あの方法論の、最大の問題だ。
「ジョニーが来たなら伝えてよ、2時間待ってたと」
そのジョニーと言うのが、”王の権威だったりする”訳だが。
個人的にもしている失敗?でもあり、この辺には…かなり重大な否定感があって。ともかく昭和は特に、「王の権威」それに振り向いて貰えれば勝つる、と言うのが現実だったのだ。方法論は様々だが、とは言え、つまり「秦の始皇帝の寵愛を得んとする後宮の女性ら」と言う構図に結論で帰結し、その皇帝役には、ちょっと重い問題?が発生する。
”それ”が、そのままこの「曼珠沙華」にも発生してしまう訳だけど。
をい。
本人的にも、”この”ツッコミこそを大事にしたいのだけど、この先はプライバシーだ。そして第三者にしてみると、少なくとも「自分では無い」時、次第に範囲が狭まってくる。ともかく結論で「王の権威に振り向いてもらう」事には成功している訳で、古い方法論の主としては失敗と言う評価に成らない、しかし。
現状で、”これ”が利益に繋がる道はほぼ、無いとは思う。
面倒だけ起こして自身らの評価を下げて、場合によっては損害まで発生させ、未来をも閉じてしまうのだけど。
それでも、人間の自由意思は大事なのだ。
今の王様、大賀さん、それは彼らに介入しない。
問題が起きるなら起きるだけ放置し、やがて。
自己責任だ。
とは言え、状況への憤怒、それは元「王の権威」である、”ここ”へ向かってくる。
そして、或いは古い女流作家とかは”その自身の方法論に固執する”時、妙な執着を向ける訳だ、「これで良い」のに何故受けない何かがおかしい。
綺麗な時代ではある。
その是非かもしれない。
「スペックは微妙に低いんだけど、ソフトは面白いよ」と言うハードと、
「スペックは申し分ないんだけど、30分遊んでるとハングするんだよねぇ」と言うそれと。
後者は、単刀直入に欠陥品だ。
如何に自信作でも。