あげちうのブロマガ

愚者が目指す崖の先

皇帝創作は、悪い。

「被せ」の先にある話で、土台にした作品を否定し叩きつつ、自身の”それ”を被せて自分の方が優れている!そう主張すると言うそれは、その先で「成功例を否定する」と言うシンプルな過失を始める事に成る。この結果、作者は”その”成功した方法論を使えなくなり、どんどんと自身の有効な手段を削っていく事にも成る訳だ。もちろん、成功例を否定する、と言う行為は多くの客から反発を受ける、そこには大きな、しかも”後に続く損害”は発生する。

先人は、その先が崖だから進まなかった。その人はその先を進もうとする。

それは「馬鹿」だ。

結果が出るまでは解らないのだ。映画「インディージョーンズ」でも、崖に見えても騙し絵でしかなく、そこに道が有った!?と言うトリックの様な仕掛けは有ったが。「本当に崖だったら?」その時点で?全て終わりである、それは崩壊する。それでも、この方法論はその、マンガで見たかの微かな可能性を目指し、その先へ進んでしまう。

”本人”自身が、その「崖の先から落ちてしまった」そう言う状態なのかもしれない。
それはそれで、自身がその「本来のオーダー」それを無視か軽視している訳だ。

戦闘機で被弾したら、その時点で「終わり」である。残機など無いのだ。

「グラディウス」も、本来は、”そうであるべきだった”訳だが。
それでも、「ゼビウス」と言う”成功例”に対して起こした”それ”は何故か、客から喝采で迎えられる事に成る。昭和天皇のオーダーは、戦闘機一機で敵拠点に奇襲攻撃を行う、或いは潜水空母計画の徒労さ、その再現ではある。ゼビウスは、実際には「残機を創ってしまった」事で全否定された。グラディウスはそこを、「最低までパワーダウンする」と言う表現に変更し、成功した。ただ、「偶然」だ、本人の理論性による物じゃ無く。それはその後、多くの混沌を纏い続ける事に成った、感じ。

「どうすれば売れるゲームって創れるんですか?」
先生なら、答えねばならないし、それが正しく無ければ成らない…。


…始まりは、何処だったのだろう?

「スペースインベーダー」で、一種の”クリア”が有る状態にしてしまった事、だろうか。

死なない、延々に残機が増え続ける。硫黄島の決戦で、そんな事は有り得ただろうか?とは言え、当時にしろ「ユダヤ教の王」その存在はある、それは昭和天皇、太平洋戦争の敗者、しかし「王の権威」を否定し、そして勝者の、「原爆を使用した」側に有った。製作者側の、その微かな反逆?と言うかそれは、何かの病的な邪をそこに産んでしまった、と言う事か。

「まあ、ゲームだから」

そこに有るのは、大いなる失望ではある。

単なる徒労でしかない、それは、太平洋戦争に参加した全ての、そんな呟きだったろうか。

その帰結は、何処へ?

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