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あげちうのブロマガ

戦争と言う名の遊び

現状、個人的な説明?では届かない部分は有る。


結論として「大衆は神である」(0±0)だ、と言う時。要するに最上位が”これ”な訳で、自分でも、もちろん”他の誰でも無い”訳だ。最上位の「神様」以外の説明は独裁性が出る、だから。基本的に誰であろうと「私は正しいお前は間違ってる」それを言い切れない状況は…逆に実は、有る。

「インターネット」は、要するに”遊びの産物”な訳だ。オーダー?に対して(そもそも盗品だが)、自分の趣味、意向、方向性を最優先で載せてしまった。結果的に”それ”は神のお眼鏡には叶わず、その投入された技術に比して、イマイチ価値その物は、上がらない。採算性の悪さを補おうとする結果か、企業は無理な出資を求められるか何かで、或いはだから、世界中に不景気がまき散らされた訳だが。

…それは、今は、物理的な「経済的破綻」それとして、示された?訳だが。


「遊びでやってんじゃないんだよ」

今は、微妙に、”これ”に言葉の厚さは、ある。この大惨事は何故齎されたのか?何が悪かったか。「遊んでんじゃねーよ」結論で、その一言なのかもしれない。仕事であれば、まずオーダーを満たすそれは、最優先だ。不幸?と言うか、そもそもオーダーの原案が「漫画のネタ」で、”それ”が盗品になった物で、”それ”に対して応答する結果が今のインターネットであり。

…何故だろうか、世界中が「愚かさ」に支配されていた訳だ。遊んでるだけで、お金が儲かる社会が創れると、何故か、そう信じ込んでいた。


個人的には、自分の現状を改善するのが最優先だ。何かのスイッチでネットその他、社会的インフラが止まる様では困る。信仰の衝突ではあり…、現状、インターネットを今の形に構築した「主義」それは、金銭的な苦境には有る。しかし多分だ、「インターネットを企画した」それから、何かの権威性の様なモノがそこに発生してしまっていた。今、期待されるのは”それ”を止めて、利益性、社会貢献性?そう言うのが発生する様に方向を変える事、だが。その中心に有るのは「単に遊んでいただけ」と言う原理であり。”それ”を、世界中が止める事が出来なかった。それは今もだ、結論で同じ方法論、独裁性?それで推す時、相手を倒す事が出来ない。

「仕事しろよ」

世界全体がその、「雇用主」を失っていた…実は、そう言う状況は有ったのかも。雇用主が居なければそれは結局独裁性であり、結論で「遊び」であり。最上位の雇用主は何か?その混沌が、結局はインターネットを今の様な物にしてしまったと言うべきか。


その「雇用主」は今、この原因に対して、何を言うのだろう。


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