SEGAの微妙な話はまだ、何となく続く。
脳内で。
大丈夫か(;_;)。
ここで、「ビートたけし」氏の、「なんで?」を語る必要は有るか?と言う気はするが。彼の価値と言うのは結局は、「昭和天皇の統制下なら、最下層からでもトップに立てる!」そう言う、それは”生きた実証”ではあって。だからこそ、だ。実際には全てが微妙であっても、彼は彼として、テレビは必要とする、そこに確かに理想は有り、そしてまだ、良くも悪くも元気に、生きている。昭和天皇が残した「理想」それはまだ、印象はともかくとしてそこに有り、そして今も、高い支持が有って。
もちろん、だからこそ混沌もここには有る訳だが。昭和天皇はもう居ないのだ。そして、「私が!」そう言う存在の隙をそこに産んで、そして何かの聖杯戦争、そう言うのが始まった。本人自身も、自身の置き場が定置せずに困っていた、と言う感じは有るかもしれない。テレビは「大賀さん」その統制下になった、にせよ。昭和天皇が居ない、それは今も、何かの欠損として有る。
真面目に働きゃ良いんだよ。
その「働く」の、雇い主、それはでも、”人それぞれ”だ。最悪なブラック雇用主の元でも、それは正義だろうか。
SEGAは今、何に対して「働く」を意識するべきか?と言う点で、或いは何かの混沌と混乱は、有る。自分の今の把握としては、SEGAは「昭和天皇の」要求、”それ”を蹴って今の状態になった、のだ。「中華思想の皇帝」それを担いでしまった。その時、或いはビートたけし氏、そのカリスマ?価値の理由それは”全く”合わない。道を戻すか、或いはその先を目指すか、しかし。今の所、「その先」と言うのがほぼ、無い。「真面目に働く」以外で、その業績を回復させる手段は無い、時。彼らは何を選択すべきか、それは難しい。
責任を取って創業家一族には出て貰う、残る人々も”新しい”雇い主に従えない奴には辞めて貰う。それは好ましい帰結だろうか、それに対して自分も、明言はし難い。自分はとにかく今、「かむろぎは何処?」それしか意識が無い、ともかく状況、「戦争は終わった」テレビは「大賀さん」その結果を表示している、混乱は収束しつつあり、自分のその意味での役目は終わった訳だが、最後に残ってる。
自分は?
今もまだ、こんな感じで自分の好ましくない状況は続いている。自分の状況を改善するには、ともかく「ストリードの連携」その有効性その他が実証され、”仕事”としてちゃんと利益を得る事で、「構造として成立させる」必要があり、その時その「かむろぎ」も、そこに有る、だろうけど。それは良くも悪くも、現在のSEGAの理想?それに阻まれては、居る。「それは無理だ」しかし、退路無き敗北、それは余りにも無様だ。容易に受け入れられず、その先にあるのは「敗北者」或いは役立たず、そんなレッテル、かもしれない。責任を問われ、辞めねばならないそれはどれだけいて、それらはその後どうなるのか?そこにはかなり、剣呑はある。
そもそも、カウンタ制御もまだ、外れてないのだ。「大衆は納得する」理由は有るにせよ、状況は混沌のまま、妙な停滞はしている。
時間は過ぎて行き、目の前には面倒さと言うか、仕事は発生し続ける。眼前にある物を片づけ続けるしかないのだが。
…首を切ってお終い、だろうか。