あげちうのブロマガ

楽園へ行けと言われた先の荒野

「絶対」対「絶対」その対立に答えは無い。

という、結局最後に有るのは「売れた物勝ち」ではある。

それは無しで。

平成の戦い?なんて、実際はそんな感じだった、かもしれないのだ。


一応、定理?の様なモノはある。

創作とは基本的には「異世界への介入」である。
一種の神として、異世界の運命へ介入、”それ”を動かす行為だ。
それが上手く行くと?相手の喜びがあり、”それ”はそのまま、その創作の「価値」として、そこに”発生”する。
それは、換金し得る。

まず異世界から離れて。

アインシュタインを神とする時、ここから話は進まない訳だが。

ともかくこの、「異世界がある」と言う概念を土台?にさえしないと、創作やら、或いはスポーツでさえ、その必要性が薄れてしまう。アインシュタインよりも、あげちうの方が上だ?と言う話を通さないと説明に意味は無い。そして、その要求はちょっと、色々と「ダメ」だ。結論で言えば、結果で見るしかない訳だが。

ともかく、独裁創作、それが売れた試しは基本的に、無い。
「”仕事として”創る」この条件が発生しない限り、創作に価値は出ない、物理的な話。
その上で、「オーダー」それは、「王の権威」それに通じたモノじゃないと、必要性を意識されない。逆に通じてさえ居るなら、例え反社会的に見えようと売れる。

通じてないのなら、如何にそこに崇高な理念が有ろうとゴミだ。

平成30年は結局、「それは違う」を実証しようとして潰えて行った、そんな人々の歴史だった、かもしれない。

これは過去にあった、芸術家の悲痛、それが何故そうだったか?の、主な原理ではある。

独裁性、それを基本的に現実は受け付けない。
芸術作品は必要だが、あくまでも「王の権威が求めた物」に限定される。

…気付けば、同人界隈のイメージは、ほぼ萌え美少女しか存在しなくなってしまった。

”それ”に対して、誰も疑問に思っていない?様な…そんなそれが現実ではあり。

良くも悪くも、この現実の上で、我々は暮らしているのだった。

楽園の外へと追われた人々は、楽園と言う失敗を今も、求めている?
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