あげちうのブロマガ

悲願に咲く曼珠沙華

まだ続く。

例の「曼珠沙華」、”歌その物は”土台を変える事で問題は無くなるが、この歌の本体は正直「PV」の方に有って…そこに描かれた混沌はそのまま残っている。

まず、ヒロイン的なイメージが、実は人妻をモデルにしている。
しかし?歌としてそれに言い寄る男、それは、その夫では無い。
「誰?」
結果、「良い」が発生する時、”ここ”に余計な混沌が発生する。

なんで?と言うと、歌が実際には「ラストダンス」そこに”被せ”ているから、だ。
主観変換、写真は山ですが、海として描いてます、そう言う主観に因る情景の変化。
「ラストダンス」は、夢を諦め?家族の為に働く夫への気遣いだが、「曼珠沙華」は、衰退するその場に居る女性の為に、その世界へ進もうとする男、と言う視点はあって。

…しかし、後者の「男」は、前者の夫では無い訳だ。作者の期待?か勝手な推測に過ぎず、実際にはラストダンスに、そのキャラは描かれてない。

「誰?」

”被せ”る限り、土台から逸脱する部分はダメ出しされる。しかし。

とにかく独裁的な創作は利益が出ない時、平成で”被せ”それは唯一の道だったが。
「人の作品に勝手に乗っかるな」と言う事に気づかれ始めてから、利益が出にくくなった。
なので、被せはどんどんと巧妙化?していったからか、この作者がヘタだったから、か。作者の主観で違う話に成っちゃってる訳で。

と言う時、「誰が悪いのか?」と言う事に成る。
もちろん作者なのだが、この場合、歌の作者その物は、どうも補正を入れている。
しかし?PVの方は、補正しようにも”絵として描かれてしまっている”のだ。
少なくとも、このキャラを「FGOの清姫」と言うには、かなり違和感がある。
松田聖子の写真を出して「工藤由貴です」とか言う訳には行かないのであって。

「誰?」

或いは絵師も、このヒロインが誰かを知らないのかもしれない。
単に、PVのディレクターからオーダーされたキャラを描いただけだ。
そしてしかも、PVのオーダーにしろ、「曼珠沙華」が被せと言う理解は無いかも。

問題だとして、責任は誰に有るんだ?


現状、理不尽と言うか…「絵師に」責任が集中している。
しかし絵師としては「じゃあ誰?」に対して、返答を持たない。
言われたキャラを描いただけだ。

そしてその「歪んだ絵」その物を好ましいと言う一部の嗜好も、もちろんそこに有って。
問題はその「昭和の女流作家」その辺までも巻き込んで広がってしまう。

ともかくまあ、通例的には、「責任者は責任を取る為に居る」結果、PVのディレクターが悪い、と言う事かもしれないが。
ディレクターは、PVの絵師に責任を向け、そこに悲痛が有る訳だ。
「ラストダンス」の方にはストリードがあり、故に、”そこ”での問題は起きないのだけど。
関連する題材ゆえか、どうにも混沌が夢魔に成ってくる。

誰だこの歌を企画した奴は(;´Д`)。

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