そう言う事は当然の様に有る。
その時?ゲーム実況者は、その「売れた分のお金」を、何処から持ってきたのか?だ。
「自分で創れなければ」それはそこに無い、筈ではある。
ゲーム実況でさえも、一種の創作、それは変わらない。その結果として売り上げが増えたとしたら、その一部?はもちろん、実況者への対価として適当である。
「お金は増えている」のだ。
でも、”これ”を、微妙に状況は否定している、現実はある。
まず「面白い創作は、お金を創り増やせる」その理解が無いと、どんな物を企画しようと”そこ”に人は居られない。この理解に、どうやったら世間は納得するか?だ…見えてる物理的でさえある事象、それを前にしても、見えてないそれを前にして、どうも言葉は濁ってしまう。彼らは現実を見てないのだ、何かの命令?そっちの方が重要でそして、それが今もまだ、か、「お金は増やせる」それを否定してる。
今は確かに、「ゲームエンジン」そこにこそ、問題はあるのかも。
とは言え、平成30年は、長い。
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